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アーカイブ2-始まりの森-

ライブへと向けてバンドを組み上げていく。

まずは当時活動していた二つのバンドを合体させる事を思いつき、
アゴの下のポニョでアコースティックギターを担当していた
藤ぃ(藤本大樹)
パーカッションを担当していた
ナベスケ(渡辺亮介)
土手KINGでベースを担当していた
西川(西川直希)
ドラムを担当していた
壱(坂本陽平)
そこに以前ライブバーでセッションした時に手応え感じた
松ケンさん(松井孝雄)
を迎え6人編成で活動していく事を決めた。

まずはバンド名を、当時女房役と言っても過言では無い存在だった、藤ぃと相談する。
その時に藤ぃが持ってきた名前が「memento mori」であった。
死を思えという言葉の意味に非常に共感し、そのままより「mori→森」にした方が面白いのでは無いかと提案(彼と組んでいた歌was,も漢字と英語の組み合わせだったという事もあった)、
「オリジナリティがあるし、memento=英語で記憶というのも良い。光や影、過去現在未来、そう言った様々なものが入り混じり合い記憶と幻想が倒錯する森に迷い込んでしまう様な表現をしたい!」
という事で満場一致(二人)で決定。
森という言葉が出てきたのは、その時丁度、山間にある防砂ダムの上で話していたという事もあったのだが、
あの日鬱蒼と茂る木々と木々の間から見えた、満月に照らされた海を今でもハッキリと覚えている。

そこからはスタジオに入り作曲の日々だった。
元はドラマーだったナベスケは、ドラムの壱さんが居た為にパーカッションというパートに落ち着くが、
当時はドラムセットの対面に立ちタムタムを外に向け、横の台にゴミ箱(当時ナベスケが海外のストリートミュージシャンでゴミ箱を叩いて演奏している動画にハマっていた)とエレクトロドラムのパッドを配置するという謎のセット、
更には藤ぃはそのままアコースティックギター、松ケンさんはエレキギターという配置。
今考えると、あまりにはちゃめちゃ過ぎるその編成は、かなり音のバランスが難しくそれぞれのパートを魅せる為に、作る曲作る曲どれも非常に長尺の曲だった(1曲6分なんて当たり前)。

しかし、長尺のおかげで何とかライブの枠に足りるだけの曲が完成、いよいよ初ライブ当日を迎える事になる。

正直この辺りの記憶はかなりムラがある、必死に曲を作る事とライブに向けての緊張感もあったと思う。
ただ一つハッキリと言えるのは、この一本のライブで、企画バンドとして結成されたmemento森の本格始動を決断したという事である。

幸い編成の奇抜さも手伝い、周りから中々の評判を頂き、駆け出しの割にはトントン拍子でライブスケジュールが埋まっていった。

その最中、例のMersey Beatからとんでもない話が舞い込んで来る。
ここで我々は一つ目の別れを決断する事となる。


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memento森結成10年初ワンマンライブ!!

【2nd Full Album『KNOWN』Release OneMan~無知の知~】
3/31(Sun) @心斎橋 Live House Pangea(大阪)

open/17:30 start/18:00

4/5(Fri) @下北沢 SHELTER(東京)

open/19:00 start/19:30

チケットは

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