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良い樵(きこり)は体にひとつだけ傷がある説

こんばんは、メルシィです。

今日のテーマは「失敗の是非」についてです。

樵(きこり)の比喩

村上春樹さんの小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)』にこんな言葉があります。

「懲りるのは良いことだ。人は懲りると用心深くなる。用心深くなると怪我をしなくなる。良い樵(きこり)というのは体にひとつだけ傷を持っているもんさ。それ以上でもなく、それ以下でもない。ひとつだけさ。俺の言ってることはあんたわかるよな?」

-良い樵(きこり)というのは体にひとつだけ傷を持っているもんさ-

私はこのたとえを、一回だけ失敗するのは価値があることだという意味に解釈しました。ここで、「ひとつだけ」傷を持っているということはミソだと思います。

たしかに、実際に失敗したという実体験は何よりも学習につながるというのは頷けます。かと言って何度も失敗するのも考えものです。そのため、「ひとつだけ」なのです。

化学実験での悲劇

私も、失敗をして体にひとつだけ小さな傷跡を持っています。

大学時代のある寒い日のことです。

化学の授業で濃硫酸を扱う実験を行っていました。濃硫酸というものは、強酸性の危険な薬品で、手袋や防護メガネなどで体を守る必要があります。もちろん、白衣も着ていました。

机の上に濃硫酸の瓶を置き、座って瓶の中の液体をスポイトでフラスコに移そうとしていたそのときです。

(アッチ…!)

左膝に熱を感じました。見ると、白衣の下に履いていた黒タイツの膝の部分に直径1cm程度の穴がぽっかりと空いています。

このとき初めて状況を理解しました。

「濃硫酸を一滴、膝にこぼしたのだ」と。

白衣の隙間から足が覗いていたのです。

やっちまったって思いました。

とりあえず、トイレに行き、ひたすら患部を洗いました。

幸い、大怪我には至らず、少しだけやけどの跡のようなものが残りました。

帰り道で、穴開きタイツを人様にさらすのがどんなに恥ずかしかったことか、、、(ミニスカートを履いていたので、膝はもろ露出でした。)

私はこの出来事が起きてから、実験の日にスカートは履かなくなりました。

化学実験に危険はつきものです。ファッションよりも実用性が大事なのです。

また、座って実験するときは、必ず足が覗かないように、気を配るようになりました。

当時履いていたタイツはもちろん使い物にはならないですが、「負の遺産」として今も大切に保管しています。

私も冒頭の樵のように、体の傷は一つだけにとどめて、良い化学者になりたいと思います!

追伸

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、存分にハルキ・ムラカミのファンタジー観に触れることができる傑作です。

上下巻とありますが、ハラハラドキドキでページをめくる手が止まりません!よかったら読んでみてくださいね😊



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