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私にとって特別な日に書いた、はじめてのエッセイが公開されました。

私には、かれこれ11年間、できる限り予定を入れずに過ごす1日がある。

8月30日。友人の命日。

そんな日に、たまたまタイミングが重なったこともあり、お世話になっているgreenz.jpで、自分のライター人生を振り返るようなエッセイを執筆。

そんな日に書いたので、最後の1章を書きたいがための、そこまでのタラタラタラタラ。自信がなさすぎて、公開されてからも本心はSNSでシェアしたくなかった。でも、読んでもらうために書いたんだもの。気を取り直して。

noteを始めてから思っていたことだけど、自分のことを書くのって取材先のことを書くのとは全く違って、自信が持てない。昔はブログに恋愛観とか書いてたくせに。あの曝け出しマインドはどこへ消えてしまったのやら。

1か0かマインド、馬鹿正直。

この2つが今回のエッセイ執筆を妨げていた気がする。「ある程度でいいや」とか「ここは端折って…」とかができなかった。いや、大分したんだけど。人の話を記事にするときは、「この人のこの部分を切り取って魅力を伝える」ことを潔く選択できるけど、自分の場合は、「いやでも全てここに繋がる事実だし、ここ端折ったら事実と少し違って読み取れそう…」って。タラタラタラタラと。沼ってしまった。

出来上がったものを読み直しても「で、これで誰が得するの?」と恥ずかしくなる。

できるだけこっそり公開しておこう→ページのカウンターが全く増えない→ほらねやっぱり。誰も興味ないじゃん→いやでもせっかく書いたしSNSでシェアしよう→まずはフォロワー20人のTwitterで→増えない(あたりまえ)→ああやっぱり私なんて誰も(以下略)→ビール飲んだ勢いでFacebookドーン→超いいねマーク(♡)がたくさんついて嬉しい←イマココ

てな具合に、負のループがスタートしたり、ちっちゃなことで一喜一憂したり。情けない。小心者め。取材記事ではカウンターなんて参考程度にしかしないのに。

でも、いいトレーニングになったので、これを機に、エッセイを書く機会が欲しいなぁなんて薄ら思っている自分もいたりいなかったり。

さて、今回、なぜこんなエッセイを書いたのかというと。

greenz.jpの「グリーンズ作文の学校」でゲスト講師をするからです!

9月〜10月、数回にわたり、実際に取材記事を書きながらライティングのスキルアップをはかれる講座です。noteでの発信にも役立ちそう。ここの卒業生が、greenz.jpで書いているという例もあるので、「greenz.jpで書いてみたい」という方には強くおすすめ。

特に関西の方、一緒に関西のソーシャルデザインを盛り上げるべく、ぜひ!

申し込み締め切りはもうすぐ、9月14日(月)!!質問などありましたらコメント欄にお気軽にどうぞ。





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