TEDに登壇しました!テーマは「自分の情熱に生きると奇跡がおこる」、スピーチ全文まとめ
「成都のTEDでスピーチお願いします!」
2024年11月にTEDの事務局より依頼を受けました。話を聞いてみると
などいろいろと興味があるみたい。
・またTED成都には17名のスピーカーがいて、外国人は5名。
・母国語の日本語でも話して大丈夫!
・AIの同時通訳で翻訳を行う ※どのくらいの精度か不明
とりあえず参加を決め、TED事務局の皆さんからフィードバックを沢山もらい、一カ月かけて原稿を作成。気合いのはいった70枚のパワポも作りました。
そして、2024年12月15日に成都の東郊記憶で開催されたTED×CHENGDUに参加しました。
話し終えてみて‥
結論、最高の体験でした!
観客にどれだけ伝わったかはわかりませんが
四川語で『老子不得说四川话(ぼくは四川語しゃべれんよ)』
と言った時が一番受けましたw
この素晴らしい空間で、今までやってきた四川料理プロジェクトを四川の人にシェアするということはぼくにとって、特別なことで、少し恥ずかしいことでもあります。
例えば、日本のアニメが大好きな外国人が日本人にアニメの素晴らしさを伝えるとき、共感してもらいやすいけど、少し恥ずかしいと思う。
自分の四川料理の知識レベル、食べ歩きした街の数、約50万人を動員した四川フェスまで開催してしまった熱の入れよう‥ドン引きはされないけど、やりすぎだろう・・と少し引かれてしまうかもしれない。いやいや、すごく喜んでくれるかもしれない。
そんなむずがゆい恥ずかしさがありました。
ただ、話し終わってみて、それは杞憂だとわかりました。
こういう四川料理に情熱を傾けているバカが日本にいる。それが四川省の人たちに伝わってよかったなと思う。きっとこのスピーチがキッカケとなり、今後、なにかおもしろい展開が待っているはず、そんな気がする‥それだけで大満足です。
さて、前置きが長くなりました。ここからがスピーチ全文になります。
スピーチ全文
テーマは自分の情熱に生きると奇跡がおこる。
はじめまして、中川正道です。日本から来ました。僕は 2002年から 2004 年まで四川に留学し、SEの仕事をしていましたが四川料理にハマり、今では、四川料理の専門家として活動をしています。
活動の一つとして、日本で一番大きな四川料理のイベント「四川フェス」を運営しています。
四川フェスは1年に1回東京で開催、四川料理好きが集まり四川料理を食べるお祭りです。これまで累計 48.5万人が来場。日本全国から四川料理好きが集まるイベントです。このイベントをぼくらは0から作りました。
憧れていた孤独のグルメの原作者の久住さんや中華一番!の小川先生とコラボしたり、夢のような体験をしています。
何の実績もないところから。どうやってこの奇跡が生まれたのか?
今日はこの三つにトピックスについて、皆さんにお伝えしたいと思います。
1 自分の情熱を見つける
まず初めに情熱を見つけること、僕は四川料理が自分の情熱だとは最初に気づいていませんでした。
四川料理は当たり前のように毎日食べていて、日本に帰国後、本場の四川料理が食べれない現状を知りました。だからといって、自分が四川料理に関わることを仕事にするとは思ったことは一度もありませんでした。
そんな時に東京でSEの仕事をしていて、何か人生に違和感を感じるようになっていきました。
自分は「これから本当はどんな風に生きてみたいんだろう?」というような問いが日に日に大きくなっていきました。
次第に「本当に好きなことをやって生きてみたい」と思うようになりました。そういうのが湧き上がってくるとなかなかもうそれを止めることはできません。
自分の情熱を見つけるため、当時勤めていた会社を1年間休んで、アイルランドに行くことにしました。
アイルランドへ行き、自分の情熱が見つかるかどうかは分かりません。全く違う環境に身を置けば何かヒントが見つかるような気がしていました。
アイルランドでは、世界中の留学生が集まり英語を勉強していて、僕は英語を勉強する傍ら、彼らと一緒によくパーティーをしていました。
一緒にご飯を作りあっていた時に自分が作れる料理ということで、最初は寿司を作ったりしていました。でも、みんなが食べ飽きてきたので、思い切って自分が以前、留学していた時に食べていた四川料理の「辣子鶏」を作ってみることにしました。
すると、とても驚いたことに、みんなものすごく美味しいと喜んでくれた。彼らは今まで、四川料理を食べたことも見たこともなかった。僕は逆にとても驚きました。
四川料理はみんなにとって喜ばれて、美味しくて、まだまだ知られてないのか、みんながもっと四川料理を知ったら、このおいしい四川料理を世界中の人が食べることになったら、もっともっとこの世界は面白くなる!
四川料理を日本中に、あるいは世界中に広める。もしかして、これが僕の本当にやりたいことなんじゃないか。
そんなアイデアを得たのです。そして、僕は2008年に帰国。実際に日本ではまだまだ本当の四川料理が知られていないことを痛感します。
きっと本当の四川料理を知ったら、みんな驚くんじゃないか、大喜びするはず。そんなことを僕はひしひしと感じながら、サラリーマンの生活に戻りました。
まず情熱を見つけることができた。でも、向かっていくためには時間が必要です。
僕は当時サラリーマンで結婚もしたばっかり、収入も毎年のように上がっていて、この仕事を辞めてまで自分の情熱に沿って生きていいものか…
正直言うと悩みました。悩んでる間に3 年の時が過ぎました。このまま続けてたら自分の情熱に沿って生きることはいつまでもできない。
そこで決断をします。サラリーマンをやめて。四川料理自分の情熱に本格的に沿って生きていこうと決めたのです。
2 フォーカスする
この時、35歳。サラリーマンを辞めた僕にはたくさんの時間ができました。但是没收入了 (笑)
そして、本当の四川料理を取材するため、再び四川省へ旅立ちます。
ぼくは日本人です、中国語もあまりうまくない、ましてや四川は四川語がメインです。老子不得说四川话(四川語は話せんよ)。。
だから、取材をするには四川語ができる相棒が必要です。その相棒となったのが昔のルームメイトだった張勇。
僕ら二人は2004年から2年間一緒にルームシェアをし、毎日一緒に四川料理を食べていた仲です。僕の四川料理の知識は主に張勇から教えられたものです。
張勇にはいつか、四川料理の取材をしたいから手伝ってほしいと伝えてありました。ただ、いつやるのはずっと未定でした。そんな無計画な状態で2012年四川へきました。
その時、張勇はある仕事をしていました。しかし、たまたま彼に会いに来た時、もう仕事を辞めようと思っていると打ち明けてくれ…辞職。
僕ら二人は6年ぶりに一緒の部屋に住み、四川料理の取材をはじめます。ただ、二人とも取材なんかしたことないから、どうやっていいかわからない。有名な酒楼へいき、取材をしたいです!というと門前払い。
一体どうしたらいいのか?と悩みましたが、あることに気がつきます。
いわゆるどローカルで、地元の人しか行かない、外国人はまったくいかないようなお店です。ぼくは、これはある意味新しいと思いました。
成都の人が愛しているのは高級店ではなく、苍蝇馆子だと。そこで、新しい取材方針を作りました。
新しい取材方針のもと、たくさんのお店を取材しました。多くの苍蝇馆子の店舗は規模がかなり小さいので、四川料理の取材のために日本からきました!というと熱烈歓迎。
雨田飯店の店主はお店のお客さんに日本から取材にきたのよ!と大声でいい、お代はいらいないから!とおごってくれました。
三个田螺の店主はお会計の時に取材してくれたから!と逆に200元を渡してきました。
楽山の游記肥腸の店主は張勇も聞き取れない楽山語で1時間も語ってくれました。
2012年、当時、外国人で四川料理の苍蝇馆子を取材している人間はいなかったので、どの店舗も好意的でした。僕の感覚だと1/3はお代はいらない!と料理代金を受け取ってくれませんでした。
そして、この取材の中で本当に沢山の四川料理を食べました。楽山、自貢、瀘州、宜賓、温江、金堂、広漢、閬中など‥数えるときりがない。
今はなき中国老子号の成都担担麺、楽山の排骨面、温江の舒肘子、蜀南竹南で食べた全竹宴、自貢でたべた魚蛋、瀘州の猪儿粑…
200店舗以上の苍蝇館子を食べ歩き、本当の四川料理を体験しました。四川料理はこんなに種類があって、味が豊富で、なんて最高なんだ!と感動しました。
そして、成都の四川料理というのは四川の各地方の料理が集まりで構成されていることも知りました。
この複雑でかつ豊富な四川料理情報を整理し、わかりやすく伝えるために作ったのが美味四川(おいしい四川)という四川料理専門メディアです。中国語と日本語で500ページのボリュームもあります。そのメディアを本にしたのが『涙を流し口から火をふく、四川料理の旅』です。
初期のおいしい四川(中国語)
現在のおいしい四川
自分の情熱に従い、没頭して制作しました。でも、すでに3年の月日が経っていました。
3 情熱を共有する
結婚もしているし、家族も養っていかなきゃいけない。3年たっても四川料理プロジェクトはまったくお金になる気配もない。もう四川料理のことを諦めて…別の仕事でもしようか…
そんな状況の中、以前、本の出版パーティーで出会ったある男性と再会します。
彼は以前、北京に4年間留学。羊肉にハマり、羊齧協会という謎の団体を作り、羊肉好きが集まるコミュニティをつくり、羊肉を食べるお祭りをしていました。なんだか、四川とにていますね‥
「四川料理好きが集まるコミュニティを作りましょう!」と意気投合し、ぼくらは2016年に麻辣連盟という団体を立ち上げました。
麻辣連盟は四川料理の作り手と食べ手を繋ぐ、というのが理念。そのため、ぼくらは四川人が経営している四川料理店である特殊なイベントを開きました。
それは『四川料理人の力を開放するイベント』です。
多くの日本人は本当の四川料理を知りません。知っているのは麻婆豆腐、回鍋肉、担担麺などメジャーな料理だけ。
そのため、本当の四川料理を作れる料理人は力を持て余していました。本当はもっと本当の四川料理を提供したい!地元で愛されている料理を提供したい!
麻辣連盟はそんなマニアックなイベントを開催していくうちに、だんだん、仲間が増えていきました。
昔、上海に留学した落語家、北京の電影学院に留学した翻訳家、中国に駐在していた駐在員、日本で四川料理を愛する人たちがこんなにいることにびっくりする四川辣妹子。
イベントを開き、その様子をSNSで共有するうち、まったく中国へいったこともない人たちもだんだん増えてきました。「刺激的な四川料理を食べて、みんなで乾杯して、楽しそう!」と思ったみたいです。
そんな仲間たちが一同に集まり、2017年、日本初の四川料理の祭典「四川フェス」を開催します。
奇跡がおこる
四川料理を広めたい!という思いに共感してくれた四川料理人がたくさん四川フェスに参加してくれました。
日本で初めて四川料理を提供した赤坂四川飯店、成都の松雲門派に弟子入りした井桁シェフ、コースが5万円以上する銀座 やまの辺などミシュランを取得する本当にすごいお店がたくさん出店してくれました。
みんな、ぼくの作った本や四川料理メディアのことを見ていてくれたのです。
2017年4月、桜が満開の日に四川フェスを開催。1日で2.5万人が来場、2時間ですべての料理が売り切れるほどの大盛況でした。
でも、実は運営は赤字でした。。。
イベントは成功した、さて、これからどうしようか?
とぼんやり考えていましたがここから、奇跡がたくさん起こりました。
まず、四川フェスの成功をみた様々な企業が一緒に仕事をしたい!と連絡がきたのです。青島ビールのイベント、中華食材卸会社のメディア制作など、人気商品のPRなど、たくさんの仕事が生まれました。
2018年には日本で花椒がブームとなり、マー活という言葉も生まれました。
花椒の消費量は5倍にまで増加。日本でその年、一番注目を集めた食材を表彰される「今年の一皿」で『花椒』が準グランプリを受賞
2019年、四川フェスは2日で10万人を突破。
日本で麻辣ブームが起き、コンビニやスーパーで麻辣商品が溢れました。
2021年には三省堂の国語辞典に麻辣が掲載もされました。
2024年の現在、麻辣湯が日本ではブームとなっています。
まさに最初に描いていた本当の四川料理を日本に広めたいという夢が16年の時を経て実現しました。
まとめ
自分の好きなこと、情熱があることを追求し、シェアしつづけたら、世の中が少しづつ変化していきました。
当時、あれだけ困っていた収入についても解決しました。
自分の情熱が何かわからない人は多いと思います。ぼくもそうでした。そういう時は思い出してください。これまで自分が何を体験して、やってきたか。必ずそこに答えはあります。
そして、情熱の種をみつけたら、フォーカスする。自分が作った作品に涙がでるくらいまで、とにかく時間を使って没頭する。
その作った作品をシェアしてください。あなたの熱は必ず誰かに伝わります。
最後に、これが今年の四川フェスで一番印象に残っている動画です。
中国語はわからないけど、なぜか中国の歌が好きな女性DJが中国の歌を流し、諸葛孔明にコスプレした四川フェスのスタッフが踊っています。
もう四川料理の枠を超えてきました。きっとこの先、もっと楽しいことが起こります。皆さん楽しみにしてください!
今日は、ありがとうございました。謝謝!