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ラベルをつけることには意味がないけれど。ADHDでありHSPでもありIBSでもあった?自分考

20歳ころにADHD(グレーゾーン)を自覚してから、ありとあらゆる工夫でADHDの混乱を生きてきた。だからADHDであることに(診断はされていないけれど)マイナスの気持ちはない。妻を見ていて、同じようにできないことがたくさんあるのも分かったけれど、それなりのツールとノウハウでADHDは弱みを強みにできる。

ところが、HSP(敏感すぎる人)であることに気づいたのは最近のことだ。うつ病や神経症ではないかと悩んだけれども、それよりも極度の心配性・不安障害のような症状から、たどってHSPに行きついた。

そこで、自分はADHDであり、HSPであるのかを考えていた。

ADHDはHSPと正反対?

最近読んでいる本の中で面白い記述があった。HSPという概念の生みの親であるエレイン・N・アーロンの本のなかで、ADHDとHSC(敏感すぎる子供)は正反対であると書かれていた。

HSCの大半は右脳の血流が左脳に比べて活発。しかし、ADHDは左脳の血流のほうが活発であるとのこと。ADHDは、冒険心が強く、後先考えずに行動してしまう傾向を持つが、HSCは用心深く危険をできるだけ避けようとする。これだけ見ると確かに正反対である。ところが、自分の実感から言えば、どちらもアリなのだ。

ADHDとHSPが同居する人

幼少期から、冒険心が強く、ともかく退屈を嫌い、なんでもやってみようと思う好奇心の塊という面と、それなのに、一歩も外に出ることができない恐怖に襲われる面とが、自分のなかに同居していた。

その象徴は、IBS(過敏性腸症候群)だ。

学校は好きだった。友達も多く、できるだけ、皆と時を過ごしたかった。しかし、あまりにも過敏な心と体は、学校に行こうとするたびに、私をトイレに引き戻した。毎日、通学路10分の道のりを行くのに、30分以上かかった、何度もトイレに戻った。結局、毎日遅刻していた。その顛末はこの本に書いた(いまは、糖質制限により、ほぼ治っている)

動きたいけれども動けないという葛藤。その葛藤が、まさに体に出ていた。

もともと、好奇心が湧かなければ、そもそも辛くはないのだけれど、やりたい、やってみたい、でも怖いが繰り返されるジェットコースターのような感情が私の特徴だったのだ。子供のころは、保育園に送り出そうとした父母が、大変手間取ったという。

入口から、なかなか中に踏み込めず。ひたすら観察し続ける子供だったそうだ。なんて用心深いのだろうと思っていたそうだ。

HSPは世界中の5人に1人だといわれている。いわば「左利き」のようなものだという。そうであれば、様々な特徴を帯びるHSPがいるのだろうから、ADHDのHSPがいてもおかしくはない。

ラベルに意味はない

そもそも人(自分)にラベルをつけることに意味はない。

自分は自分であって、ADHDについて、HSPについて調べることも、大きく見れば自己理解をしようという試みの一つでしかない。そして、願わくば理解したことに基づいて、もっと生きやすくなればよいという工夫を行うことなのだ。

ADHD特性に関しては、多くの工夫とツールで楽しくやっている。HSP特性に関しては、残念ながら挫折の日々だ。「メンタルを強くしたい!」私の一生の課題であるが、そもそも強くならないのかも?という一つの回答がHSPという概念を通して見えてきている。

強くならないなら強くならないで、工夫とツールで乗り切るしかない。そうであれば、ADHDと同じなのだ。私にとっては、いま、新たなチャレンジが始まったばかりなのである。




大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq