「不快」にこそ新しい自分を開く可能性があるのではないか?「違和感」が大事ではないか?
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「不快」にこそ新しい自分を開く可能性があるのではないか?「違和感」が大事ではないか?

昨日(9月19日)越境人材の祭典「インタープレナーサミット」のお手伝いをしていました。自宅から配信を見ながら14時から20時20分までぶっ通し。SUNDREDのTwitterアカウントでリアルタイム投稿をやってみました。

投稿数は100くらい、対した数じゃないかもしれないけどね自分なりに頑張ってみた。言っていることを咀嚼して言葉に変換するって難しい。ライトニングトークは皆さん早すぎて追いつけなかったで、早々にここは諦めた。どこまでイベント登録者数などの成果に結びついているのか?は正直自信はない。アナリティクスの数値は低い。


「インタープレナーサミット」前までの私。

数年前、まだ40代後半だった頃。あれ?もうすぐ50じゃん。
やべー、このままじゃやべー。
何かよくわからないけど、絶対やべー。

って事で色々なイベントに顔を出して名刺交換したり、Yentaやってみたり、noteを沢山書いてみたり、個人でもイベントを開催してみたりと。

気が付けば、あると思い込んでいた「壁」なんか無いって気が付いた。
ほんの少しの勇気で「越境」ができた。私はできていると思っていた。
「越境」という言葉に「心地よさ」も感じていた。


「越境」について考えた一日が終わって

「インタープレナーサミット」のセッション。全部しっかり聴いた。(Twitter担当だから当たり前ですが)8割くらいは同じ感覚、私にとって「心地よい」感覚だった。

でもね、モヤモヤ残ったんですよ。

「違和感」のある感覚
「それできていないよね?って言われた感覚」
「何となく誤魔化していた、耳が痛い感覚」

だから投稿したTwitterと手元にある殴り書きのノートをみながら整理。「対話」とは何か?「越境」とは何か?

「対話」で歩み寄る

そもそも、なぜ「対話」は重要なのか
どちらが優れているのか?を決めるものではない
歩み寄る。歩み寄っていく
勝つための議論ではない

組織を脱ぎ捨てる

我が社から始めると「対話」は生まれない
○○会社の○○です。だと「対話」は生まれない
「私」「自分」を主語に
組織を脱ぎ捨てる

一部の人の話を全員の総意にしない

「対話」は多くの人とやらないといけない
でないと、「分かっている人」のみの話しが進む、進んでしまう
すると一部の人が全員の総意になってしまう

「心地良い」に疑問

「不快」にこそ新しい自分を開く可能性があるのではないか?
そこの「対話」に可能性があるのではないか?
「話しが一発で通じる」と「心地よい」
そのうち、自分達だけで通じる、言葉を使うようになる
「心地よい」から

そこに縛られない

”聴く”けど”聴く”ことが目的ではない

そこから何を起こすか
対立を恐れない
俺はこう思うよ
と言えるか

「歩めない」人は「歩めない」でなく「歩まない」って決めている

見えない鎖、3つの「お」
・おそれ
・おごり
・おもいこみ
これが自分を枠にはめてしまう

「歩めない」人は「歩めない」でなく、自分で「歩まない」って決めている

「を」ではなく「も」

好きなこと”を”やろうではなく、好きなこと”も”やろう
「何かを始める」には「何かをやめる」これは思い込み

自分の喜怒哀楽を大事に

身近で、ちょっと面倒くさい事を、身近な違和感と繋がることが大事
”会社人”は違和感を飲み込む、我慢する
”社会人”は自分の違和感を大事にする

自律の「律」

律する方の「律」ではない
自分の旋律を奏でる方の「律」
どうやったら自分は幸せであるのか?


既にイベントは終了していますが、アーカイブ動画の視聴も可能です。(一部公開していないものもあります)
※登録は2021年9月末まで可能のようです。


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柏木誠|プロジェクトデザイナー

アレとソレを組合せてみたらコノ課題を解決できるソリューションができるよね?と言うパズルをやるような思考回路です。サポートして頂いた費用は、プロジェクト関連の書籍購入やセミナー参加の資金にします。

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プロジェクト最初の難問は、関係者間で"様々なズレ"があること。これを2つのデザイン側面(設計のDESIGN、意匠のdesign)から整理し「共創の景色 / 実現すべき未来」を描くことで解決するプロジェクトデザイナー。境界が無い世界のプロジェクトマネジメントについても思案中