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【11分で学ぶ】学校って何を学ぶところ?常識って誰が作るの?

「学校」という、6歳から16歳までの教育プログラムを受けることが、国民の義務です。

そのシステムは江戸時代から始まっており、時代は変わりましたが、現在でも当たり前に続いています。

その学校というシステムに対して、思いっきり疑問を投げかけていきたいと思います。

今回の学びは【11分】

「学校って何を学ぶところ?常識ってだれが作るの?」という話をしていきましょう。

①:学校は「義務」だから行くの?

皆さんは、学校には行ってますか?行ってましたか?

何を当たり前の質問、と思いますよね。ほとんどの皆さんが行っているとおもいます。当たり前の話です。じゃあその学校には、何で行っていたんですか?と聞くと「義務だから」という答えが返ってきますね。その通りです。

ではその義務っていうのは一体何のことかと言えば、“それをしなければいけないと「国」が定めたこと”なのです。

日本には三大義務という物があります。「勤労の義務」「納税の義務」「教育の義務」という物です。学校で習いましたね?その「教育の義務」という物の中で、学校は9年間行かなければいけないと決められているんです。だから、行くんです。

ということは、もしその「義務」がなかった場合、皆さん学校には行かなかったんでしょうか。国がわざわざ「行かなきゃだめだよ」って言っていたから行ったということなのでしょうか。確かに思い返してみると、学校になんて行きたくなかったですよね。全く。

しかも義務だ義務だといわれているのも関わらず、お金を払わなきゃいけないというのもまた変な話な気もします。

ところで、なぜ国は「学校に行かなければいけない」なんて決まりを作っちゃったのでしょうか?・・・ということを少し考えてみましょう。

②:ところで、常識って何?

少し例題をだします。

皆さん、よく「常識」とか「普通」とか「一般的に」という言葉を使ったりしますよね。その「普通」って何のことでしょうか?それは「全員の平均値」のことでしょうか。

もしそうであれば「最近の若いやつらは言葉が乱れている」とか言われますが、平均値なら「正式な言葉」と「乱れた言葉」を足して人数で割らなきゃいけませんので、「ちょっとだけ乱れた言葉」というのが平均値です。これを「普通」と呼ぶはずです。普通とか常識とかはそっちになるべきです。

なのに、そうは言わないですよね。これを聞く限りでは、なんとなく大人が言うこと側に常識があるように思えます。ということは、「常識」というのは、平均値とは違ったところにありそうな気がします。

じゃあ、常識というのは大人が作ったものなのでしょうか。

だとすると、例えば「マヨネーズがすごい好きな大人」がいれば、「マヨネーズの全然好きじゃない大人」もいるわけで、たかだか大人2人を取ったとしても、そのくらいの差が出てきちゃうものなのです。サラダにマヨネーズをかけるのは常識だよねなんて言えなくなります。

何を持って「常識」とか「一般的」なのかというのがわからなくなってきます。

では、一体誰が「常識」とか「一般的」を作り出しているのか、その正体をお答えしましょう。

それは「国」です。

③:生きていくのに、勉強って必要と思えない

西暦1192年に鎌倉幕府が誕生しました。「いい国作ろう鎌倉幕府」という言葉は知っていますか?こんなの常識ですよね。

・・・その常識、何かの役に立ちましたか?その知識、知らなくても何の不具合もなくないですか?そうなんです。言ってしまえば、いらん知識なのです。でも、常識です。それは、教科書に載っているからです。そして、それを学校で習ってきたからに他ならないのです。

当然アメリカの教科書にも、インドの教科書にも載っていないので、知らなきゃ生きていけない知識ではありません。日本という「国」特有のトリビア的な知識なんです。なのにそれを知らないだけで、非常識みたいに言われます。

国は、日本人全員が最低限の知識がなければいけないというルールを作りました。そして、9年間でそれを学ばなければならないと決めました。どの学問を、どのレベルまで理解するのが良いのかという物を国が勝手に決めたんです。

そういう意味で、国が「一般常識というのはこれです」というのを定めたということなのはお分かりでしょうか。僕らはそれに乗っかって、やれ「常識」やら、やれ「一般的」やらと言っているにすぎないのです。

6歳になってから16歳になるまで、僕らはただひたすらに「国」の決めた常識のラインを、「国」の決めた期間で、「国」が決めた順番で学んでいるのです。

例えばハシの持ち方がおかしかったやつがいたとします。でもおかしいのは、ハシの持ち方ではなくて、「ハシの持ち方がおかしいと思っているという常識」の方なんじゃないかと思うんです。だって、食べれてるじゃん。十分じゃん。そう思いませんか?

言葉は、習ったから話せるわけではありませんよね。赤ちゃんの時に、お母さんに要望を伝えるのに必要な手段だったから自然と覚えたもの。必要な能力は必要な分だけ勝手に覚えていくものだと思います。必要な物は基本的に自ら学ぶんです。自ら学ばなければいけないものは、それは生きる為に必要な知識ではないという考え方はダメでしょうか。

④:今の教育は、戦後から変わってないという「問題」

改めて聞きます。

学校って、何のためにあるんでしたっけ?

不必要な知識を、時間をかけて教え続ける事が学校なのであればそれは、いらないですよね。必要ではないものを「義務」という正義を語って教え続けるのは意味がないと思うんです。わざわざ教えないと学ばないことと言うのは、日常生活とは関係のないところにあるということ。リトマス試験紙って、日常生活では知らなくていい知識でしかないんですよ。そんな常識はいらないと思います。

では、なぜこんな教育をする必要があったのか。その背景がわかれば、少し見えてくるものもあるかもしれません。

日本は戦争に負けました。その後、むちゃくちゃになった街を復興する必要がありました。道路を作ったり、役場を作ったり、電柱を作ったり、橋を架けたり。その作業は、膨大なエネルギーが必要でした。

そのために、細かく計画する人10人に対して、その指示を受けて素直に動くという「兵隊」のような人たちが1000人くらいは必要ですよね。・・・これは適当ですけど、そのくらいの比率で必要だということです。1000人も計画する人がいたって道はできないんですから。

だから周りと同じことを、統制を取りながらやっていく必要があったのです。そうするためには、同じ知識量で、同じ価値観で、同じ常識を持った人がたくさんいた方が良いに決まってます。全員で空気を読みながら、チームワークで淡々と作業をした方が効率がいいんです。ロボットもないですし。

だから、そういう人たちをたくさん作りだすための方法として、「教育」というシステムを利用しました。とにかく余計なことは考えない、人間という名のロボットを量産するというような作戦をとったのです。

遅れる人にも、進みすぎる人にすら罰を与え、とにかく廻りの「空気」に合わせるという文化そ作りました。

もし皆さんがその時代の偉い人だったとして、良く考えるとその方が効率的に復興していくような気がしませんか?

そしてそれは大当たりしました。復興にとどまらず、そのままの勢いで成長し続け、高度経済成長が訪れ、気がつけば世界第2位という経済大国にまでのし上がりました。そこまでは、完全勝ち組。国の方針大成功だったというわけです。

これが戦後復興から、日本の栄光時代までの背景の話です。

⑤そして現在起きているおかしな現象、キョウイク

ところが、現在。

必要なインフラはもう十分に整備され、ご飯が食べられなくて餓死するという人もほぼいなくなっています。時代は豊かになってきたのです。欲しいものはすぐに手に入ります。不便なところは特になしというところまでこぎつけました。先人たちの努力のたまものです。

にもかかわらず、教育体制は一切変わりません。決まって、右へならえの教育方針を変える事ができずにそのまま突き進んでいます。

今までうまくいってたから。これからも大丈夫。そんな戦後復興の時代に国が作った「常識」というものに縛られながら、今もそれを行っています。

・・・変でしょ!?

もう十分に豊かになっているのに、戦後復興をする為の教育のようなシステムを取り入れたって、うまくいくはずがないんです。「何のために作られたシステムなのか」を考えずに、教育者ですら右へならえの状態だということです。

今の時代において、その国が作った「常識」って本当に大丈夫なんでしょうか。たぶん、ちょっとずれていると思うんです。

日本の常識とアメリカの常識は違います。中国も、インドも、韓国も、メキシコも。国それぞれに常識があるんです。ってことは、その常識というのは誰かが作り出すもののはず。

その誰かというのは誰?というと、それは「国」なんです。

じゃあ「国」ってなに?っていうと、政治家のおっさんたちのことなんです。

彼らが「これも教えた方がいいんじゃない?」って思ったら、それは常識に変わるんです。なぜなら、義務だから。

でも、そのおっさんたちは、一度も働いたことのない人たちばかり。世間を知らない、いわゆる「政治のプロ」集団なのです。何が必要で、何が不要か。彼らの目線において見える常識の世界において、それを「義務」にでき「常識」を作れるんです。

怖くないですか?彼らが「戦争は必要なことだ」という常識を作ろうと思えば作れちゃうってことなのです。

⑥:何かに特化したやつが、生まれる仕組み

僕は、学校は無くてもよいものだと思っています。

この間、19歳の後輩に「学校が無くなったらどうなると思う?」って聞いた時、こう答えました。

「何かに特化した人間がいっぱい出てくると思います。」と。

確かに。って思いました。野球が好きなやつは野球ばーっかりやることができる世界。パソコンが好きなやつはパソコンばーっかりいじっている世界ということ。

なんか、天才みたいなやつがたくさん生まれそうじゃないですか?学校に取られる時間を好きなことに使えるんですから。

横一線で全員頑張ろうみたいなことをやらなくていいんですから、もっと「特化した人間」を作ってもいいと思うんです。グローバル化に乗り遅れている日本が、世界についていけない理由は、特化した人間が少ないかなんじゃないかなって思います。

でも、それだと高い学力が身に付かないですよと言う人もいるかもしれません。

でもね。「それのどこが問題なの?」と僕は思います。

生きるのに必要なら勝手に学びます。赤ちゃんが言葉を覚えたように。

そうじゃないと死んじゃうという時代はもう来ないと思うんです。ここまで進歩したんだから、後は「もっと便利に、もっと楽しく」以外無いじゃないですか。

平均的に学力の高い人間がたくさんいる世界なんて、そもそも今後必要になるのでしょうか。こんなにも豊かになってきているのに。

⑦:個性が集まる集団を「学校」と呼ぼう

ニートで親のスネをかじってます。だめですか?かじるスネがあるんですから。もっとかじってください。

かじるスネがないなら、残念ですね。頑張って稼いでください。

そんな世界でいいでしょう?

教育をしないという方針を、国は打ちだしても良いんじゃないかなと思います。学校は解散します、と宣言しても良いとも思います。

そうなるとその後は、「会社」としての学校が立ち上がります。きっと、人を集めるのにいろんなことを考えるでしょう。でも、人が集まるということは、「必要なこと」ということなんですから。それは新しい常識を生むでしょう。そしてそれは時代に即したものになるでしょう。

学校に行くのが常識だと思うなら、高いお金を払っていけばいい。お金がないなら親が教えてもいいし、教えあうのもいい。勉強したくないならしなくてもいいです。でも時間が無限にあるのだから、何かをさせたい。だからいろんなところに、人のかたまりができる。

それを本当の意味での「学校」というんじゃないですかね。特体制で推薦入学を繰り返している野球少年は、今だってそれをやっているじゃないですか。それでも良い青年に育つじゃないですか。

学校とは、今と未来を学べる場であってほしいと思います。

でなければ、必要のない場所だと思います。

「国」という名のおっさんたちに強く言いたいこと。

10年後、20年後に日本がどうなっているのか。どうなっていてほしいのか。それを汲んだ上で、しっかりとしたことを学んでいける場を、提供できる場所を作ってほしいなと思います。

そもそも学校を作ったいきさつを、今に合わせてやり直すのですから。不可能じゃないはずですよね。

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