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世話になった人

今日は日曜日らしい日曜日だった。

欲しいノートパソコンのスペックと購入サイトを決めた。ようやく。
大きな買い物なので半年も躊躇していた。
注文したら、欠品中ですと連絡が来た。
なかなかうまくいかないね。

眠れない。

身体のリズムは簡単に崩れる。

コロナのニュースを見るのをやめてからしばらく経っていて、
もう今の生活にも慣れてしまったので、
緊急事態宣言終わるとか終わらないとかもあまり注目していなかった。

こういうなかで、
お世話になった人とか、
お世話になってない人とか、
いろんな人を思い出して、
元気にしてるかな。と思う。
だからと言って連絡したりするわけでなく、
元気でいてほしいな、と思ってそれまで。
控えめに心配しています。


学生の頃、バイト先の店長に、とてもお世話になっていた。
野球帽にウエストポーチ、口が悪くてサウナが趣味で、たまに痛風の足を引きずって歩いている、絵に描いたようなおっさん。
今、改めて書いていて、ただのおっさんすぎて笑える。そんなおっさん。


よく夜中に仕事が終わったあとで、
飲みに連れて行ってもらっていた。
多くはラストまでいたお客さんや他のバイトの子も含めて何人かで行っていたけれど、
私は店長と2人の時が1番気がラクで楽しかった。


いろんな話をしたけれど、
繰り返し話していたのは映画の話だった。  
串カツとか鍋とかを食べながら、
歴代の俳優で一番好きなジェームズ・ボンドは誰かとか、
高倉健はなぜ罪人役がハマるのかとか、
アラン・ドロンはなぜチャラかったり死んだりする役で光るのかとか、
そういう話をしていると、
いつの間にか、辺りが
うっすらと明るくなっていることもよくあった。


話が特別勉強になるとかいうわけではないし(失礼)、
いつも意見が一致した訳でもない。
なんなら同じ話ばかりしていた。
でも、奢ってもらえるからなんて
しょうもない理由で
ついて行っていた訳では誓ってない。

彼氏などを除くと
飲みに行った回数では
店長がダントツ1番多いと思う。
今思うと、お店には私なんかより可愛いくてお客さんを呼べるようなコばっかりだったけれど、
そういう子を贔屓にするわけでもなく、
客から人気があった訳でもない
生意気で実家暮らしの甘ちゃんな私に、
こんなにも良くしてくれたのは謎中の謎。
店長の私に対する商品としての評価は、
「ブスじゃない。」だったし。


一度出かけると2、3軒は必ずハシゴする。
店長は色々頼んで卓に並べ、
それを眺めながら飲むのが好きなタイプの酒飲みで、
たくさん頼んでおいて、
「お前食えや」
と言った。

たぶん、お店の人に自分を置き換えて、
客単価を意識していたのだと、今では分かる。長居も決してしない。

クレジットカード会社にお店側が手数料を取られることを不憫に思うため、
現金支払い主義者でもある。


私がバーや居酒屋で、最小限の注文で粘るタイプの人を前にすると、
率先して注文してしまうのは、
こういう飲み方を見てきたからだろう。
自分が全部払うからと、貧乏なくせにもりもり注文してしまう。

店長が選ぶお店は
飲食店の界隈ネットワークのため、
多くが知り合いの店だったり、
お客さんに教えてもらったお店だったりした。


同世代の友達や家族とは決して
足を踏み入れることはないし、
歩いていると普通に見過ごしてしまうような
お店によく行った。


おじさんだらけ、三密上等の居酒屋。
少し勇気を出さないと注文を聞いてもらえないような、独特な雰囲気を持つお店。
不安になるほど狭いエレベータに乗らないと
たどり着けない雑居ビルの幾階かにある、
知る人ぞ知る、な、お店。
常に常連で賑わっていて、飛び入りで入ろうものなら白い目で見られそうな(小心者による偏見)お店。
店長と行くと、どこでも無敵だった。
その全てが美味しくて、
その頃の私はブクブク太っていた。


各お店で何杯かずつ、
麦焼酎の水割りとかハイボールとかを飲む。
あっさりしたいときはレモンサワー。
(ホッピーを頼むとベロベロに酔っぱらうことが判明したので一度で辞めた)


夕方、お店が始まる前に、連れて行ってもらうことも多かった。

そんな時は決まって、19時前に店長の電話が鳴る。

チッと舌打ちしてからガラケーを開き、
「おうおう、元気にやっとるわ。」
と話す。
毎日故郷のお母様から電話がかかってくるのだ。
私が承知しているので、いちいち席を外すこともない。


店長はいわゆる有名大学を出た後銀行員として働いていた経歴がある。
当時で言うとものすごいエリートなんだろう。
親には、銀行を辞めたあと、
経理の仕事をしていると言っているらしい。
バーやってる、なんて知ったら、とっても厳格なお母様は悲しがるだろうから、嘘をついているとのこと。(バーは立派な仕事だけれど、店長のお母様世代のアレで言うとアレなのだろう。)


これも愛なのかなぁと思う。
私も、このバイトのことは、親には内緒にしていた。
たぶんバレてたと思うけど。
親は何でもわかるから。


この間、帰省したときに、久々に店長と会えた。
いろいろあってお店の場所やら
周りにいた人たちの近況も、
めまぐるしく変わっていた。
結婚した人もいたし、離婚した人もいた。



「せめて2000万は稼ぐ男と一緒になれよ」
と大真面目な顔をして言ってきた。
そんな男どこにおんねん!
おったとしてもすでに売れとんねん!
と思ったけれど、
「分かりました。」
と返事した。  
歴代彼氏で、店長のOKサインがでた男は、
1人もいない。


„接客を伴う飲食業“なので、
コロナで辛い思いをしてるかもしれないと思い、先日連絡した。

「最悪のゴールデンウィーク。
11月 007見ましょう。
小池によろしく。」

との返信。


恩返しまではできないかもしれないけれど、
何かなんでも良いので返したいと思っていて、
誕生日やらのたびに、
何が良いかよく考えるのだが、
着るものにも持ち物にも頓着なさそうだし、
全く何も思いつかない。


去年、古本屋で昔の映画のパンフレットを発見して買っておいた。
住所も知らないので次に帰省するときに、
直接渡したいと思っている。


別に良い話でもなんでもないのだけれど、
元気にしてるかなぁって
そう思った話。


たぶん、あの時代のあれこれは、
良くも悪くも、私を形成するものの一部として、
10年近く経とうとしている今もなお、
私の中で脈打っている。


あの、夜の街のにぎやかさとか、
艶やかで、自由で、優しくて、
でも同時に、うんざりするような闇や悪が
見え隠れする、そういう雰囲気に、
私は未だに魅了され続けている。


#日記
#コロナ前の世界

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