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アンチテーゼ~性格判断なんかいらない

自分にはいくつか苦手なことがあって、決定的に片づけることが”きれい”じゃない
論理的に物事を考えられない人、物事には心という者があって、それを粗末にする人、モノにあたったり、激しい口調でまくしたてる人

この辺りははっきりとわかる

好きなことの中に妄想というのがあって、それをもとに創作をするのも好きだけど、プロットを書くのは嫌い

旅行のスケジュールも大雑把がよくて寄り道こそ旅行の醍醐味だと思う

だけどみんなでいくのに計画を立てないのはおかしいと思うし、遅刻したり、約束の物を持ってこなかったりというのはご法度

他にもいろいろあるけれど、何が良いたいかといえば、心理テストが苦手なのです

嫌いではなく、正しい結論、あるべき結果を出すまでに、どうにもしっくりこないことが多い

設問に応えているうちに、ああ、これにこう答えると、こっちの要素に降られるんだと分かった時点で答えがぶれる傾向にある自分を俯瞰で見つつ、そうならないように制御しようとするも、途中で、まぁ、いいか、適当にとかなにせ回答に一貫性を保つのが困難なのである

16Personalities性格診断なるものをやってみたのだけれども、この手の診断はやるたびに答えが変わり、結果が変わってしまう

出た結果については、一部そうだと思うし、一部違うと思う

まぁ、それこそ当たり前の結果なのかもしれないけれども、自分は●●型ですと、大きな声でいえることは少なく、多分○○型らしいけど、●●型の様相もあるみたい・・・と、そうなってしまう

優柔不断と言うよりは、性根の部分と後発的に開発された能力や習慣が、わりと真逆を向いている項目があるのだと思う

僕は確かに子供のころから妄想するのが好きで、それを論理的な実現可能な想像の範疇を越えている

しかし論理的思考を用いることの利点を学ぶと、それを使わない手はないと思い、それをないがしろにすることに嫌悪感すら覚える

しかし論理的な結果にだけ真理を説いて行動に移せるかと言うと、まったくそんなことはない。理屈はこうだがやりたいことはこうだし、それで得られた結果の方が興味があるという場合、大概論理はどこかに置いておく

結果、人からは論理的な行動をしているようには見えない場合がある

人と話すとき、相手が論理的思考に偏っている場合、僕は感情論で語ることを道具として用いるし、逆に相手が感情的になると、論理で対抗しようとする

”ああいえばこういう型”なのかもしれない

或いは右に偏ることも左に偏ることも良しとせず、俯瞰から物を観ることに徹するのではなく、一人称視点でものをみることで前に進もうとすることも時によしとするし、下から覗くこともやぶさかでない

物事をより立体的にとらえたいという欲求と、しかし前に進むためには時に何もかも無視して進むべしとギアを入れることもある

”いい加減型”なのかもしれない

大勢で遊ぶことが苦手と言う人に手を差し伸べてパーティに誘っておきながら、自分は端っこで周りの様子をみているだけだとか

かと思えばいきなりお立ち台に立って悪ふざけをしたり、雄たけびを上げたりする

解離性を疑いつつも、個々のパーソナルは演じ分けることが下手な役者がやっているいう具合に、それほど個性的でもない

これを以て何が適当かと言えば、”普通”である疑いが湧き上がるのだが、それを断固として拒否したいパーソナルが内側に存在している

どこかで自分は特別であるという意識があて、それを認めてもらいたいという欲求があって、そのための創作活動なのだということは理解しているが、実際に自分が”そっち側”に突き抜けられるほどのパッションがあるかと言えば、むしろ批評や評論的精神が旺盛である傾向がある

そんなことをいろいろと考えさせられる夜を過ごし、今に至るわけだけれども、彼女は論理的傾向が顕著で、その人と話していると僕は、論理に同調しながらも、決定的な結論のところで、感情や感覚を持ち出してしまい、うっかりすると持論に矛盾が生じることがある

その矛盾こそ僕と言うパーソナルなのではないかと疑っていたところに、僕が敬愛するアニメや映画の監督の、他人へのアドバイスを観てものすごく合点がいった

冷めないほとぼりは無い!

押井監督がどんな表情でこの一言を言ったのか、真顔なのか、笑っていたのか、それを考えるだけでご飯が何杯でも食べられそうで怖い(ダイエット中)

僕は多分
『”型にはまることを良しとしない普通性”を矛盾をいとわず否定する型』なのだと思う

つまり『性格判断をするだけ無駄型』と置き換えても差し支えない

”冷めないほどぼりなど無い”とはまるで花火かビューティフル・ドリーマーなわけである

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