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短いおはなし7

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#超短編小説

いくつもの部屋。

いくつもの部屋。

世界の果てに住む男はいくつもの部屋を瞬時に行き来していた。イギリス湖水地方の湖畔の家。プリンスエドワード島のクラブアップルの林の中の家。フィンランドの小島の家。南仏の海を見下ろす小さな家。男は各部屋で、片付けをし、お茶を飲み、眠ったり。ふだんの現実もそのひとつにすぎなかった。

ひとついいことを。

ひとついいことを。

落ち込んでいるきつねに、神様が言った。ひとついいことを教えてあげる。iPhoneの写真を開いて「光」で検索してみてごらん。ほら、きみが、きみの人生が、いかなるものであろうと、きみの日々は、いつも光とともにあった。

やらないだけで、自分を嫌っていた。

やらないだけで、自分を嫌っていた。

きつねは普通のことができなかった。部屋は汚れ、そんな自分をだめな奴、世界に嫌われてる、と思った。ある日、風呂場を掃除した。汚れは簡単に落ちた。やらないだけだった。落ちにくいものも磨いていると落ちた。世界が輝き微笑みかけた。自分が少し好きになった。やらないだけで自分を嫌っていた。

魔女は夢を見た。

魔女は夢を見た。

魔女は久しぶりに夢を見た。生まれ育った家にいた。テーブルがすこし散らかっていて、みんなどこに行ったのだろうと思った。やがて魔女は夢の中で気づいた。そうだった、わたしひとりだった。でも。と思った。わたしひとりの中にみんなを感じた。わたしひとりの中に幸運と自然と無限と自由を感じた。

幸せは続いている。

幸せは続いている。

こんなおれにも、しあわせなときというのがあったが失われた。きつねは思った。幸せは終わったのか?ちがうな。続いている。しあわせが終わって失意を生きるのではない。しあわせがあった幸運で、失意の日々を風を切って進む。しあわせとともに失意を生きる。

デイジーを襟元に。

デイジーを襟元に。

朝の小径でクマはデイジーをひとつ摘み、ジャケットの襟元のボタン穴につけた。もうひとつ摘み、ちいさなジャケットを着ている子ぐまにも渡した。子ぐまもジャケットの襟元につけた。光はだいぶ傾き、今日から冬の光になった。ふたりは襟元の花とともに、静かに不屈を誓い、朝の小径をくだった。

ゆうべ惑星を買った。

ゆうべ惑星を買った。

惑星。

ゆうべ惑星を買った。
惑星は寂しがりで
上着のポケットに入りたがった。
惑星を手のひらでくるみ
ポケットに入れ電車に乗った。
電車は海をすべり沖合の教会で降りた。
惑星はその庭が気に入って根付き
オルガンに合わせて
うたうように色を変えた。
惑星をおいてひとり
帰りの電車に乗った。

しあわせって不幸をかみしめすぎないことかな。

しあわせって不幸をかみしめすぎないことかな。

きつねは思った。
しあわせって
不幸をかみしめすぎないことかな。

不幸はいつも誰にでも
多かれ少なかれある。
しあわせに見える人は
しあわせでいっぱいではなくて
不幸をかみしめすぎていない
だけかもな。

「ちいさな庭のあるちいさなホテル」

「ちいさな庭のあるちいさなホテル」

「#ちいさな庭のあるちいさなホテル」

世界の果てのどこかに
ちいさな庭のある
ちいさなホテルがあった。

宿泊者は野原のような草花に
気持ちを解いた。

朝食やブランチは
庭で鳥の声を聴きながら。

近くの評判の良い
ベーカリーから
あつあつのパンが
届けられた。

雨は海と花に音を立てていた。

こころのおくそこの
春のホテルで男は
朝、お風呂をつくった。
お湯を止めると雨の音がした。
雨は海と花に音を立てていた。
湯舟でその音をじっと聴いた。
同じように雨音を聴いている
しろながすくじらや
とびうおたちのことを考えた。
冷たい風が吹き桜が海に散った。
海がすこし薫った。

その傷と静かに暮らす。

その傷と静かに暮らす。

男の子と女の子が
夜の町を歩いていた。
沈丁花の薫りがするから
遠回りしよう
男の子が言った。
海の近くの町だったから
春の海のほのかな薫りと
沈丁花の薫りが混ざりあった。

男の子はそれが一生の
傷になるとは思わなかった。
そしてその傷と静かに
暮らせるようになるとも
思わなかった。

ほつれたら直しながら。

ほつれたら直しながら。

世界の果てのある町に
自前の幻想を大事にしている
男がいた。
誰もがいいという幻想では
なかったが男はそれを
ほつれたら直しながら大事にした。
他のひとの幻想では
しっくり来なかった。
男は静かに自前の幻想を大事にし、
自前の生活を紡ぎ、
自前の人生を歩んだ。
ほつれたら直しながら。

きみが映画監督ならどんな主人公がいい?

きみが映画監督ならどんな主人公がいい?

神様がきつねに訊いた。
きみが映画監督ならどんな
主人公がいい?
きつねが答えた。
なんでもできるひと、
きれいに暮らしておおらかで
みたいなのはウソっぽいな。
カリカリしてしまって
反省して大根が美味しく炊けたら
うれしくなるみたいな主人公かな。
神様が言った。
それはきみだね。

ヴィオラだけを持って生きなさい。

ヴィオラだけを持って生きなさい。

少年は生まれる前に
誰かに言われた。

ヴィオラだけを持って生きなさい。
あなたが多くを失ったときに。

少年はその言葉を忘れ大人になった。
多くを欲しがり手に入れ失った。

大人になった少年は彷徨い
たどり着いた未来のゲートで
守衛に持ち物を訊かれ答えた。

ヴィオラだけを持ってきました。