そろそろ自分の性質を受け入れようかと思う。

オカダトモコちゃんが、一年の仕事として、私のことを書いた記事を紹介してくれていた。

改めて読んでみると、そういえば私は今年のはじめ「エネルギーのことをもっと普及させたい」って言ってたんだった。

実際エネルギーケア講座を開催した。だから、動かなかったわけではない。

でもなんか、「やったぞー!!」と思わないってことは、私の中ではまだまだ「がっつり」やってないってことなのだろうな。

感覚でいうとうっすらスタートしたくらい。
むしろ今年の後半は関わってるイベントごとの仕事が忙しなくなったものだから、むしろ止まっているくらいだった。

…のだが。
先日お友達と奈良に行った時に、お友達に「さやちゃんの場合は、神さまが甘えてるんよ」と言われた。

甘えられてるらしい。
自覚がないかと言われるとうっすらとある。

おそらくそれは、私が「神さま」と呼ばれている人たちとわりとフランクに接しているのが原因で、感覚的には「お友達」くらいの関係性でいるからだと思う。



そもそも見えたりするのが当たり前ではない、いわゆる普通の家庭で育ってきて、なんとなく感覚的に分かるようになったのは成人してからだったりする。

さらに、ある程度ロジカルに納得できないとイヤな性格なので、「だって見えちゃうんだから、見えない世界の存在たちもいるわよー」とは手放しで言えなかった。

そしてたまたま見ていたいわゆるスピリチュアルにハマり出した人たちが、どこか垢抜けてなくてほっこり系だったり、ふわふわした気持ち悪い言動をしてるように感じていて、ああいうのは好みじゃないと遠ざけた過去がある。


しかしまあ、自分の中でエネルギーはこういうものだというシステムがある程度固まってくると、周りから「なんか神さまのこと知ってる人」的な扱いを受けるし、見える人からは「守られてます」と言われるし、まあそんなこんなで、そろそろ諦めようかなと思うようになってきた。

今日も神社に散歩に行ったのだが、大掃除で厄男さんたちがいっぱいで拝殿に辿り着けずに帰ってきた。そうしたら、神社がうるさかったのか、たまに神社にいる存在(とりあえずここでは「神さま」と呼んでおく)が着いてきた。

家に帰って「神さまが着いてきたからお酒ちょうだい」と母に言ってみたら「あらそう」と普通に受け入れられのだ。

家族が当たり前に受け入れてるなら、まあ、もういいかーとあらためて受け入れることにしたのである。

ちなみに、神さま(一般的にいう「眷属」さんと呼ばれてる存在と思う)は、私が大掃除の窓拭きをしてる間にいつのまにか帰っていた。

神さま用のお酒を用意しながら、「来たら歓待されるっていいわよねぇ」と呟いたら、「歓待されるって分かってるから来るんでしょ」と母に言われた。

なるほど。
確かにそういうところが甘えられてると言われる所以なんだろうな。

でもまあ、客神(まろうどがみ)は善神であれ悪神であれ、歓待しておくのが良いのである。恵みも悪業も、いろいろくれるのが見えない世界の存在だが、だからこそ、大切に向き合うと向こうもそれなりにこちらを大切にしてくれる。

そう信じられていた。
この国の文化なのだ。

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