技術の定義
昨日は高齢者割合高めの岡崎大太鼓クラス、
本日は一転してジュニア層中心の小牧本部基本重視クラスでした。
うちの教室で1番に掲げてモットーにしていることは、「太鼓だけ上手くなるな」ですが。
その話はまたの機会にして…
今日は逆の話を書きます。
「技術とは何か」です。
上手くなるために基礎が大切、という話は誰だって知っています。
しかし、なぜ基礎が大事なのか?という本当のところを突き詰めて理解している人は、教えを受ける人はもちろん教える側であっても意外と知らないものです。
和太鼓で言うと、実は基礎をやらなくても曲だけに必要なことをやっていっても舞台に立つことはできるし、それなりに人から評価をもらうことができるようにはなります。
でもそれだと、「この曲についてなら知っている」と言うだけに過ぎないので、
新しい曲をやるとほとんど全てのことがゼロからスタートになってしまいます。
基本をちゃんと身につけていれば、そうはならないのです。
基本といっても団体や指導者によって何をさせるかは様々です。
私はまず、「技術」そのものを次のように定義しています。
「高い再現性を持っていること」です。
めちゃくちゃかっこいい形でたまたま写真に写してもらえても、2度と同じ動きができなければたまたま奇跡のショットが撮れただけのことです。
本当に身についている技術とは、
いつでも同じ動きができ
何回やっても崩れず
何度でも同じ速度で表現でき
緊張していても練習と同じようにできるのです。
そこへ至るには、必要な意識で何度も反復練習し、体も頭も納得して正しく理解できるまでやる必要があります。
偉そうに言っていますが、私は本来、大の練習嫌いです。今でも、間違ったって好きとは言えません。
しかし、自分に必要なことをできるようにしたい!と思い、そのためにやるべきことをしっかり掴んでさえいれば、何度でも練習して、気づいたら1時間もあっという間に経ってしまうということは知ることができました。
大切なのは、練習に意味をしっかりと見出せているか、です。それ無くしてただ何度でもできる努力には、大した成果も成さず、人生においての意味も大きくありません。
ボールが来るイメージを全くしないで、一万回素振りした野球選手を褒めようと私は思いません。
考えが浅いと、一万回悪い習慣を身につけさせていることだってあるからです。
やる気ある教え子たちに、そのエネルギーを向かわせる先を少しでもより良い方へ向けてあげられるように、リーダーや指導者の立場にある人は常によく観察し、頭を使い、日頃から何でも学びとして興味を持ち、生かしていきたいものですね。
いつもあなたの心のそばに
メンターじゅんいちでした。
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