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「誰もが、誰かの支えになるプロジェクト」ができるまで

ものづくりのプロジェクトを、かれこれ4年近くやっています。

障がいのある人と、生活に困っている人が連携して古着を使ったものづくりをし、その売上から寄付金を生み出すことで、福島の原発被害に遭った人たちを支援する、というもの。

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とはいえ、実はこのプロジェクト、前職のNPO法人在籍時に、法人内で始めたものでした。退職後、私の事業に移管したのです。今日は、このプロジェクトがなぜ始まったのか、、という経緯をご紹介します。

チャリティーショップへの寄付品も、多くは廃棄されていた

私が在籍していたのは、NPO法人FREE HELPという、日本では珍しい、古着のチャリティーショップを運営する法人です。年間約6トンもの不要な衣類が家庭から持ち込まれ、それらを仕分けし、店頭で販売し、売上から一定金額を、障がい者の就労支援、生活困窮者の生活支援など、地域の団体と協働でさまざまな支援事業を行なっていました。

年間6トンというのは本当に膨大な量で、それらを仕分けするのは大変な作業でした。汚れやほつれなどをチェックし、店頭に出せるもの/出せないものだけでなく、新品の下着や靴下などは、連携しているホームレス支援団体へ寄付するもの、として仕分けるのです。

残念ながら寄付衣類の約3割〜半数は、汚れや傷があり、店頭で販売したり、寄付品にしたりすることはできない状態のものでした。素敵な柄のワンピースや面白い色味のシャツなのに、脇部分に汗染みがあったり、ボタンが1個外れていたりするだけで、廃棄するしかなかったのです。(とは言っても回収業者が引き取った後、いくらかは活用されています)

スタッフはみんな、この状態を「もったいない」と思っていました。「アップサイクル」という言葉が浸透してきた頃だったので、アップサイクル商品を作りたい、という声が何度も上がりました。でも、寄付品を受け取り、仕分け、アイロン、値付け、販売、、、と、日々の作業に追われ、なかなか新しいことを始める余力がない、というのが現状でした。

福島のおばあちゃんのために、と集まった毛糸

東日本大震災があったとき、フリーヘルプからも多くの物資支援をしました(私は当時まだ在籍していませんでしたが)。その時につながったのが、福島の仮設住宅に暮らす、元々は原発避難区域に住んでいた方々でした。

高齢の方がほとんどで、元々は農業を生業としていた人ばかり。原発事故のせいで畑は使えなくなり、収入を得ることが難しい状況になっていたため、手先の器用なおばあちゃんたちが毛糸で小物を作り、それらを売ってわずかな収入にしている、材料の毛糸を買うのも結構な支出になり苦しい、ということでした。

それを聞き、2015年からフリーヘルプでは「毛糸の寄付を募り、その毛糸でおばあちゃんたちに編み物をしてもらい、その小物をお店で販売し、売上を全てお渡ししよう」と、毎冬にこの取り組みをすることになりました。

ホームページに「福島支援のために、不要な毛糸の寄付をお待ちしています」と案内したところ、なんと全国津々浦々から、想定をはるかに上回る数の毛糸が集まりました。おばあちゃんたちには使いきれないほどの毛糸玉が、倉庫に蓄積されていったのです。

障がい者支援団体「明桜会」との出会い

2016年3月、明石市の障がい者支援団体「明桜会」が西明石駅のすぐ近くで運営するコミュニティスペース「コットンベール」にて、東日本大震災から5年の追悼イベント「キャンドルナイト」を行うにあたり、福島のおばあちゃんの毛糸小物を販売させて欲しい、と依頼を受けました。

どうして障がい者支援団体が東北の追悼イベントをするのか?どうして障がい者支援団体がコミュニティスペースを運営するのか?このイベントをきっかけに明桜会の担当者さん(明石市立木の根学園のスタッフ)とお話しする機会が増えました。

その中で「障がいのある人たちは、自分たちも誰かのためになりたい、という思いを抱いているんです」という目から鱗なお話があったのです。「東北支援のために、何か一緒に取り組めないだろうか」と、木の根学園とフリーヘルプの共同企画を考えることになりました。

生活困窮者支援事業のリニューアル

ちょうど同じ時期、フリーヘルプの古着の売上寄付金で運営する生活困窮者支援事業のリニューアルが進んでいました。現在の「ふらっとホーム東はりま」です。

生活に困っている人が気軽に相談に行ける場所・困っている人同士が交流を深め、仲間ができる場所・・そんな場所を目指し、ボランティアの運営メンバーと相談をしていく中で、「みんなで食事をしたり、軽作業をしたりと、相談だけでなくみんなで”活動”をしては」という案が上がりました。

ならば、毎週水曜に行なっている相談会のうち、毎月1回は「ワークの日」とし、その日は相談だけでなく、みんなで食事をし、食後に古着を用いた作業をすることにしよう、となりました。

そこで、福島のための毛糸や、木の根学園との企画のことが頭をよぎりました。「全部がつながれば、大きなことが起こせるのでは?」そう思ったらあっという間に、企画書が完成してしまうのが、私のいいような悪いような癖。すぐに木の根学園へお話をしにいったのを覚えています。

デザイナーにデザインを依頼し、試行錯誤を繰り返す

木の根学園のみなさんも、ふらっとホームのみなさんも、この取り組みに前向きに協力してくださることに。「福島のために」と集まった毛糸なので、あくまで目的は”福島支援”として、両者で協力してものづくりを進めることになりました。

そうと決まったら、次は「何を作るか」です。取り急ぎ決まった材料は、毛糸と、古着を素人が裁ちばさみでカットしたリボンテープだけ。しかも私は、「福祉に関係ない人が見ても”欲しい!”と思えるデザインにしたい」という思いがありました。今となっては大変申し訳なく恥ずかしい思いでいっぱいなのですが「福祉製品はおしゃれなものが少ない」と思っていたからです。

そこで、知り合いを通じて京都でオートクチュールの仕事をされているファッションデザイナー(Atelierこずえさん)を紹介してもらい、「この材料で、子どもでも簡単にできる小物をデザインして欲しい」と、お願いをしました。

1月もしないうちに、彼女からは10近くのデザインがあがってきました。木の根学園の、編み物を担当するグループが作る予定だったので、編むデザインが中心だったと思います。そのアイディアを並べて木の根学園の担当者さんたちとやりとりをし、「これなら作れる!」となったのが、現在のシリーズ”ぐるぐる”のデザインでした。

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(↑当時、あがってきたサンプルがこちら)

ぐるぐるモチーフを使って作れる小物となると、自ずとアイテムは決まってきました。ブローチ、ブレスレット、キーホルダーが最初のラインナップでした。大小の2サイズを作り、2016年12月、ついに販売がスタートしました。

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ブランディングの要は”支援のコラボ”をどう伝えるか

このプロジェクトは、「福島支援のために集まった毛糸と、着られなくなった古着を用いて、障がいのある人と生活に困っている人たちが連携し、福島支援のためのものづくりを行う」という、実にややこしいしくみ。さらに、売上から50円が福島の仮設住宅へ、50円がふらっとホームへの寄付金となるだけでなく、木の根学園の利用者さんたちの作業賃も考慮して販売金額を決めました。

しっかり説明しないと何も伝わらないことは明らかでした。ブランディングをしっかりしたいと考えた私は、「誰もが、誰かの支えになるプロジェクト」という名前をつけ、ブランドロゴや商品タグを地元のデザイナー・andさんに依頼しました。期待以上に、素敵なロゴ・タグを作ってくださいました。

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↑絶妙なフォントで仕上げてくださった素敵なロゴ

商品の販売は、2016年の年末でした。販売箇所は、フリーヘルプの店頭と、木の根学園さんのイベント販売のみ。当然ながら、それだけではなかなか反応がなく、ガッカリしていたのですが、フェイスブックページを作ったり、みんなの経済新聞に載せていただいたりする中で、次第に興味を持ってくださる方が増えてきました。

中でも嬉しかったのが、雑誌「TURNS」からの取材でした。ローカルな取り組みを紹介するコーナーでの小さな枠でしたが、全国誌から早々に取材があるだなんて、、!と興奮したのを覚えています。

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ここで、”支援のコラボ”というキャッチコピーをいただけたのは、このプロジェクトを続ける上で非常に意味が大きかったと思っています。以後、この言葉を何度も使用させてもらっていますし、この言葉を使うと、ややこしいこのプロジェクトの仕組みが説明しやすくなるのです。ライターさんに感謝しています。

徐々にわかってきたのが、「この商品は置いているだけでは売れない」ということ。ただ、ストーリーを語ると、多くのかたが共感してくださり、購入してくださるのです。しだいに、販売のメインは店頭ではなく、災害支援関連・エシカルファッション関連・そのほかSDGsなどに関わるイベントになっていきました。対面してお話をすることで、ようやく伝わるのだと思います。


「東北の人が困ってるんやろ?」と頑張る姿

私は、自分の担当する事業なので「ふらっとホーム」の作業には毎月足を運んでいたのですが、そこに通われる方たち(ホームレスや、失業状態の方など)が、このプロジェクトに大きなやりがいというか、「誰かのためになっている」という自負を持っていることに気付きました。

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(↑作業のようす。昼食後にみんなでお喋りしながら取り掛かります。)

ある夏の日、みんなで昼食を囲んだあと、「さぁ今日もチョキチョキしましょ〜」(唯一の若め女性の私はいつもこのテンション)と、古着をみなさんに配り始めたところ、一人の男性がお腹を抱えて床に寝ているではありませんか!

「どうしたんですか?大丈夫ですか?無理しないで今日は帰りましょう?」と声をかけたところ、「いやでも、これやらないと、東北の人が困ってるんやろ?」と、無理に立ち上がって作業に取り掛かろうとしたのです。

これには本当にびっくりしました。正直なところ私ははじめ「生活が苦しくて困ってここに通っているのに、こんな作業をやらされて嫌なのではないか」と思っていました。でも、このような発言があったり、毎月作業をする日は必ず通ってくださる方もいたりと、みなさんが少なからず、このプロジェクトに参加することにやりがいを感じているのだなぁと、私自身も自信を持つことができるようになりました。

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(↑神戸新聞さんからも取材を受けました)

このプロジェクトは名前の通り、”誰もが、誰かの支えに”なることを証明するプロジェクトなんだと思っています。

”支援事業”に通う、普段は被支援者である人が「困っている人のために」と一所懸命取り組んだり、ファッションデザイナーが簡単に作れる商品を考えたり、デザイナーがややこしい仕組みをわかりやすくタグにまとめたり、、、こうやって書き出してみると、本当に多くの方が、それぞれに誰かのために、支えてくださったのだなぁと、実感しています。

環境が変わり、どう継続していくのか

このプロジェクトがフリーヘルプから私に移管したのは、2018年4月のこと。私が妊娠を機にフリーヘルプを退職する際、商品の管理をしてくださっている木の根学園の担当者さんとも相談して、私が全体を管理しながら継続していくことになりました。

ところが悪阻が酷く、里帰り出産後の体調も芳しくなく、ほぼ1年間、何もできない状態が続きました。木の根学園の担当者さんも変わり、私はふらっとホームへ通うこともできなくなり、だんだんと連携が薄れてきていることに不安を感じながらも、何もできない自分がいました。

それでもなんとか、2019年はイベントに何度か出店し、その都度たくさんの方に購入いただきました。秋には木の根学園からもテコ入れの打診を受け、新商品・ピアスを投入したところ、大人気商品となりました。

そして今年の4月、子供を保育園に預け本格的に社会復帰を目論んでいた矢先の、コロナ禍。イベントにも出店できず、関係するみなさんとお会いすることがますます難しくなり、寄付金が全く生み出せない状況が続いています。

私の事業としてECをはじめようと思ってはいるのですが、それにはまだ時間がかかりそうなので、どうしようかなと思っていたところ、舞い込んできたのが、以前大阪のイベントでご一緒したアクセサリー作家・umiumiさんが主催される、「ステイホームマーケット大阪」(5/9.10開催)です。

大阪のイベントで商品を販売したこともあったので、なんとか参加条件をみたし、出店を決めました。それと同時に、インスタグラムのアカウントを取得し、過去の画像をいくつか投稿。少しでも事前にこのプロジェクトを知ってもらおうと、必死に毎日更新を続けています。

ここで、通販会社で働いていた経験が生きてくるのでしょうか?子どもに邪魔されないスペースに撮影コーナーを設け、日々撮影を進めています。

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Instagram上という初めての場所で、どれだけの方の心に響いてくれるのか、ドキドキしますが、まずは今、できる限りのことをやってみて、コロナの騒ぎでますます世間からの関心が薄れがちな、今もなお原発被害に悩むみなさんを支えることができれば良いと思っています。

長くなりましたが、これからも継続していきたい大事なプロジェクトです。共感いただいた方は、ぜひ、Instagramから、「ほう、こんなものを作っているのかぁ」と、見てやってください。

※だだだっと書き綴った記事ですので、時間をかけて編集していく予定です。写真も過去のものを掘り出して、充実させていきたいです。


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