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師匠に恩返し

 普段使っている漢字は、言うまでもなくメイドインチャイナです。
殷の時代3000年くらい前から成立して8万字もあるそうです。
現代では、1万字程度が使われています。
我が国はこの漢字を輸入して、現代では当用漢字で2136字、
専門用語を加えると万単位になるそうです。
外国人に、日本語は三千もの漢字とひらがなカタカナを組み合わせて
5万の語彙を使うと説明したところ「それは悪魔の言語」だと
怖れられたという話しは有名です。
 
 1800年台、江戸後期から明治時代にかけて鎖国を解いて
西洋文明があまりに進んでいるのに驚き、人々は遮二無二に学び
やがて世界の列強国の一角を目指しました。
その間、広く理解が進むように外国の言葉をせっせと漢字熟語に
置き換えてゆきました。
政治、経済、社会、産業、学問、思想、哲学等々あらゆる分野に
及びました。
西洋文明をスッポリと漢字化した訳です。
 
 その後、奇跡の発展を遂げて念願果たし列強国となり、
日清戦争で勝利すると、日本に学べと中国の若者達が続々と
やってきました。
文学者の魯迅など近代中国のリーダーになる有志の者達が
沢山訪れて、日本人が作った和製漢語で綴られた先進の西欧文明を
ごっそりと持ち帰りました。
 
 現代中国で使われている言葉の70%はこの和製漢語で
専門分野の語彙となると90%にも上るといいます。
このことは南京大学の文学部王教授が1962年に
「中国語の中の非常に多い日本語外来語」という論文で
紹介しています。
 
 ビックリするやら、中華人民共和国という国名も
中華以下人民も共和国も和製漢語でできているのです。
中国の人から日本に漢字を使うことを許してやっていると
恩着せがましく云われても、この師匠に余り有る恩返しが
できたというこの事実を知っていれば
「そうですね、有り難う」とニッコリ笑う余裕がもてます。
 
それにしても、今日までの日本の文化の発展は、
我が先達の皆さんの才能と努力の賜物で、改めて畏敬の念に打たれます。

 明治維新(1868年)のちょんまげ時代から
日露戦争勝利(1905年)までわずか38年という短期間に
どうして西欧列強に伍して行けたのか奇跡です。
38年前を我が身に置き換えてみると、二番目の息子が小学校に入学して
校門の桜の下で記念写真を撮った頃です。つい昨日のことのように
思えます。
どうして、そんなことができたのか?
考えられることは、日本語の卓越したコミュニケーション機能
ではないでしょうか。
 新しい物や事に出くわして、仲間達と協力して対応するには、
的確な意思疎通が絶対に必要です。

 日本語は世界に希に見る伝達速度が速い言語体系を持っていると
されています。
東北の雪深い道で娘達がすれ違い、「どさ?ゆさ!」と会話しました。
どこに行くの?銭湯にゆくところよ!というやり取りを一瞬で済ませます。
 英語でI love youと彼女に思いを表しますが、「私はあなたを愛しています」なんて、まどろっこしい言い方をする日本人はいません。
そこには二人しかいないのに、「私、あなた」と云うのは無駄で、
無粋です。
 
 外国映画を見ていて字幕を読んでいると、人物が相当長く喋っていたのに
字幕では一言二言で済んでしまうことがあります。
松尾芭蕉の俳句で「古池や 蛙飛び込む 水の音」という
“超”有名な句があります。
英語にするとなると大変で、カエルは単数か複数か、
「a」なのか「the」なのか、どこから飛び込んだのか、
古池とはどんな池なのか,とか 本筋とは離れた表現を
羅列しないと文章として成り立ちません。
その点、私たちはこの句を詠むと、森の中の静寂を瞬時に感じ取れます。
 
 更に、日本語の凄さの極めつけは1970年文化人類学者の
エドワード.T.ホールさんの研究にみられます。
ハイ・コンテキスト・カルチャーの研究で、各国の言語を
高い感覚的文脈という観点で比較しました。
アラブ、ラテン国が高く、英語圏が中位、ドイツ、スイス、
スカンジナビア圏は低いという結果でした。
低い言語文化圏は文字通りにきっちりとやり取りする堅い感性の文化です。

一方高い方は、言葉以上の声のトーンや話者の雰囲気や背景、立場などに
合わせて柔軟にコミュニケーションしてゆきます。
この各国比較で、日本はダントツの一位だということです。
確かに、以心伝心、空気を読む、行間を読む、状況を察する、
一を聞いて十を知るという事を美徳としています。

 言葉を超えた縦横無尽な意思伝達を日頃、なんということなく
行なっています。
 日本語の意思伝達速度が速くて、的確で、微妙な立場の間合いを
とっているとなれば、文明の発展の強力なアクセルになっていたことは
容易に理解できます。
日本語は、他の言語と比べて動詞が少なく副詞や擬音語・擬声語・擬態語の
オノマトペが発達しています。事象を仲間と感覚的に共有するのには
抜群に便利でしょう。
言葉の感性という点でも発達し、俳句などわずかな字数で極小から
壮大な感覚まで縦横無尽に表現し仲間と共有できます。

 1982年に糸井重里というコピーライターが、西武百貨店の
ポスターに「おいしい生活」と添えました。
このキャッチコピーは大当たりで、個別の商品を売る前にライフスタイル
提案をして関連商品を一網打尽で売り上げに結びつけたのです。
 

 


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