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明るい話

物理的に「明るい」話。私たちが日ごろ使っている照明について、考えてみる。

あかりは場所を作る。一個の広い空間に、照明が例えば3つあると、そこに3つの場所ができる。仕切り板も何もなくても、境界線の曖昧な3つの空間が出来上がる。照明の種類がそれぞれ違えば、それぞれが意味の違う場になる。

狭い範囲を柔らかく照らす光なら、一人で落ち着くことを誘う場所になる。広く均一に照らすなら、みんなが横並びで作業する場所になる。暗くぼんやりしているなら、夜を思わせる空間になる。そんな風に。

照明にもいろいろな種類があって、いま読んでいる本(『これからのくらしとあかり』リンク先は楽天ブックス)は、光をたくさんの種類に分類する。「明るい/暗い」「小さい/大きい」「軽い/重い」「近い/遠い」……。あかりにこんなに分類があると知ってちょっと驚く。普通に使っているあかりについて、そこまで細かく分けたことはなかった。

深く意識されていないだけで、照明が人に及ぼす影響は大きい。温かいロウソクの光を前にすると落ち着いたり、ギラギラした照明を見て疲れたり。自然光の柔らかさが恋しくて公園に長居したり、暗い場所に光が灯っているとそれだけでちょっと安心したり。

伝統的な日本家屋では、障子を使って自然光を取り込むから、自然と屋内に差す光は柔らかいものとなる。自分がいま住んでいるところは窓とカーテンだけだから、あの柔らかいあかりとは無縁だ。レースのカーテンを引けば、差し込む光は若干、穏やかになるものの障子のそれとは比べがたい。伝統文化は知らないうちに生活から抜け落ちていく。

そういえば昔こんなコラムを読んだ。

「歌舞伎の舞台照明は、いまや明るすぎる。人工的な光で舞台を照らすからだ。江戸時代の歌舞伎の舞台は、行燈でぼんやり照らされていたはず。だから今よりもっと幻想的な雰囲気だったに違いない。柔らかな明かりのうちに浮かび上がる役者の姿は別格だっただろう」

そんな内容だった。いわれてみれば、現代の舞台は明るすぎるのかもしれない。昔のものがなんでも良いわけじゃないけど、火の柔らかな明かりで照らし出される歌舞伎の舞台は、ちょっと見てみたい。隈なく舞台を照らしてしまう照明よりも、きっとグッとくる雰囲気になるだろう。

現代の照明環境について他に注文をつけるとしたら、もっと季節感を持ったあかりがあればいい。照明器具が季節を知っていて、四季に応じて照らし方を変えてくれるとか。春は華やかに降り注ぐような光、冬は抑えめで温かく、家にこもるような光。そんな風に家の中で季節が感じられたら、ちょっといいかもしれない。

時代はIoT(internet of things = 物がネットで繋がる)だから、近い将来そうなる可能性はある。「そろそろ桜が満開なので、今日のライトは桜色がかっています」とか「ひまわりが見頃です、ライトを黄色っぽくしています」みたいな時代が来てもおかしくはない。いまだったら梅雨の時期だから、紫陽花を思わせる光が似合う。そんな風に。

日本は、季節を感じる方法がとても豊かな国なのだそうだ。海外で暮らす人々が「こっちの国にも四季はあるけど、それを楽しむ文化があまりない感じ。風鈴で涼を取るとか、和菓子で季節感を演出するとか、そういうの一切ない」と言うのを何度か聞いた。いわれてみれば、春夏秋冬を繊細に味わう国にいる。

和菓子のみならず、器でも季節を楽しむ文化があるのだから、そろそろ四季に応じて照明を変えるようになってもいいのではないか……。などと、自分の生活を棚に上げて考える。部屋の照明を季節ごとに変えるような面倒な真似はしたくないので、IoT技術の文化的発展に期待するしかない。


関連サイト。ワイヤレスワイヤーニュース連載コラム
『「考える」あかり』

https://wirelesswire.jp/category/kangaeru_akari/


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