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「思考の整理学」で私は思考を整理している。

「私自身の思考はどのようになっているのか?」に興味あります。私自身の「企画」を企むときの思考の流れについて体系化・言語化したいと考えているからです。

その体系化・言語化のために、定期的に読み返す本があります。その中の1つが「思考の整理学」。

この「思考の整理学」については過去いくつか書いています。
本日はそのまとめのnoteです。


その1「とにかく書いてみる」。で私はnoteで書いている。

”とにかく書いてみる”の章
”とにかく書いてみる”の章に文章を書くことで”もやもや”を”すっきり”させる過程が整理されています。もやもやしている人は是非読んでもらいたい。


その2「しゃべる」。で私はnoteを音読してる。

声を出してみる。声で考える。
声を出してみると、頭が違った働きをする。
沈思黙考は、しばしば、小さな袋小路の中に入り込んでしまって、出られないことになりかねない。


その3「拡散的思考と収斂的思考」の2つの思考を区別する。

われわれには二つの相反する能力がそなわっている。

① 拡散的作用
与えられた情報などを改変しよう、それから脱出しようというもの
② 収斂的作用
バラバラになっているものを関係づけ、まとまりに整理しようとするである。


その4「不幸な逆説」の話。空を飛ぶ自分はグライダー型?飛行機型?

「不幸な逆説」
小学校へ入る子供は、まだ、勉強がよくわかっていない。ものを知りたい気持ちはあるけれども、どうしたら知識が得られるか、見当もつかない。
とにかく、先生に言われるように勉強しなさい、となる。ひっぱるものがあるから、動き出す。自分で動くのではない。受身だ。

本来の学習がそうであってはいけないのはわかり切っているけれども、制度としての学校ができてしまうと、各人の自発的な学習意欲を待っているわけには行かない。就学年齢がきまっている。そのときいっせいに学習への準備ができているはずはないけれども、ひっぱるのには、いっせいでないと不便だ。ひっぱられる方は、なぜ、ひっぱられているのかよくわからないままひっぱられる。このはじめの習慣は学校にいる間中ずっとついてまわる。強化されこそすれ、弱まることはない。そればかりか、社会へ出てからも、勉強とは、教える人がいて、読む本があるもの、と思い込んでいる。


その5「すてる」。知識が飽和状態に達したら個性による再吟味が必要。

捨てるには、その人間の個性による再吟味が必要。
これは没個性的に知識を吸収するのに比べてはるかに厄介である。
本はたくさん読んで、ものは知っているが。ただ、それだけ
という人が多いのはなぜか?
それは本当に面白いものと、一時の興味の区分けをする労を惜しむからである。


その6「既知と未知」。文章を読むときの3つの知的活動

知的活動の3つの種類
知的活動には3つの種類が考えられる。
・既知のことを再認する。
・未知のことを理解する。
・まったく新しい世界に挑戦する。


自力で飛翔するためのヒントが詰まった「思考の整理学」


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Photo by Jan Kahánek on Unsplash

アレとソレを組合せてみたらコノ課題を解決できるソリューションができるよね?と言うパズルをやるような思考回路です。サポートして頂いた費用は、プロジェクト関連の書籍購入やセミナー参加の資金にします。