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厚化粧人気に思うこと

芸能人の化粧が濃いな、と思う。この間ひさしぶりにドラマを見たら、主演の若手女優がしっかりメイクされていて、なんだか不自然なくらいだった。電車で見かける広告でも、男性芸能人の眉毛がそれとわかるほどハッキリ描かれていて、いまはこれがいいんだろうか、とモヤモヤする。

テレビでもなんでも、画像はとにかく鮮明になっている時代だから、撮られる側は気を抜けないのだろう。それはわかる。少しの肌荒れでもネットで晒されて叩かれる時代だし、多少は厚い化粧をしたほうが、画面に映ったときに映えるだろう。完璧な美しさを目指すのは悪いことじゃないし、ドラマや広告を見る人たちも、できたら美しい彼らを見たいだろう。きちんとメイクをする理由はだいたい想像がつく。

だけど、いくらなんでもやり過ぎじゃないか……。見て厚塗りとわかるファンデーション、ぽってりと光を放つグロスの口紅、地毛が見えないほど濃く書かれた眉毛──。本音を言うと、少し気持ちが悪い。もしも「美しい」という言葉の定義が「見ていて気持ちいい」なのであれば、彼らの化粧はまったくそれに当てはまらない。醜くはないけれど、不自然で加工されていて、なんだか落ち着かない気持ちになる。

そんなにも塗りたくらなければならないんだろうか。素顔はそこまで忌み嫌われているんだろうか。素顔はそんなに見せたらいけないものなのか。そんなことを考える。どこもかしこもその調子なのを見ると、きっと世間ではこれが「綺麗」なんだろうな。ドラマを見て「○○ちゃんかわいい」と言っている人たちは皆、そんなこと気にならないんだろう。

それならそれでいい。自分が世間からズレているならそれでいい。そしてズレた人間にも、自分の好きなものを主張する権利くらいはある。私は素顔を生かした化粧のほうが好きだし、自分にとっての「完璧」は、すべてを加工することじゃない。素顔の良さをメイクで引き立たせる、その絶妙なバランスが取れているのが、私の思う「完璧」だ。塗って隠せばいいってものじゃないし、素顔は隠すべき醜いものじゃない。メイクは顔を作り替えるものでも、覆い隠すものでもない。

あるメイクアップアーティストに、こんな台詞がある。「生まれ持ったすべてがその人のチャーム(魅力)だよ。それを際立たせるのがメイクアップなんだ」。これを聞いたとき、すごく自然な考えでいいなと思った。そして同時に、一人一人に向かい合って仕事をしている人でなければ、出てこない台詞だとも感じる。十把一絡げにして「とにかくまぶたは二重ね、唇はありえないくらいプルプル、みんな同じ顔になれ」と思って化粧していたら、こんな考えには至らないわけで。

厚化粧ブームはひょっとしたら、単に一人一人の魅力と向かい合うのが面倒になった人が「とりあえず塗っておこ」と考えるせいなのかもしれない。ラクではあるけど、それって全然、いい結果にならないよ。だって気持ち悪いもん。

久しぶりに見たドラマから、そんなことを考えた。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。