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表現とテクニック〜ピアノとホルンとチェロと〜

 楽器は、やればやるほどに表現力という壁にぶち当たるこの頃。

 小学校の時分から始めたピアノは、おそらく自ずと「表現する技術」を身につけていったと思われる。
 大きな音を出したかったら強く鍵盤を叩く、小さい音を出すときはそっと叩く。
 硬質な音を出すときは素早く叩く、柔らかい音を出したかったら柔らかく叩く。
 今は意識して言葉にしているけど弾いているときは多分何も考えずにこういったテクニックを自然に使っているのだろう。
「鍵盤を強く叩いて大きな音を出そう」という意識はないのだ。
「大きな音」「重い音・軽い音」「柔らかい音」「細い音から分厚い音」というイメージが割と直に「弾き方」につながっている。ように思う。

チェロと私の関係(?)

 最近「表現するためのテクニック」を痛感することが多い。
 それもチェロを弾くときにとりわけたくさん。
 楽譜を読んで音符の通りに音を出すことはようやく「まあまあできる」程度に上達してきた。ただここで「強弱も気にしたいのに、はて、小さい音を出すときはどうすれば良いのだろう?」という疑問が生まれて、手が止まった。
 弓をゆっくり動かせば良いのだろうか?
 弦に弓を強くくっつけないように弾くのか?
 スタッカートは?テヌートは?スラーはないけど滑らかな旋律にしたいときはどうしたら?
 ピアノの時にあった「出したい音のイメージが直に手指の動きにつながる」感覚がまるでないのだ。途方に暮れている・・・訳でもないけれどレッスンでは

先生「はい。だいぶ良く練習されているようですね。音程とかリズムはいいと思います。次はフレーズとか主題ごとの雰囲気の変化を気にしてみましょうか。例えばここのメロディは・・・。」からかなり具体的に弓の動かし方や運指と弓の動きの関係を教わる・・・という流れが増えてきて、

乳児が立つことを覚えて、おぼつかないながら歩き始めて、今度は少し早く歩く方法や摺り足、スキップ、けんけんをひとつづつ習得していく過程をチェロという楽器で追体験しているような気がしてくるのである。
楽器を演奏する身体の感覚的には乳児の運動発達、
楽器と自分の関係でいうと、道具(楽器)が自分の手に馴染まなくて上手く使いこなせない(ゴールは「体の一部のように道具=楽器を使いこなす」)状況だろうか。
これでいくとピアノは「楽器をそばに置いた状態で乳児期から育ってきた」状態に近いと思う。レッスンや日々の練習がきついと思うことは多々あれど、弾くことが辛いと思うことは、やっぱりないのだ。
「鍵盤を思うように叩けば、大抵思うような音になる」、いわば
「息を吸ってはけば呼吸になる」ような感覚かもしれない。

せっかくの機会、どうやって、どのような過程でチェロ弾く技術や音楽性が進化するのかをしっかり見届けて、言語化してみたい。

ホルンはまたちょっと事情が違ってくるんだと思う。
次回にまとめてみたい。

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