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精神科やカウンセリングは効くのか?

精神科やカウンセリングについてしばらく調べていなかったのだが、最近Twitterの織田三郎さんなんかを経由してくる情報を見て、カウンセリングの評判が昔より悪化しているように見えた。

自分は、メンヘラとして過去15年ほど格闘してきて、精神科・カウンセリングともいくつか梯子してきた。年の3分の1くらいしか働けない時期も長かったが、現在では、個人事業主としてITエンジニアを在宅で6年ほど続けている。

健常者も精神病者もへったくれもなくなってきている最近の人間心理の悪化を見るにつけ、自分が見てきたカウンセリングや精神科のいいところ・悪いところを挙げた上で、「何にも有効策がないな」「いってしまえば、これしかないってことだよね」というのを書いてみたいと思う。

精神科

これは、3件か4件移った後7年くらい前に行かなくなった。全く意味がないどころか、有害なため。7年の間に進歩した可能性は、まずないだろう。梯子したのは、総合病院内の精神科のほかは街中のビルにある個人経営の診療所だ。おっと、太宰が入院したという曰く付の病院にも行ってたんだった。

精神科で出る薬は、基本効かない。毎回診察のときに、前回の診察から増えた辛さを説明すると、辛さと1対1対応みたいな感じで薬が追加になる。そして薬の選び方は、人工知能かよ!と思うようなオートマチックな選択方法。風邪なんかならAI方式でいいんだろうが、精神がからむとまずコンピュータでは無理だろう。

しかも、精神科は人がやってるんで・・・この、オートマチックな対応が最悪なんすよ・・・。精神科は設備もいらないから安易に開業もできて、患者は引きも切らずウハウハ。そういうところは多いはず。AIG(ハゲ)のサロンとそう変わらない精神科は、多いと思う。

そして、薬の選び方を間違えられると、かなり危険だし命を落としもする。いったん薬を飲み始めると、飲むのを忘れただけで危険な状態を招くことも。ドラッグとかコカインと本質的に変わりがない・・・。自分も、飲んでいたリスパダール(統合失調症の薬)などを飲むのを勝手に止めて、数か月後救急車で運ばれる地獄を味わった。

そこまで行かなくても、いつもやたらと眠く、電柱にぶつかって流血したりすることがある(自分の場合)

自分は、だんだんよくなって行ってるようなシナリオを診察のたび医者に話して、10種類近く出ていた薬を減らして行って、最終的に通うこと自体を止めた。

カウンセリング

こちらも3、4件ほど梯子した。

・ビルの1室で開業しているカウンセリングオフィス

・喫茶店でセッションが行われる、流し(笑)のカウンセラー

・こちらも流しだが、スピリチュアル・カウンセラーと名乗るカウンセラー

そのうちビル1室タイプのひとつには現在でも定期的に通っていて、セルフチェックとさせてもらっている。実はいちばん最初にここを選んでいる。自分を誉めてあげたい。特徴として催眠を行う。催眠についても、後で書くかもしれない。

心理カウンセラーは自分が名乗ればカウンセラーで、国家資格を取らないとなれないわけではない。よって百花繚乱だ。ちなみに最近国家資格はできたらしい。

ここ数年は、スピリチュアルとその亜種?という謎のカウンセラーが跋扈している。心屋仁之助とかね。彼らを全否定したくはない。使いようということだと思う。それでもそういう系統のカウンセラーにかかることには、注意が必要だと思う。経験からも。というのは、彼ら自身がメンヘラであることが多いから。心屋さんもだんだんおかしくなって行ったでしょ。

お互いの心の病気が共鳴して響きあい、高め合ってしまうことがあり得るんですよ。

カウンセリングの分野の言葉で転移とか逆転移というのがある。クライアントからカウンセラーへまたは逆方向へ、人間の感情が向かうことですね。スピっぽいカウンセラーは、これにうまく対応できない可能性がある。

恋愛感情のようにわかりやすいものとは限らなくて、先生と生徒や親子のようなぼんやりした一体感を持ってしまうことも予想される。すると、一見治りつつある気になってしまうかもしれない。しかし、日常での生きやすさは変わらなかったりするのだ。

この状態は共依存というが、ここで重要なことをいう。精神的に健康であるってことは自立していることだ。カウンセリングにかかって依存状態に導かれていたら、本末転倒なのですよ。

スピリチュアルに関係なく、日本人全体が何とかして依存した精神状態を正当化して維持しようとしている。おおかたのカウンセラーはその影響を受けていてというかニーズを汲んでいて、何となくホンワカさせて自立を阻むと思う。

あと、何回か頼んでいたら選挙を頼まれたケースもあった(笑)喫茶店なんかでセッションをする流しカウンセラーは、あまりお勧めしない。これは、IT業界で面接が喫茶店の会社がどうだったかというのとも、呼応しているのだ(じゃあ、在宅ならいいのだろうか(汗))

ということで、カウンセラーの判断基準として「自立を手伝ってくれそうか」が適切なのだ。とにかく休んで!あなたは頑張ったんだよ!といってくれるのは、別に悪くない。だけどそれは、「疲れすぎて自立という重労働ができる状態ではないから、いったん休め」であるべき。最近のところは、休めとしかいわない疑惑がある。

精神科もカウンセリングもダメなら、どうしたら・・・

上述した私が15年以上もかかっている先生は、こうおっしゃった。

「私を鏡としてください」

いい意味で他人事。だけど鏡は、クライアントであるこちらが自由に使える道具だ。映し出された身だしなみや表情から、自分の精神状態をチェックできる。

鏡が人間であれば、話しかけることでさらに本当にいろいろ自分のことがわかる。〇〇を人にわかってほしいんだとか、怒っているんだとか、取りたいポーズがあるんだとか、殴りかかりたいんだとか。それを叶えてくれるのがカウンセラーじゃない。自分がそういう状態なんだということを、自分で知ることができるだけ。何か要求するマインドでいるならば、カウンセラーだろうと何だろうと役には立たないってこと。

自分をわかるためには、自分の意識がシャンとしてないとならない。 シャンとしてないから自分がわからず、シャンとする方向へ踏み出すやり方がわからないのが、メンヘラの輪廻地獄といえる。だけどホーントはわかっているんだ、自分でも。自分を自分で何とかするしかないってことを。

愛情メインにくっ付くことばかり持て囃されているが、おださぶさんもいってるけどそれじゃ治らない。自立することだけが治る秘訣ということ。

じゃあ、愛情ってくっ付いて保護するだけなの?ってことを、後で書こうと思う。

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