私はかつて「国家公務員を目指さない理由」というnoteを書きました。
それから半年余りが過ぎ、国家公務員になる意思決定を最終的に下そうとしている今、最後に気持ちを整理しておきます。
これら①②の思考に対して、官庁訪問を終え、国家公務員として働くことが一番リアルになった今、思うことを述べます。
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<社会貢献という軸について>
→この感覚一生忘れたくないです。自分で好きで選んでいる仕事なのであって、別に誰から頼まれたわけでもないんだよね。使命感を持ってやるのはいいけど、私みんなのために頑張ってます、みたいな風を吹かせたくなる日が来たら私はおしまいだと思う。
→社会貢献という言葉のマジックワード的性格についてはもちろん認識するとして、政府系機関との比較で、「公共性」という言葉の多義性にも気づいた。
政府系機関は部分最適というか、案件を進めていく時の軸に「公共性」というものがあるのだけれど、でもそれは全体(日本国)にとっての最適として整合性が取れるものでは必ずしもないと感じた。そこに違和感を感じてしまうあたり、やはり自分は国で働く方が納得感を持てるのだと思いました。
<キャリア・出世について>
→やっぱり自分が思い描くかっこいい仕事っていうのは、国際的な場で「日本国」を背負って利益を代表している姿な気がする。いつかやってみたい。
→なんのための成長か。目的のない成長なんて空虚。せっかくこの省庁に興味を持てたのなら、そこで頑張ることが私にとっての「成長」への近道だと思えています。
→むしろこの省庁でなら、出世をしたいと思えた。日本の行政の質を上げるためには、外務省以外にも国際的な視野を持った職員が増えることが絶対に必要だし、なるべく意思決定に携われるポストについてみたい。
<女性としての働き方について>
→この省庁でなら、ロールモデル的な霞が関の女性の働き方が作れると思った。しかもこの省庁自身がそれを強く望んでいることもわかりました。それを自ら体現することで、他の省庁を牽引していく一員になりたいと思いました。
<政策決定プロセスについて>
→政策決定のプロセスが非効率的なのは、それだけ難しくて複雑で関係者が多いというのもあって、ある程度仕方のないことなのかなと思った。
制度自体見直す余地があるところは、その問題意識を共有する人がいるはずだから、提言すればいい。変えていかなければならない。さらに、政策決定プロセスが非効率的だからと言って、じゃあそこに優秀な人がいくべきではない、ということにはならない。そんなことをしていたら、いつまでも変わらない。
→諸勢力の妥協点を見つける立場にあれること(実態はともあれそれを理想及び本来の役割とできること)が官僚の魅力だと思うし、これぞやってみたいと思うようになった。
<一緒に働く人たち>
→②で言っていたこともあんまり中身がなかったなと思いました。
今は結局、自分と似ている人が多い組織がいいのかなと思っています。
私の志望する省庁の職員の方について尊敬している点は、バランス感覚がものすごいことです。
何に対してもメリットデメリットを見いだすところが自分の志向性と似ているし、社会を至極客観的に捉えて、希望は持ちながらも楽観的になりすぎず、常に前提を疑い、自らの役割を変化させ続ける気概を持っているところがいいなと思った。
これらを全て兼ね備えている職員の人がたくさんいる職場は、同じ公的機関でも他にないと思います。
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そんなわけで、今までのいろんな思考を振り返ってみて、過去の自分に背中を押された感じがします。
今の私に見えているものは一部に過ぎないし、後から考えたら理想主義的すぎて笑っちゃうとこもたくさんあると思う。
でもこれからもたまにこのnoteを読み返して、原点に立ち返ることって大事な気がしました。おしまい。