アフターコロナとアバター

ひょっとしたら、人が外見に縛られなくなる世界が、思った以上に近いのかもしれない。そんなことを思う。きっかけは、大学院の授業がすべてオンラインに移行したことだった。

大人数の授業では、基本的に誰も顔を見せない。真っ黒な画面に名前が表示されているか、そうでなければ彼らがアイコンにしている写真が映っていて、彼/女の容姿はまったく見えない。髪や目の色、身長や体格、男性か女性か。そんなことは何もわからない。時々、教授に指名されて喋る生徒の声は聞こえるが、それでも声だけだ。顔を見せる必要はないし、教授の話していることに反応するだけなら、チャットで文章で伝えたっていい。

もしこういう形態の勤務や授業がもっと進んだなら、と考える。本人の代わりにアバターが画面に表示されることだって可能だ(技術的には今でも可能。でも会社や学校が、アバターでオンライン上に出勤したり出席したりするのを正式に認めるとは考えにくい)。アバターなら、外見は自由に設定できる。目の形や大きさ、髪の色や服装も自在に変えられる。架空の姿だから、実際の性別に縛られることもなく外見を作り上げられる。

あれ?ひょっとして、これって大きいことなんじゃないか。大げさな言葉で言えば、身体からの解放と言ってもいいような事態じゃないか。

実際の姿形に関わらず、自分の好きなように架空の身体を創造できる。普通なら「他人に自分をこう見てほしい」というイメージはコストと手間をかけて──例えば、仕事ができるように見られたいからスタイリッシュな服装にするとか、清潔さを印象づけるために髭をちゃんと剃り髪型を整えるとか、濃いメイクで強さを感じさせるとか──行われるものだが、アバターならそれも簡単に作れる。実際に化粧をしたり、髭を剃ったりする必要がない。

外見が人の心理に及ぼす影響は大きい。女性らしい外見だと舐められやすかったり、背が低いというだけで侮られたり、太っているだけでマイナスイメージを持たれたりする。あるいは肌の色が違うという理由で偏見に晒されている人もいるだろう。アバターが主流になれば、そういう諸々の理不尽から解放されるかもしれない。何せ外見は自分の好きに作れるのだから。

顔の肌が荒れているからといってずっと俯いている必要も、アトピーがひどいからと肌を隠す理由もなく、いかにも強そうな人に見た目だけで気後れすることだってない。そういう世界が来つつあるらしい。

もちろん、アバターが浸透するのも、社会がそれを正式に受け入れるのもずっと先(場合によって永遠にない)かもしれないが、人がそんな風に身体から解放される可能性は十分にある。アフターコロナの世界について、そんなことを思う。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。