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推しが死んで人生観が変わった話


推しが死んだ。
二次元の推しだ。

厳密に言えば彼の死が描かれたのは3年前だったし、わたしもそのことは彼を好きになる前から知っていた。
でもなぜか最近彼に対する興味や敬愛の心がどんどん大きくなってしまい、原作も完結したということなので、ちゃんと読もうと思ってその漫画を手に取った。

相当な悲嘆を覚悟していたけど、まさか人生観まで変わるとは思っていなかった。

※以下、「鬼滅の刃」8巻までの内容を含みます。


現実世界の死と変わらない

わたしの推しは煉獄杏寿郎さんである。
鬼滅の刃の無限列車編で、壮絶な激闘のあと、炎が燃え尽きるように死んでいった彼。
本誌を読んでいる人たちからすれば彼の死は昔のことで「今更な話」だと思うが、わたしの中で彼が死んだのは昨日だった。

自分のオタク歴はまあまあ長いけど、実は今まで推しが死んだことがない。
だからこれが初めての推しの死だと覚悟して、どこにも出かける予定がない土曜日の昼過ぎに時間を作って読んだ。

結果、その日は就寝するまでの10時間くらい、ずっと断続的に泣いた。
読んでから何もする気が起きなかった。
いつも遊んでいるスマホゲームもできず、Youtubeの登録チャンネルを見ても何も面白いと思えず、小説も書けなかった。何を見ても笑えなかった。

翌朝起きても同じだった。
起きたそばから彼が頭に浮かんでそのまま枕を濡らした。
涙がいったん止まればボーッとする時間が増えた。
泣いて、ボーッとして、また泣いて、の繰り返し。
日常が彼の死で塗り潰された。

こんなに喪失感があるとは思っていなかった。
家族が亡くなったときの感覚に近い。
感情移入しすぎているのだと思うけど、もうそんな冷静な自己分析なんてどうでもよくなるくらい、顔がパンパンになるまで泣いた。

昔から人一倍感受性が強い自覚はあった。
小説や漫画だけでなく、映画の予告とかでも泣くし、テレビのCMでも感動して泣いたりする。
小説を書くときも、主人公に感情移入しすぎて最終的に泣きながらラストシーンを書くということもたまにある。
そういう性質のせいなのか、現実世界で大切な人が死んでしまったときのように、恐ろしいほど彼の死に囚われてしまった。
架空のキャラクターの死がこんなに心を引き裂くことになるなんて思っていなかった。


炎のように生きた人

彼の人生はたった20年だった。
本当に悔しくて悲しい。こんなに早く死んでいいわけない。

主人公たちの良い兄貴分、明朗快活な性格でまっすぐな人物として描かれていたけど、彼はただの熱血漢ではなかった。
寂しさを心の底に抱えていたのだ。

母と死に別れ、父からは相手にされなくなり、自分はまだ幼い弟を励まし続けて、それでも性根が曲がることなくまっすぐ生き続けた。
あんなに強くて優しい人が、寂しさを抱えて生きているという事実に耐えられなかった。
代われるのなら本当に代わりたかった。
架空のキャラクターに何言ってんだって思うかもしれないけど、彼が持っている悲しみや寂しさを全部わたしに押しつけてほしかった。
幸せに生きてほしかった。幸せに生きてくれるなら何でもしたかった。
そのくらい好きだった。

彼はわたしの理想の生き方を地で行っている人だった。
情熱の炎を燃やし続け、正しいと信じた道をまっすぐに突き進める人。
自分が力を持っていることを自覚し、それを他人のために使える人。
これが自分の責務なのだとまっすぐに信じ、その生き方を貫き通した人。
そしてどんな局面でも恨み辛みを一切言わず、人に優しい言葉を贈れる人。
こんなに美しい人が他にいるだろうか。

「1人の生きた人間」としての死

架空のキャラクターに対して、その死は物語に対してどういう意義があったか、という論点がある。
煉獄さんの死は間違いなくあの作品の中で大きなものだったし、主人公への影響も多大なものだった。

でもそういう問題じゃない。
そういうメタ的な視点じゃなくて、わたしは純粋に、彼という1人の人間が死んでしまったことに対して悲嘆せずにはいられなかった。
彼の死が物語の中で意味を持っていたかどうかなんて、そんなの二の次だ。

一度生まれたキャラクターは、決して役割を果たすためだけに作品の中で生きているのではないと思っている。
物語を作ったことがある人ならわかるかもしれないが、キャラクターは勝手に動きだすことがある。
彼らはもうその作品の中で意志を持って生きている。
たとえ物語のために死が予定されていたのだとしても、彼は1人の人間として作品の中で生きていた。
そういう意味で、彼はわたしにとって、もはやキャラクターではなく1人の生きた人間だった。
だから、現実の人が死んでしまったときみたいにこんなに悲しいのかもしれない。


炎が心に燃え移った

作品やキャラクターが人の心に与える影響は本当に凄まじい。
サッカー漫画に憧れてサッカーを始める子どもたちはたくさんいるし、大好きなキャラクターの言葉がそのまま人生を貫く座右の銘になった人だっているだろう。
そういう意味で、彼らは架空の存在でありながらしっかり現実に影響を与えているのだ。

煉獄さんは確かにこの時代、この世の中にキャラクターとして生まれ、燃えるように生き、そして死んでいった。
彼の生き様や彼が教えてくれたことを、この作品を読んで心を打たれたわたしたちはしっかり心に刻みつけて生きていかなければいけないと思う。

架空の物語の中で生きたキャラクターの生き様が、多くの人の胸を打つ。
胸を打たれた人の心には、「彼(彼女)の生き様」という炎が大なり小なり燃え移る。
聖火が次々と受け継がれていくように。
一つの手持ち花火から多くの花火に火を渡すことができるように。
わたしの心には今日、煉獄杏寿郎という人の炎がしっかりと燃え移った。

今までわたしは自分自身やご先祖様に恥じないよう、誇れるように生きてきたつもりだったけど、今日からはそれだけじゃない。
わたしに炎をくれた彼にも誇れるように生きていこうと思った。
炎を絶やさずに生きていこう。
そうすれば彼の炎は、わたしを介して現実の中で永遠に生きていられる。
少なくともわたしが死ぬまでは。
もしわたしの小説を読んで心を打たれた人がいてくれるなら、彼らにも炎は燃え移っていく。
そうすればわたしが死んだ後も、彼の炎は本当に永遠になるかもしれない。
それがわたしにできる彼への追悼だ。

煉獄杏寿郎さん。
こんなに誇り高くまっすぐで、強く優しい人をわたしは他に知らない。
炎が人の形をとったような、本当に美しい人でした。
わたしの人生の中に入ってきてくれてありがとう。
わたしの心に火をつけてくれてありがとう。
ずっとずっと大好きです。

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