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何者でもない私に捧げる仕事の考え方

学生時代からの友人は執筆業を生業としている。
一般職をしている私としては、自分自身から紡がれる表現物に向き合い続けることの苦労はひとしおであろうと感じていた。
一日中創作物に向かう。私にはどうしてもできないことである。
その思いを伝えると友人から返答がきた。
「私には逆にあなたがやっている業務をやり続ける方がすごいなと思うよ。」と。
そして友達は続けた。
「どの仕事も大変で、何を続けるのに苦労しないかだけだと思う。」
その言葉がとても心に響いた。
私は毎日PCに向かって会社システムに入力業務をしている。楽しいこともあるし、ほぼ似たような作業なので退屈なこともある。だけど私はあまり苦痛を感じないのだ。
友達は、毎日作られたものに向かって、さらに良い作品にするため推敲を重ねているのだろう。それを苦痛に感じているそぶりは特に見えない。
お互いの仕事が交換されてしまったら、お互いが辛い思いをするのだと思う。

小さい頃は何かしら私を表現できる仕事に就きたいと思っていた。何かしらになりたいと思っていた。学生時代に友人に出会って、私にはここまでの情熱が、才能が無いと気がついてしまったのだ。夢が無くなってから、地震の方向性が分からなくなってしまった。
ある時ブログを見つけた。
そこには、仕事というのは夢が無くてもお金を稼ぐことはできますとあった。そのブログの方は、音楽が好きでバンドをされていたけれど、そういった道に進むことはしなかった。その代わり銀行員として仕事をすることを選んだ。夢がないと生きていけないことはない。どんな道でも前に進んでいけるんだと、そっと背中を押してもらった。
その時と同じ感覚を友人と話をして思い出したのだ。

仕事は、お金を稼ぐだけと思ってしまえば単純で単調でそんなこと続けたくないと思ってしまうかもしれない。社会的に表にいる人をみていたら、そちら側に行きたいと夢見てしまうことも多いと思う。だけどそちら側になれなくても、生きていていいのだ。働いていっていいのだ。
何者になれる人の裏側も自分と変わりはないし、嫌なこと楽しいことはどんな仕事にもある。どんな仕事でも生きていけるんだ。

…と何者になれない、なれなかった若かった自分に伝えたかった。そんな自分に似ている誰かに届けばいいな。

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