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ソーシャルディスタンスは守られるか?

ひさびさの投稿になります。

この1年の間、世界中は新型コロナウィルス
のおかげで自粛生活を強いられました。

日本でも2度目の緊急事態宣言が発出され、
再びの自粛生活突入となりましたが、
今回は昨年4月の1度目の宣言ほど、
人々の自粛ムードはなく、ピリピリと
した空気は薄らいでいるように感じます。

なぜそんなことが起こっているのか?

それは元々人類数千万年の歴史において、
三密を回避するための「新しい様式」と
いうのは人の進化の過程の方向性とは
逆行するものだからです。

原始の人類というのは単体生物であり、
単独で食糧を探しに住処から出て、
野山を駆け回っておりました。

それが肉食から穀食に変わっていく過程
で、人類同士が協力して食糧を確保する
という生活に変わりました。
あるいは狩りにおいても自分達よりも
体格のはるかに大きいマンモスや
ナウマン象などの巨大生物を食糧と
するのに、単体ではとても叶わないので、
集団で狩りを行うという方向に変わら
ければならなかったのです。

いわばその時に生きるために人類同士が
協力し合うということが、必然的に
人類の生活パターンとして刷り込まれて
いき、それが何千年と続いているのです。

それ以外に人は投てきの技術が優れて
いたり、緊張状態になりやすかったり、
非常時に火事場のクソ力といわれる
能力を発揮したりするのも、この時の
名残です。

つまり、人類は集団生活が基本であり、
人のいないところで生活するのは、
逆に不安を生むようになっているのです。

まれに集団生活を嫌う人もいますが、
それはそれで集団生活になる前に
フェードアウトした個体が何名かいて、
人類の生存戦略として単体生活の方が
都合が良いという遺伝子を持った人が
残ってしまったということもあるのでしょう。

つまり大衆心理としては、多くの人類は
密でないと必然的に不安になり、常に密の
状況に適応して生きるようになって
いるのです。

だから三密はなくなりません。

新しい様式が受け入れられず、
繁華街で三密を作ってしまうのは、
元の人類の生存戦略としては当たり前
のことであり、三密を回避する
ことは逆に大いにストレスなのです。

身も蓋もないような話ですが、
三密回避に協力するように国がお願い
しても、「日本だから」という理由で
そのお願いに従ってくれるかというと、
本質的には無理なのです。

だから欧米やアジア、アフリカなどの
一部の国では強力な私権制限を掛けて、
国民の生活を制限しているのです。

日本だけが欧米から見て、
「とても自由で羨ましい」と思われる
ような状態になっているのは、
日本国憲法の解釈によって、
強い私権制限を掛けるのは人権問題に
関わってくることになり、だから
あくまでお願いベースでしか
国民に自粛を求められないという
ことなのです。

今回の緊急事態宣言で、人が政府の
思惑通りに三密回避してくれないのも、
それは人類の歴史を考えると当たり前の
ことであり、何千年もの長い年月を
重ねて遺伝子レベルで身に付いた
生活様式をわずか一年足らずの間に
180度ひっくり返すことはほぼ不可能
に近いのです。

これで緊急事態宣言下において、
人々がすんなりそれに従わない、
いくらソーシャルディスタンスを
訴えても従わないという理由を
ある程度理解して頂けると思います。

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