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引き算の概念④〜日本人に立ち帰ると幸せがわかる〜

所作が丁寧で、身の運び方を心得ていた日本人。

所作も一流
集中力も一流
※〇〇道は、人間として生きる上で理に適った正しき身体感覚と集中力を育む。

本日、南方熊楠の全身姿を写真で見た。
正中線の通り具合と丹田力と言ったら、思わず唸ってしまった。
別格。姿勢を見れば実力がわかる。
写真であれだから、現実に会ったら大変だ。

人間の身体感覚を研ぎ澄ます文化が
かつての日本には当たり前にあったのだ。

今朝方、美空ひばり氏の「りんご」が頭に鳴り響いた。
彼女が人を魅了する所以は、正中線と丹田とイメージ力の凄まじさだろう。
背骨は正しい位置で動かされてしなやかさがあり、体幹もある。
ゆえにこそ、一音一音に乗る声が、人を感動させる。

さて、本日は、江戸の思想史(田尻  祐一郎著,中公新書,2011)を紹介させていただく。

まずは、日本を離れてインドの話をさせていただく。
5000年の歴史を誇るアーユルヴェーダの思想に、
「人間は小宇宙である」
というのがあるのをご存知だろうか。

人間を宇宙と捉えるこの思想がわたしは大好きだ。
風、火、水、土、空の元素の働きが肉体に備わっているというものだ。

日本においても、似た見方をした人物がいたことを知り、恐れ入った。
その名は石田梅岩(ばいがん)氏。

商行為に関しても、石田氏の考えに感銘を受けた。
彼こそは、天地人として事を成し遂げた日本人だったのだとわたしは思う。

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石田梅岩(1685〔貞享2〕年〜1744〔延享元〕年)は、丹波国の中農の次男に生まれ、11歳で京都の商家に奉公に出たが主家の没落により帰郷、23歳の時に再び上京して、奉公しながら独学で儒教・仏教・神道を学んだ。

(中略)

・・・梅岩は、口先でごまかしたり、権力と結んで儲けたり、投機的なボロ儲けをすることが商才だというような発想を嫌った。本来の商行為とは、

天下の財宝を通用して、万民の心をやすむるなれば、天地四時流行し、万物育わるると同く相合ん。

と言われる通り、それぞれの需要に適うように物を流通させて人々に満足を与える営みであって、天地の循環に擬えられるべき公共的な行為なのである。
梅岩は、
「人は全体一個の小天地なり。我も一個の天地と知らば何に不足の有べきや」
と言う。
例えば呼吸は、天地(大宇宙)の氣の循環を小宇宙としての自分が小宇宙というスケールで取り組むことであって、自己と天地は一体なのである。その一体性を梅岩自身は、生死や主客の対立を超えた禅の悟り(見性)に近い形で体認している。
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商売に関して、天地の理を当てはめたのがあっぱれではないか。

日本というのは不思議で、幕府など上に立つ人間が腐敗し始めると、正中線の通った人間が登場して、日本を建て直してきたように思う。

令和においては、わたしたち一人一人の真価が問われている。

誰が悪いなどという二元性にとらわれず、
日本人一人一人が自立し、考え、行動に移すサイクルが来たのだ。

和の国日本の民こそは、この世界の和合を為せるのだ。

わたしはその一端になろうと思う。
読者の方に同志がいると信じている。

今こそは、日本人として立とうではないか。

#日本人として立つ
#日本人としての矜持
#精神力を鍛える
#丹田力を鍛える
#何ものにも囚われぬ勇氣をもって
#日本国強いては世界のために立とうではないか
#わたしは千葉県を愛する民として千葉から始める
#あなたのクニはどこか
#あなたはそのクニの代表だ

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