見出し画像

「面倒くさい」というお皿を積み重ねるのは危険

久々にやさぐれてしまった。まあ、月に2回ぐらいは、定期的に自暴自棄になるのだが、自分でその原因をつらつらと考えてみた。

ちょっとした配慮のない言葉や相手のふるまいで、自分が小馬鹿にされたりように感じたり、相手の回答待ちで自分の想定より物事の進みが遅かったり、といったことが起きていた。

「あー、なんか全部面倒くさい。すべて投げ出してしまいたい」という気分に陥った。

もちろん、本当にすべてを放り投げて、逃亡するような度胸はない。真剣ではないのだが、メンドクサイに憑りつかれてしまうと、落ち込みと憂鬱といった無益な感情まで引き寄せて、余計なことまで考えてしまう。

やはり、「面倒なこと」が積み重なり、それが障壁、塔が立っているように感じられると、それに立ち向かうのが途端に億劫になる。

しかし、冷静に考えると、「面倒なこと」はそれぞれ種類が異なっている。同じ食器でも平皿とコーヒーカップでは全然違うのだが、それを「面倒くさい」こととしてカテゴライズしてしまうと、シンクに積み重なって、うずたかい山となってしまう。

「面倒くさい」ことは分解して、切り分けて、時には解釈を加え、地道に一件ずつ、対処していくしかない。面倒くさくないときは、それが当たり前にできているのだが、「面倒だな」と思いに囚われると、それこそ、日々の掃除や洗濯まで、本当にやりたくないことに分類され、生活空間まで澱み始める。ただ、やることをやっておかないと、泣きを見るのは自分。結局、自分で自分の首を絞めることになる。

多かれ少なかれ、みんな何らかの課題を抱えて生きている。腐らず、頑張っているみなさま、お疲れさまです!

腐りかけているあなたとわたしは、少し休みましょう(笑)

(ちなみに今日は、掃除、洗濯をして、不要な書類を捨て、スーパーで買い物をして値上げに驚き、炊飯もして、今、noteを更新した。よく頑張った。)

この記事が参加している募集

今日やったこと

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!