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人の成長の喜びと健全な焦り/成長と卒業を考える

おはこんばんちは、melodahandsomeです。

今日は、「成長」についてのお話です。
この1週間は、うちのメンバーの成長を大いに感じる機会に恵まれた週でした。「人(メンバー)の成長」って、見ていて、純粋に良いものですね。

僕は教師としての顔も少し持っていることもあり、人の成長ということについては、比較的、意識的に観て取れる方だと思っています。僕は『ホワイトスペース理論』と言い続けていますが、今の能力よりも難易度の若干高い課題を与え続け、そこでトラブルが起こることもある程度折込済の状況(ホワイトスペース)を作り、適宜後方支援しながら、課題を乗り越える経験をしてもらうことを大事にしています。その上で、成長をしっかりとフィードバックしたいと思っています

僕のチームの変遷で言えば、はじめは社員5名程度のチーム、そこにアルバイトさんも入れれば20名程度のチームから始まりました。そこから、M&Aによる事業譲受などが続き、2年で一気に100名近いチームを持つことになりました。

しかし、人数が増えれば、僕の目が行き届かないところも増え、じっくりと一人一人に向き合い、支援をすることがどうしても難しくなりました。(やり方はあったのでしょうが、当時の僕はできませんでした。)
そうすると、”僕”を2人、3人と増やしたいという気持ちになっていき、所謂マネジメントメンバーに自分の役割を一部委ね、そのメンバーとのコミュニケーションを増やせば良いと考えるようになりました。でも、これはヒエラルキーを作っただけで、結論失敗でしたね。少なくとも、僕が居心地が良いと感じるチームとは別の物を、自らの手で作ってしまった。

もっと言えば、ちゃんと”僕”を量産する覚悟があれば、それはそれでヒエラルキーであったとしても良かったのかもしれませんが、そこまではできなかった。そして僕自身、人を頼ることが得意ではなかったので、量産しようとしたところで、本当の意味での「取り組むべきこと」に対して、人の手を借りるということができなかった。
成長をして欲しいのに、成長機会を僕が提供することができなかった。どちらにせよ「中途半端は罪」ということです。


またマネジメントの常で「退職」という行事は付き物、必ず起きます。
この退職は、職場への不満から起きたり、場合には会社への不満はないけど、それ以外の理由で退職せざるを得ない事情があったり、次のステップへの通過点だったり、理由は様々です。
職場への不満による退職は、関係性が悪化することが多々あり、周りへの影響もあるので、人事的な視点で言えば、この手の退職を減らす=従業員満足度が高い状態を作り、退職率を低くすることはとても重要な指標なわけです。

僕も、メンバーに自分のチームに居続けてもらうにはどうすればいいかを考えてきたようにも思います。それは、優秀なメンバーを囲い込みたいという狭い了見でしか物事を考えられない小粒なマネージャーである証拠なのですが。僕と一緒に働きたいからここにいます!なんて言ってくれる人がいれば、それは本当に尊いことですが、残念ながら僕にそのカリスマ性はないので、僕としては、メンバーに成長を実感させて、次の成長を約束するということが大事にしたかった点でしたが、これすらも機能不全を起こしてしまったんですねぇ。

そういう意味で、大所帯を持ったということは素晴らしい経験を積ませてもらいましたが、このチームとこの数を率いることの難しさを痛感し、自分の実力が伴なっていないことを、嫌でも自覚しなければならなかった。そういう意味で昨年は、僕にとっては苦しい1年でしたし、そんなマネジメント下で働かなきゃいけないメンバーには言い訳も思い浮かびません。

ただ、これをポジティブに物事を捉えるならば、僕が意図的に成長機会を提供することは上手くできませんでしたが、結果として、僕がマネジメントがしきれなくても、チームは生き物なので互助機能で保管しあい、結果として個々が成長していったのです。

今週はそんな、みんなの成長を感じることがいろんな場面でありました。僕が支援してできたこともあれば、介入するつもりで観ていただけど必要無かった場面もあったし、僕の知らぬ間に成長していたことに気づくこともありました。

僕が偉そうに「成長機会」を作るとか能書きを語る必要はなく、例え小さい成長でもあってもそれを敏感に察知し、伝えてあげられることであり、これを行うためには「現場との適切な距離感」を持つことが大事だと実感しました。僕が大事だなと改めて思っている「現場感」の一つです。これを実現するためには、ヒエラルキーは不向きなわけです。


会社もそうですが、このチームや店舗(拠点)も一つの小さい単位のコミュニティです。

僕が考えるコミュニティの条件/存在意義は「刺激と成長と居心地」があるかどうかです。

近年、一般的な意味でのコミュニティというものは、所属している会社や家庭に求めるだけのものではなくなり、コミュニティとの関わり方も変容しました。「所属」から「接続」という言われ方をしますが、要は従来の会社と家の往復における行動圏内のコミュニティから、生活や働き方が変わる中で、必要に応じて接続したり、離れたりできる、選択できるものが現代のコミュニティの在り方なわけです。

そうすると、利用者の目線で言えば、接続/切断なのですが、我々のようなコミュニティの運営の目線で言えば、入会/退会であり、その退会が前向きであり、後腐れもなく、お互いにとって満足のいくものであった場合には、これは「卒業」とも言えるのではないかと思うのです。

僕たちコミュニティ運営者としては、そしてコミュニティに「刺激と成長と居心地」があるべきと考えている僕としては、参加者同士の関わりの中で成長していただきたい。なんなら僕も一緒に成長したい。その「成長」は自信につながり、さらなる成長を目指すための糧になるのですから。その成長がもたらす次のアクションは、今のやっていることの進化(深化)かもしれないし、自分の真価に気づき次の世界に飛び立つことかもしれない。

そう考えると、コミュニティとは成長と卒業の両方を備えた場所なのかもしれないと思うようになったのです。

卒業はイコール退職という意味だけではありません。そのチームからの卒業かもしれないし、今の役割からの卒業かもしれません。ここでいう卒業は同時に次の成長へのスタートなわけです。

僕は、人が自分の成長を自覚した瞬間が大好きです。
マネジメントの立場としては、やはり一人一人が自分の成長を気づき続けて欲しいし、必然とみんなの成長以上に自分がしなければいけないという健全な焦りを感じます。マネジメントの人間すら立場に固執せず気軽に卒業する、そんなコミュニティもあっても良いのではないでしょうか。


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プロフィールとは別の僕の「棚卸し」も合わせてご覧ください。


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