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春にみた夢【流産の記録】


夜の診察を終えた帰り、夫とふたりで近所の神社に立ち寄った。
神に縋りつく以外に成す術がなかったのだ。
私も、夫も、到底普通の状態ではなかった。
満開の桜のトンネルをくぐる足取りは重い。
まだ4月に入ったばかり。
気候は安定せず、その日も花冷えで、そっと絡ませた夫の指先は白く冷たかった。
夜空は高く、遠く、星はまばらで飲み込まれそうな闇が渦巻いていて。

風が吹くと花びらが宙を舞う。
「連れていかないで」
願いはたったひとつしかなかった。



心から待ち望んだ日

2023年3月20日。
内診にてわずか5㎜の胎嚢を確認し、天にも昇るような気分だった。
診察室に移動し、「6週目に入ったところですね」と1枚の紙を渡された。
「妊娠おめでとうございます」と書かれたその紙には妊娠初期の過ごし方や気を付けることが書かれていて、医師がその場で出産予定日を書き込んでくれた。
人工授精4回目。
やっとこの日を迎えたのだ。

会計後、明細書に書かれた「妊娠初回診療」の文字に心が躍った。
夢にまでみた瞬間。
自分の体内にもうひとつの命が息づいている。
喜びを噛みしめて帰路についた。

数日前から検査薬を使っていたので私も夫もそれなりに期待していたが、医師の診断を受けて確信に変わった記念すべき日だった。
冬になったら愛おしい家族が増える、その頃の私達はただ胸を躍らせ、色鮮やかな未来が訪れることを信じて疑わなかった。


予兆

一切の不安はない、と言ったら嘘になるが、この日を迎えるまでは浮足立った気持ちが大部分を占めていた。

軽い食べ悪阻のような症状はあったが普段通りに仕事をこなし、1週間後の健診の日を迎えた。
血圧・体重測定、尿検査を終え、内診室に通される。
モニターに映し出された映像を見た瞬間、息を呑む。
体中の血液が一瞬にして凍りつくような感覚を覚えた。

小さい。
あまりにも小さい。
先週とほとんど変わっていない。

カーテン越しの医師の様子は窺えないが、怪訝そうに唸るような声色、プローブで念入りに確認していることはわかった。
胎嚢の大きさはわずか9㎜。
中心は白くぼんやりしており、はっきりと胎芽を確認することは出来なかった。心拍は勿論確認できず。

その後診察室に通されるが、担当医師はパソコン上に映し出された先ほどのエコー記録を曇った表情で見つめていた。
先週のカウントでいくと、この日は7週目に入っており、心拍確認ができているはず。

「少し成長が遅いです」
「ですがもし排卵がずれていて、6週0日だとするとこのサイズで妥当」

聞き逃してしまいそうな小さな声。
固い表情で話す医師の顔を直視できずに視線を落とす。
「もしもカウントがずれていたなら」そんな僅かな希望に縋りつきたい。
視界が霞んで湧き上がってくるものをなんとか溢さずに飲み込み、よろめきながら診察室を出た。

会計を済ませ、病院を出るまではなんとか平静を装った。
駐車場に向かい、運転席に座った途端、堰を切ったように涙が溢れた。

どうして。どうして。
何が悪かった?
仕事で重いものを持ったから?
居心地が悪い?
そんなはずはない。私達の子に限って、そんなはずは。

何度も自分の心に刃を突き立てた。
行き場のない不安をどうしていいかわからなかった。
今日ここに来るまでは、あたたかい幸せな気持ちだけで満たされていたのに。
突然真っ暗な宇宙に、ひとり投げ出されたような心細さ。

それでもこの時はまだどこかで希望を持っていた。
来週にはしっかりと心拍が確認できるはず。
きっとのろまな私に似て成長がゆっくりなだけだ。
あまりにも予期していなかった事態に自分事として実感が沸いてこない。


流産の確率

流産の頻度は全妊娠の約15%と決して珍しいものではない。
そのうち8割以上は妊娠初期である12週までに起こり、ほとんどの場合は胎児の染色体異常や遺伝子の病気等が原因で、防ぐことができない。
つまり受精の段階で運命が決まっている。

次回の健診までの1週間は果てしなく長い時間に感じた。
流産に関する情報を片っ端から調べては、自分の状況と照らし合わせた。
自分と同じ状況にあったが、1~2週間後に心拍が確認でき、無事に出産された方の経験談から希望を見出したこともある。
ひたすら一喜一憂する日々。

今のところ出血や腹痛等の症状は全く見られない。
軽い食べ悪阻があったことは安心材料の一つだった。
流産が起こる前に悪阻症状が突然なくなることもあるらしい。
医師からも「悪阻があるならひとまずよかった」と言われていた。

綱渡りのような張り詰めた精神状態で仕事にも身が入らず、ありえないような大きなミスをし、対応に追われることとなった。
今後どのような結果になっても仕事への影響が出てしまうと考え、信用できる上司にはこのタイミングで現状を伝えた。


心拍「未」

その日の健診は心配した夫が付き添ってくれることになった。
本来内診室への男性の入室は禁止されているが、スタッフの方が「旦那さんもどうぞ」と特別に声をかけてくださった。
とても心強くありがたかったが、それと同時に特別な配慮の意図に複雑な気持ちでもあった。

内診台が上がり、エコーの映像が映し出されると釘付けになった。
なんとこの1週間で胎嚢は15㎜、胎芽は3㎜に成長していた。
前回と異なりすぐに見つけてもらえたことがただただ嬉しかった。
「先生にすぐに見つけてもらえてよかったね」
「大きくなって偉いね」
まだ米粒にも満たない我が子が愛おしくて仕方なかった。

しかし、長い沈黙の後に医師から発せられた言葉は
「心拍(未)」

言葉の意味をすぐに理解できず、振り返って夫の顔を見た。
眉を寄せ、固く引き結んだ口元。
息を呑むのがわかった。
そして、理解した。

どう考えても成長と週数が合わない。

診察では結論が出ず、前回同様「排卵や受精のタイミングがずれていたならありえることだから」と。
けれど今回は人工授精だったし、排卵を促す注射(オビドレル皮下注)も打ってもらっていた。
そんなに週数がずれることがあるだろうか。

1週間後の健診で心拍確認が出来なかったら、その時は覚悟を決めないといけない、とのことだった。
自分達の身に降りかかったことだと思えない。
見える世界がすべて、ガラス越しのソーダ水のように揺らぎ、霞んでいた。



さいごの祈り

診察を終えた私達は、どのように家に帰り着いたのか記憶がない。
お互いかける言葉も見つからず、嵐のような胸中にいた。

自宅の駐車場に停めた車から降りると、夜風がやさしく頬を撫でた。
庭先の木々は冬を迎える前にすべての葉を落とし、裸の枝が寂しそうに揺れている。
ふと、昨年植えたばかりのアオダモの細い枝が目にとまり、蕾が大きく膨らんでいることに気づく。
枝の先の方から割れるように開き、奥に若緑色の葉が覗く。

生きようとしている。
春を待ち望んでいる。

なんとも言えない気持ちが湧き上がってくる。
玄関先で同じように立ち止まった夫が口を開いた。
決意のような、懇願のような、とても重い声だった。

私はその言葉に大きく頷いた。
まったくもって同じ気持ちだった。

夫の提案通り、その足で私達は近所の神社に向かった。
暗闇に佇む神社は昼間と全く様相を変え、形容し難い不思議な空気をまとっている。
鳥居をくぐると満開の桜が夜空を這うようにトンネルを作っていた。
風に吹かれてはらはらと舞う鮮やかな薄桃色。
今でも目に焼き付いて離れない光景だ。

賽銭箱の前まで来ると夫は財布からおもむろにお札を何枚も取り出して、私はぎょっとする。
特に信心深いわけでもない、無宗教の私達。
お賽銭にお札を投げ入れる感覚は持ち合わせていなかった。

「気が狂ったことしないとどうにかなりそう」

なるほど、と思った。
数週間、ふたりぼっちでとてつもない不安と戦ってきたのだ。
春の風に攫われそうなほど弱々しく立っている夫の恐怖を、痛みを、世界中で今私だけが全部知っている。

私が前に向き直ると、夫は黙って賽銭箱にお札を数枚投げ入れた。
固く目を閉じ、強く強く祈った。

この子の成長が見たいです。
必ず幸せにします。
どうか無事に大きく育って、この手に抱けますように。

最後まで足掻き続けて運命なんか変えてやる。
神様も辟易するくらい、何度も何度も祈り続けた。



4月6日

「その時」はすぐそこまで迫っていた。
妊婦健診から2日後の朝、少しの出血と軽い腹痛があり、急遽休暇をいただいて緊急受診した。
結果的にこの時のエコーが最後に見た姿、ということになる。
胎嚢は19.2㎜まで少しずつだが成長していた。
医師からは今のところ子宮内に大きな変化はないが、今後状態が急変するかも、と言われた。
やはり心拍は確認できず。
万が一流産になった時のことを確認しておいた。

「強い腹痛と、生理1~2日目よりずっと多い出血があるから必ず自分で気づく」
「赤ちゃん(胎嚢や胎芽)はトイレで出てしまうことが多いのでキャッチできない方が多い」
等、その時に起こることや心構えを教えていただいた。

ここまで来ると信じたくても、半分諦めかけている自分がいる。
「もし流産になったら意味ない(止めることはできない)けど」と説明を受け、子宮収縮を抑える薬(ダクチル錠)と、出血を改善する薬(トラネキサム酸カプセル)を受け取り、病院を後にした。

今回の妊娠期間を通して、一度も医師の柔らかい表情を見ていない。
恐らく最初から不安要素は散りばめられていたのだと思う。
それでも「週数がずれているかも」と最後まで一縷の希望を持たせてくれた担当医師の優しさに感謝しかない。

その日の午後は実家で所用があった為、夫と共にお邪魔していた。
しかし家族と話しているうちにどんどん腹痛が強くなってくる。
出血量も増え、夜用ナプキンでも心許ないほどだった。
刺すような痛みに食事も喉を通らず、ついにきたか、と思った。

不安そうな両親に「また連絡する」と別れを告げ、帰路に着く。
助手席で痛みに悶絶する私に、夫は気が気ではなかっただろう。
あまりの痛みに耐えきれず、途中薬局に寄ってもらい、迷いに迷った挙句カロナールを購入した。
ロキソニンを買わなかったのは私の最後の抵抗だった。

帰宅すると更に出血量が増え、腹痛も強さを増していった。
経験したことがない刺されるような鋭い痛みで、陣痛のように波がある。
そして痛みの感覚がどんどん短くなっているような気がする。
購入したカロナールは全く効かず、ひたすらお腹を抱えて唸っていた。

”次トイレに行ったら出てしまう”

はっきりと自分でもわかっていた。
トイレに行ったら楽になれる。
痛みから解放される。

けれどこの痛みがあるうちはお腹の中にいてくれる。
その為ならいつまでもこの痛みに耐えようか。

”もうだめだ”と分かっていながら嵐のように襲い来る様々な感情と戦い、抗っていた。

それから約1時間ほど。
いよいよ痛みも限界に達し、心を決めてトイレへ。
勢いよく多量の出血があり、コアグラ(血塊)も確認できた。
と同時に少しずつ痛みが和らいでいく。
その姿を確認することは出来なかったが、自分の体から排出されてしまったことは理解できた。

体の一部をもぎ取られたようなあの時の痛みと空虚な気持ちを私は一生涯忘れることはないだろう。
夫と抱き合い、喉が潰れるほど泣いた。

トイレに行った後、激しい痛みは一旦和らいでいたが、眠りにつくころには再度子宮が締め付けられるような鋭い痛みに襲われていた。
恐らく子宮が元のサイズに戻る為の後陣痛のようなものだろうか。

その夜はほぼ一睡もできず、朝を迎えた。
そして翌日受診し、子宮内が空っぽになっていることを確認し、完全流産という形で今回の妊娠は終結した。
大量の出血は3日ほど続き、徐々に下火となった。

私はというと、その日以降暗闇がとにかく怖い、眠れない日々が続いた。
目を閉じると頭の中が「流産」という言葉に支配され、息ができなくなるのだ。
そんな時夫はキャンプ用のソーラーライトにほんのりとあかりを灯して、いつも一緒に夜を明かしてくれた。
時には一緒に涙を流して背中をさすりあった。
夫の涙を目にしたのは、後にも先にもこの時だけ。
それほど人生がひっくり返るような衝撃的な出来事だった。

夫にはどれだけ感謝してもしきれない。
痛みを半分こした私達は今まで以上に強い絆で結ばれたように思う。



愛しいあの子へ

日々は過ぎ、体調が安定した頃に私達は水子供養のお寺に赴いた。
初期の流産だった為、木札に名前を書いて簡易的な形で弔っていただく形をとった。

満開だった桜は季節が移ろい、涼やかな新緑に様相を変えた。
どんなに落ち込んでいても時間は進んでいく。
あの出来事も、いつか遠い過去の記憶になるのだろうか。

その日立ち寄った花屋で小さな白い花を買ってふたりで玄関先に植えた。
常緑で、春先になると愛らしく咲いて私達を癒してくれる。



あの出来事から今年でちょうど1年。
色々あって今はお腹の中に新しい命が宿っている。

二度目の妊娠が分かった時、夫に尋ねたことがある。
「この子は生まれ変わりだと思う?それとも別の子だと思う?」と。

私達の答えは見事に一致していた。


おかえり、愛しい子。
まあるいあなたのほっぺに唇を寄せる日が待ち遠しいよ。


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