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SNSと自己顕示欲を捨てた話

noteになにか書くのは2年ぶりくらいかもしれない。
杏山薫 改め 蓮です。どっちで呼んでくれてもいいです。

いきなりタイトル詐欺で申し訳ないのですが、SNSをきれいさっぱりやめたわけではありません。
ただ、SNS(この記事においてはTwitter)の機能の中でいるものといらないものをきっかり分け、いらないものとは完全に決別し、そのために公式アプリも削除したので、感覚的には「捨てた〜!さっぱりした!」という気持ちです。
ついでに自己顕示欲が自分の幸せにとって邪魔だったのでこれも捨てました。(というか捨てている最中)

なんで捨てようと思ったか。
端的に言うと、「幸せになったから」「それによってSNSに違和感を覚えるようになったから」です。

不幸から幸せへ

昔のわたしは自分のことが嫌いで、そのせいで恋人に依存したり、そうやって大好きな人を純粋に愛することができないのがものすごく情けなくて、よけい自分を嫌いになったり、自分に自信がないのでいわゆる「世間一般の幸せ像」に流されそうになっていたり、家庭のことで悲しみに暮れていたりしていました。今思えばアダルトチルドレンだったのだと思う。

ちょうど10年前は人生で一番ダメダメな時期で、当時の恋人に振られたこともあり、毎日朝が来るのがつらかったです。
そこまで落ちて、ようやく「自分は自分が嫌いなのだ」と気づけました。
それまではそう思っていることにすら気づかなかったのです。
そこから自分を愛そうと決意し、いろいろなことをやり、わたしは10年かけて正反対の人間になりました。

この10年でわたしができるようになったのは、
・自分を無条件で愛すること
・本当の幸せが何かわかったこと
でした。
この2つがあればもう最強だなと思います。

今、冗談抜きで毎日が幸せです。
いいことが起こってもいやなことが起こっても、関係なく幸せです。
幸せかどうかを出来事に依存しなくなったので、幸せでいるかどうかを自分で選べるようになりました。
幸せでいるのを自分で選べる(自分で自分を幸せにできる)ということは、自分で幸せを選ぶ限り、一生幸せでいることが約束されているということです。
わたしは今そんな状態です。やったね!

いらないものがわかるようになった

そんな状態になって、今まで当たり前のように触れていたものに、不協和音のような違和感を覚えるようになりました。
たぶん自分の状態がとてもいいものになったから、自分に必要なものとそうでないものがはっきり感覚でわかるようになったんだと思います。

そのひとつがSNS。
SNS(特にTwitter)(XじゃなくTwitterと呼んでいます笑)はもう何年使ってるんだろう……当たり前のように毎日使っていましたが、特にここ最近はSNS疲れという言葉も生まれてきたように、使っていて不快だなと思うことが増えるようになりました。
もちろん楽しいときもある。でも不快なときもある。
でもずっと使ってるし、時には中毒みたいになっちゃってなかなかやめられない……という感じでここ数ヶ月は惰性のように使っていたのですが、今回はここにメスが入りました。

自己顕示欲

やめたいならやめればいい、でもやめられない。
どうしてかと言うと、(わたしの場合)他人に認識されたいという気持ちがあったから。

なぜか自分は昔から、「何かをSNSで発信しなければ」と思っていました。
その「何か」はなんでもいい。好きなジャンルの話とか、一次創作で小説を書いていたときもあります。
最近はイラストもたまに描くようになりましたが、とにかく「何かを発信して自分はここにいるのだと世間に認識されないといけない」みたいな思いに支配されているのだと気づきました。

今までの成功体験などから、そういったことで得られる(かりそめの)幸せを得たいという思いがあったのだと思います。
でも上述したように、わたしはすでに幸せです。
そして本当の幸せはそういうものではないということも知っています。

ここで強烈な違和感が湧き上がってきました。
どうしてこんなかりそめの幸せにいつまでも頼っているんだろう。
どうして自分は、他人に認識されなければいけないと思っているんだろう。
これで幸せになるどころか幸せの邪魔になっているし、自己顕示欲のせいで自分が本当にやりたいことがわからなくなっているじゃないかと。

他人に自分の存在を知ってもらうことは幸せとはまったく関係なくない?と気づいたのです。
気づいたらあとは早いもので、「じゃあいらなくね」となって、ポイッと捨てました。
SNSの無駄な議論も、誰かの愚痴も、たくさんの情報も、たくさんのいいねも、たくさんのフォロワー数も、わたしにはいらない。

自己顕示欲っていちばん次元の浅い欲求というか、エゴの欲求、いわばかりそめの欲求みたいな感じなんですよね。
自分の本当の望みとは違う。
仏教で言えば「煩悩」になるのかしら。
こういうものに振り回されている限り幸せにはならないので、これによって自分が本当に望んでいるものはなんだ?と本質を見抜く必要があります。

わたしは自分の内側の世界が、どんな外側の世界よりも豊かだとようやく気づけました。

SNS断捨離

さて、そうと決まればTwitterの断捨離です。
自分に必要な機能だけ残して、あとはすべて捨ててしまおう、と。

+++Twitterの機能とわたしの取捨選択+++
・好きなジャンルの公式の情報収集 ←いる
・おすすめタブで世間の話題を見る ←いらない
・トレンドで世間の話題を見る ←いらない
・既存フォロワーとの交流 ←いる
・新規フォロワーの獲得 ←いらない
・作品を公開する ←公開はするが反応は求めない
他の機能は使ってないし使う予定もないからよくわからないです。

結果、クライアントアプリひとつだけ残し、公式アプリは削除しました。
わたしの使っているクライアントアプリはなぜか通知が機能していないのでちょうどいいし、広告も邪魔じゃないし、おすすめタブやトレンドを見るまでにワンクッション必要なので、暇つぶしのために無意識にそういうものを見てしまう……ということがなくなりました。HAPPY!
ちなみにtweetpdというアプリを使っています。
回し者ではないですがおすすめですよ。なぜか通知は来ませんが笑

今やわたしにとってTwitterは「好きなジャンルのニュースサイト 兼 友達との交流ツール」という感じ。それ以上でも以下でもありません。

おわりに

Twitterの公式アプリを消すついでに、同じく暇つぶしに無意識に眺めてしまっていたPixivのアプリも消しました。
好きなクリエイターの作品は見たいし、自分もたまに投稿するのでアカウントを消したくはないのですが、PCとかで週に1〜2回見れば十分だなと。
よけいなものが自分の世界からなくなったので、ようやく自分のやりたいことが見えてきました。すっきりした〜!
大切なものを取りこぼさず、大好きなものを愛するために、なんていうか、もっとゆっくり生きてみたいなとも思えました。

ここまで読んでくれてありがとうございました。
何かあなたの参考になるようなことが一つでも書いてあれば幸いです。


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