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【ネタバレ感想】シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を観た

※この記事にはシン・エヴァンゲリオン劇場版のネタバレが多く含まれます、お読みの際は十分お気を付け下さい。責任は負いかねます※

※一個人の感想であり、考察でも何でもありませんので、一つの考え方として捉えていただければと思います。批判コメント等お控えください※ 

初めに

色んな深いお気持ちやら、エヴァンゲリオンに対する感情がふつふつと絶え間なく湧き上がっている私は、シンエヴァンゲリオン劇場版を完走した1時間後の私だ。私が齢12歳の時から追いかけ続けて、待ち続けて、愛し続けたエヴァンゲリオンの幕引きを、一体どう捉えていいのか分からない。本当に「とても良かった」素敵なラストを迎えたなと思った、しかし「これで良かったか」と言われて、うんうんと頷けるわけでもない。待ち望んだ時間が長すぎて、あまりの喪失感の大きさに感情が未だについてこないのだ。それだけ、私の中でエヴァンゲリオンという作品は特別なもので、唯一無二なのだろう。

綾波レイは世界一のヒロイン

手始めに思ったこと。
序盤の長閑な安息シーンに心が追いついていかない。そして私の(私のではない)レイが本当に可愛い。トウジが出てきた瞬間も生きていたことへの喜びで死にかけたし、大人になってあのトウジが医者になったなんて感慨深くて…シンジのことをこれっぽっちも非難したりしないで、大切な家族の住む家に嫌な顔一つせず自宅に迎え入れてくれる。変わらず友達だと言ってくれる。それはケンスケも同じだったわけだけれど。

友情の温かさとか、変わりゆく世界の狭間にある変わらないものの美しさに心惹かれる序盤でもあった。それがシンジくんを苦しめることにはなっていたんだけど…シンジくんは不幸の中で恵まれているよな…と、人並みに感じる。

エヴァンゲリオンに乗らないパイロット達の束の間にも見える平凡な日常。アスカは暇あればゲーム機を弄りケンスケの帰りを待ち、シンジは自分がしたことに対する罪の重さを噛み締めて、肩にのしかかるその重圧を一人きりで抱えたがる。

そして初号機に助けられた彼女ではないアヤナミレイの初期ロットは「自由とは何か」「綾波レイではない自分とは何か」を模索していく。

目に見える万物に興味を示して「これは何?」と問いかける彼女の声色は、何だかクローンのそれではない。少し高揚したような、未自覚のワクワクが露わになっているようで本当に愛らしい。生粋のアヤナミストである私、数億年振りに在るべき姿の「萌え」を感じた気がする。これが、愛おしいと思うということ、好きだと感じることか………と、静かに劇場でその感情を一心に体感した。破の頃の綾波レイではないけれど、彼女の愛らしさと美しさと純粋さは根付いているのだな…と。つばめの頬をふにとなぞって「これが可愛い?」だとか「これが寂しい?」と涙をポロポロ流すレイの、儚げで抱きしめたくなるような魅力はやっぱり唯一無二だと思う。本当に大好きで堪らない。

シンジと"大人たち"の交錯する想い

そんな日常の中で、先にも書いたようにシンジは心を閉ざして、自分がしたことに対する罪の重さを噛み締めながら、肩にのしかかるその重圧を一人きりで抱えようとしていた。

これはQとは対照的なシーンに思えた。

Qではシンジくんの方が周りの、特に大人に見られていなかったようなシーンが多々あったからだ。

ミサトはバイザーを片時も外さなかったし、ゲンドウはゼーレのマスクをしてミサト同様目線が何処なのか曖昧だった。リツコはずっと背中を向けていて、アスカですら片目には眼帯をして、シンジを何も分かってないガキだと決めつけて、シンジの言葉を聞き入れようともしない。他の登場人物も、皆そうだ。当時のシンジに寄り添って、等身大の存在でいてくれたのはカヲルだけだったように思える。そうなった時、カヲルに依存するのは分かるよ、と思っていた。

それがシンになると大きく逆転していた。トウジやケンスケの友情の名の下にある優しさや情の付与、アヤナミレイの胸襟を開いたような接近、アスカの愛情故の訴えや不器用な気遣い。

側にいる誰もがシンジに対して友好的で、「生きていてくれて良かった」と感じている。ニアサーのトリガーであり、世界の崩壊を招いた彼にとって、これ以上の苦しみはある意味なかったのだろう。「お前のせいだ」と罵られた方が、どんなに気が楽だっただろう。

この「シンジが許容される」世界が構築されることで「あ、シンジくんも他者を顧みてなかったんだな」ということに気が付いた。

Qではただただシンジが一方的に見放されたかのような描写で、自らの意志でニアサーを起こしたかけたわけでもないシンジが結果論に基づいて否定されていることに、疑問を抱いていたりもしていたんだけど、今回のシンではシンジの方が他者を、特に大人を見つめない。自分を置いて大人になっていった友人達の声を聞き入れない。

被害者面、とアスカは表現していたけれどまさにその被害者意識がシンのみならずQにおいてもシンジが「大人に見られていなかった」理由に繋がっていたんじゃないかな……と感じてしまった。見られていなかったのはシンジ視点でしかなくて、ニアサーを後悔したミサトの苦しみや、夜中に一人でピアノの鍵盤に手元を馴染ませたゲンドウは確かに存在したのだから。見られていなかったんじゃない、見ようとしなかっただけなんだ。

そこからの脱却がアヤナミレイの「仲良くなるおまじない」だったのが、なんともこう、破のレイを思い出させられてエモさに死んでしまうのですが…SDATを今までずっと持ち続けていた彼女の、「自分を知りたい」と純粋に思う気持ちが尊いし、SDATを見る度にニアサーと、父であるゲンドウの姿を思い起こしてしまうシンジの心象も理解できてしまって苦しくなる。

そんな事で世界に復帰したシンジ、ケンスケの墓参りやアスカの訴えも相まって、そして何より心を宿したアヤナミレイの意志の元、父であるゲンドウとの対話を試みる。

カヲルを目の前で失ったトラウマを持ってしてもヴィレに戻る選択をしたシンジを、サクラは理解出来なかったけど、シンジだってそのトラウマを昇華はしていない。昇華せず、抱えながら、贖罪をするように彼はヴンダーに乗り込んだ。

ここではシンジの心の成長が顕著に感じられて、一視聴者の私は切に応援したくなっていた。DSSチョーカーを視界に入れるだけで吐き気を催してしまうほどの彼が、その決断を下すことがどれだけ勇気のいることか。

アスカの自己犠牲と優しさ

ヴィレ対ネルフの人類補完計画における生命の在り方を問う最後の闘いが行われる。

エヴァに乗るのはアスカとマリ。

アスカとシンジの最後とも思われる会話の中で、「なんであの時アタシがあんたを殴りたかったのか分かる?」という問いかけに対してシンジがちゃんと意味を理解していたことに感動した。

使徒になった三号機、アスカが乗った機体を目の前にどうすることも出来なかったこと、それはアスカを殺したくなかった以前に責任を負いたくなかっただけだったということも自覚していて素直に答えることが出来る。

昔のシンジだったら「仕方ないじゃないか!アスカが乗ってたんだから!」とか言って泣いていたんじゃないかなと思うし、この心の成長こそシンジがヒトから神(神の子)になる第一段階だったんじゃないかとさえ思える。

「あの頃はアンタのこと好きだったんだと思う。でも、アタシが先に大人になっちゃった」が切ないの何の.....やっぱり、あの時レイに対抗するみたいに料理の練習をしてたのは、シンジの事が好きだったからで、そんな好きの気持ちを内包しながら三号機のテストパイロットに名乗り出たのは不器用なアスカの優しさだったんだなって改めて感じられて、また破を見返したくなってしまう。「好き」という自分を殺して他を救う、正に自己犠牲の精神が、そんな些細な所でも発揮されてしまうのだから。

アスカの髪を切りながら、リリンでもないのに髪が伸びることに不満を抱く彼女に「髪が伸びるのは、姫が人間であることの証明」だと言うマリのシーンが印象的だったし、その会話を経てヒトを辞めてまでフォースを防ごうとしたアスカの覚悟と、この上ない自己犠牲の精神が一層対照的に彩られて、苛烈なシーンにも関わらずどこか儚げで美しい。ていうか、姫って呼び方超可愛いな........

アスカの孤独と、誰かに認められたかった、愛されたかった感情の描写も、アニメ版より鮮明で、両親に囲まれて甘えるように泣き声をあげる幼少期のシンジを見つめながら羨望を抱く、大人びた姿こそ今のアスカの強さを構築しているんだろうなと思って、また泣けた。そして、アニメ版、旧劇ではアスカを撫でるのは加持の役目だったけど、新劇ではそれがケンケンになったんだね……

明瞭になったゲンドウ像

正直言ってエヴァンゲリオンイマジナリーだとか、何だとか、神話にも近いエヴァンゲリオンの全ては一度の鑑賞では理解しきれないところではある。

人類補完計画の発動条件である各インパクト、それは海から始まり陸へ、そして魂の浄化を成すことであり、最終的なゲンドウの目的であった今回のアディショナルインパクトはユイと出会うために仕組まれたインパクトの着地点と言えるし、その説明は比較的分かりやすくて助かった。

全ての生命体が溶け合うことで一つのそれになり、その中からユイを探し出す。その世界規模にまでなる計画を、何故そこまでしてゲンドウは行おうとしていたのか。これまでのアニメ版や旧劇において詳しくは描写されていなかったことが、今回のシンではありありと表現されていて、これまた見事に腑に落ちるような展開に持ってきたなと。

ゲンドウはヒトであることをも捨て去って(なんとかかんとかの鍵を使ったらしいけど名称を忘れた)人類補完計画を完遂しようとしたわけだけど、ユイへの気持ちやゲンドウの生い立ちのバックボーンがすごくわかりやすくて。

ヒトではなくなった、瞳を失ったゲンドウの過去が乱雑にも見える絵コンテ調の映像で表現されることも秀逸だと思いながら、「ただ一人でいたかった」葛藤を抱えながらも知識とピアノの揺るぎない旋律で心の隙間を埋めていた、愛を知らない孤独なゲンドウの青年像が浮かび上がって、こういう感覚は誰でも心のうちに抱えているんじゃないかなと、心なしか共感する部分を拭えないでいた。

ゲンドウはその孤独に対しての感性が人並み外れていたし、そこで出逢ったユイという唯一無二の「自分を認めてくれる」存在の尊さは計り知れない。それに加えて知識や才が備わっていることもあってか、過激であることに変わりはないが「気持ちはわかる」というところまで理解を深めることができた気がする。小さな蕾から花開くように、ちょっとした負の感情の連鎖が、この混沌を生み出したんだろう。

"ヒトとヒト"の"親と子"の関係

アニメ版、旧劇でのエヴァとパイロット(チルドレン)の関係が母と子だったのが、新劇では魂と器に変化していたのも、ここに来てヒトとヒトにおける親と子の関係に色づけをしたかったからなのかな、とも思ったり。

ミサトは破からQにかけての14年間の間に母親になっていたし、ゲンドウもシンジに対しての不器用な深い親心を露見させ、最終的にシンジを見守り救ったのがユイであったシン・エヴァンゲリオン劇場版。

特にミサトはQの当初、ニアサーの際に「行きなさいシンジくん」と言ったことを忘れたのか?と正直疑問だったし、それでもミサトの愛情深さやセカンドの際の生い立ちを含めて「いやそうじゃない、きっと心の内ではシンジくんのこと想っているはず…」と言い聞かせながらQの続きを待っていたのだけど、ああやっぱり、信じていて良かった……!と心から思えて嬉しかった。

ミサトには二度と会わないと誓った息子が生まれていけれど、シンジのこともまるで息子のように深く愛していたんだな…ニアサーの時のことを、誰よりも悔やんで苦しんでいたのはミサトだったんだろう。

初号機からサルベージされた後14年の眠りから覚めたシンジに対して「あなたはもう何もしないで」と言ったあの言葉のニュアンスって、ただニアサーを起こした戦犯としてではなくて、大事な息子への愛情の言葉だったんだと思える。あの時サードが起きてしまうと分かっていて、それでも「レイを救いたい」というシンジの願いの後押しをしたミサトが、初号機に再び乗せることを許可したシーンは本当に大泣きしたし、あれだけトラウマに思ってたDSSチョーカーを自ら首に装着されるシンジの成長がより一層の感動を与えてくれた。

新世紀エヴァンゲリオン

登場人物それぞれの心の在り方が露わになって、物語も終盤に差し掛かり、遂にシンジが世界を作り替える。

シンジの強い意志がニアサーのトリガーになったのと同じように、恐らく(本当に恐らく)ミサトの強い意志が槍の生成を可能にしたんだと思う。勿論リツコの手腕もあってのことなんだろうけど。

ミサトが命を賭してシンジに届けたあの槍を、「ありがとう、ミサトさん」と静かに呟いて受け取るシンジの覚悟。あの動揺を知らない落ち着いた態度に、シンジの心の成長が見て取れる。体は成長せずとも、心は大人になれることの証明だ。

初号機の中でサルベージされずに残り続けていた綾波レイが、リリンのように髪を長く伸ばしながらあの場で存在していたのは、シンジとゲンドウを繋ぎ、アニメ版と旧劇、新劇の世界をも繋ぐSDATの影響だったのか。(私はSDATというアイテムの存在がとてもとても好きです)

そのレイが口にしたネオンジェネシス(新世紀)、世界の再構成を槍を受け取ったシンジが完遂する。まさに一人の少年を祖とする神話の完成だ、しっかり見届けた、見届けてしまったんだな、という寂しいような充足感に駆られる。

彼が願ったのは「エヴァのない世界」、「さらば 全てのエヴァンゲリオン」とはそういうことか……と納得させられる。全てのエヴァンゲリオンが虚構のエヴァンゲリオンイマジナリーすらもリリンの、ヒトの形に変わっていく。エヴァンゲリオンがいないというのは、生命の実を食したアダムを祖とした種族の消滅と、知恵の実を食したリリスを祖とした種族の存続を意味するのだろう。つまり、使徒に滅ぼされる未来と、使徒に勝利する未来でもない、新たな選択肢を人類は見つけることに成功したのだと考えていいのだろうか。

最期にシンジは、父親がやったことの落とし前を付けると言っていたし、あのままフォースを止める代わりに消える覚悟をしていた、アスカを救って、カヲルを円環から解放して(というかやっぱりアニメ版旧劇→新劇ってループしてたんだってことも今回分かってスッキリしました)、レイを初号機から救い出して。

最後に「自分はいいんだ」と言ったシンジを救ったのは、シンジの中にいたユイだったの、本当に涙が止まらなくなってしまった。母は強くて、いつだって子どもを抱きしめる。アスカがシンジに必要なのは母親だと言ったのが、ここで回収されていくことで鳥肌が立った。

尚且つアディショナルインパクトは遂行されているから、ゲンドウもシンジの中にユイを見つけられたし、ユイはシンジの代わりに槍を引き受けて消えていって、恐らくゲンドウとユイはとこしえに時を過ごせるのだろうからこれは、ゲンドウにとってもユイにとってもハッピーエンドなんだろうね。

最後の最後は再構築された世界で、エヴァの呪縛から解放された皆が大人になりながら生きている。あの時シンジが救い出したアスカ、カヲル、レイは反対車線にいて、シンジとは目を合わせない。これはきっと「別の道を歩む」ことの現れなんだろうなと思っては寂しくなる。シンジの元にはマリが残った。皆を救って一人きりになったシンジを迎えにきたのはマリだったからね。冒頭の「どこにいても必ず、迎えにいくから」はここに繋がるのかとしみじみ。声変わりしたシンジくん、あんな余裕の台詞まで言えるようになって....成長したんだね....

とこしえに、エヴァを愛している

私は海洋生物研究所でシンジのお弁当を囲んだ時のあの朗らかな光景が大好きだったから、

色んな葛藤や苦悩を抱え、各々の目的や存在証明の為に、傷付きながらもエヴァンゲリオンに乗る、運命を仕組まれた14歳の幼き「チルドレン」達が大好きだったから、

何よりエヴァンゲリオンという作品が本当に本当に大好きだったから、この幸せの中に包含される寂しさに耐えきれなくなってしまって、これを書いている今も油断すると涙が溢れそうになる。

心からありがとう、全てのエヴァンゲリオン。

ざっと1回目の感想はこんな感じで書き殴りましたが、メモを取らずに臨んだせいで多分書き忘れてるところとか、解釈を間違えているところ、抜かしてる大事なシーンなどたくさんあると思います(というかあります。)ゲンドウとシンジに関してやフォースインパクト、加持とミサトについて等、言及出来てないところがあるのも勿論分かっているので、2回目以降はメモを取りつつ、追記も載せていきたいと思っています。なので一旦ここで終わります。お読みいただきありがとうございました!

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