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東京芸術劇場 Presents 木ノ下歌舞伎『三人吉三廓初買』

個人的には今年No.1の大傑作。鈴木さんだったり、野田秀樹だったり、岡田利規だったり素晴らしい演劇はアーカイブ含めたくさん観てきた1年だったが、面白いものは本当に世の中たくさんあるんだな、と驚いた。

東京芸術祭2024に感謝

木ノ下歌舞伎×杉原邦生のタッグの集大成。疾風怒濤、5時間の一大エンターテインメントがついに大舞台へ!

木ノ下歌舞伎『三人吉三』9年ぶりの再演!2014年初演、2015年の再演(芸劇eyes)では読売演劇大賞2015年上半期作品賞部門のベスト5に選出された代表作が、タイトルを『三人吉三廓初買さんにんきちさくるわのはつがい』に改め、新たな顔ぶれで大舞台に登場します。

数奇な運命に翻弄される若者たち――和尚、お坊、お嬢の“三人吉三”と、現行歌舞伎ではカットされている“商人と花魁の恋”がダイナミックに交錯する鮮烈な群像劇。「当今のシェイクスピヤ(我が国のシェイクスピア)」(©坪内逍遥)とも評された歌舞伎作者のレジェンド・河竹黙阿弥による最高傑作の、いまや幻となったオリジナル版の全貌を見られるのはこのキノカブ版のみです。

幕末の動乱期に執筆され、今もなお愛されつづける物語が、同じく変化と激動の現代(いま)を撃つ――これぞ、木ノ下歌舞伎による『三人吉三』の決定版!

https://www.geigeki.jp/performance/theater364/

会見冒頭で、木ノ下は「お客様に大変申し訳ないのは、上演時間が“たった”5時間しかないんです、短いんです」と話し、会場を笑いで包む。「『三人吉三』は日本の歌舞伎の作者の中でも偉大な河竹黙阿弥の作品で、作者自身が会心の作だと言っている作品です。しかしながら初演以来まったく上演されていない場面もあり、木ノ下歌舞伎では一度すべて、河竹黙阿弥が書いたものの全体像を舞台に乗せようじゃないか、という思いで取り組みます。ただそのままやると10時間以上かかるような、1日がかりで上演する作品ですから、そのエッセンスをグッと凝縮して、5時間の上演です」と意気込みを語る。

https://natalie.mu/stage/news/582441

気持ちとしては1.5時間くらいの気持ちで作っているという話だが、冗談抜き本当にあっという間の5時間。2020年の公演が中止になっての今回ということで、ここにかける意気込みもひとしおだったろう。

木ノ下氏が初演以来幻となっている場面まで復活させるのは伊達や酔狂ではない。かつてギリシアの悲劇詩人たちが世を憂いて偉大な戯曲を残したように、河竹黙阿弥もまた時代の混沌を本に写し込み、さらにそれをその幕末〜明治にも通じるこの現代に蘇らせるその意味をしかと受け取った…気が勝手にしている。だからこそのあっという間。忘れぬ内にこの感動・その感触をメモしておきたい。

時代背景

まず、黙阿弥が『三人吉三』を書き、上演したのはどんな時代だったか。

『三人吉三』が初演されたのは安政7年(1860)の正月だった。この7年前、嘉永6年(1853)に、浦賀に黒船が来航し、翌年、日米和新条約が結ばれている。この条約では下田と箱館(函館)が開港されることになったが、その後、長崎・横浜などが続くことになる。

https://kinoshita-kabuki.org/2020/05/30/7644

その後、10年を待たずして大政奉還が上表、王政復古の大号令により江戸幕府は終焉を迎えている。先行きの見えない情勢は民衆に不安を投げかけた。弱体化する幕府に対し、勢力を強めてゆく朝廷、外国、志士たち。一つの社会に幾つもの力が雑居し、不変と思われた秩序や価値観は揺らぎ始める。『三人吉三廓初買』が生まれたのはそうした状況下であった。幕末期には複数の勢力が乱立し、いよいよ混迷を極めていくのである。

https://twcu.repo.nii.ac.jp/records/19479

社会に大きな動揺をもたらしたのは、黒船の来航とそれに続く開港だけではなかった。日米和親条約の締結から8ヶ月が経った嘉永7年(1854)11月4日と翌5日、マグニチュード8.4程度と推測される地震が相次いで起きている。11月27日、こうした社会情勢をうけて、元号が安政と改められた。これにちなんで、2つの巨大地震は、安政東海地震・安政南海地震と呼ばれている。

安政の元号は、唐代の中国で編まれた『群書治要』の中の、「庶民安政、然後君子安位矣」による。庶民が政治に満足することで、それを治める者の地位も安定することを説いた一節だが、安政の世は庶民にとっても、政治の担い手たちにとっても、およそ満足や安定からは程遠い時代だった。東・南海地震から一年弱の安政2年(1855)10月、今度は直下型の地震が江戸を襲った(安政江戸地震)。翌3年には、7月に陸奥八戸(現・青森県八戸市)で地震とそれに伴う津波が、8月には江戸を台風が襲い多くの死者が出た。5年にはコレラの大流行が生じ、やはり多くの犠牲を出している(『武江年表』は、江戸だけで2万8千人以上が亡くなったと記す)。コレラ流行の兆しが見えつつあった6月、幕府は朝廷の許しを得ないまま、日米修好通商条約を結んだ。以下、オランダ・ロシア・英国・フランスとの間で条約を締結し、条約反対派に対する弾圧(安政の大獄)が開始される。

安政5年のコレラ流行は、9月下旬になると収束へと向かったようだが、その後も数年は小流行を繰り返す。他にも、安政元年・4年には季節性インフルエンザ、6年には麻疹の流行が見られたようである(『武江年表』、富士川游『日本疾病史』)。一方、安政の大獄をおこなった大老・井伊直弼は、安政7年3月3日、桜田門外で暗殺された。新暦では3月下旬ながら雪の降ったこの日、おそらく黙阿弥は、市村座の次の興行で上演される『加賀見山再岩藤』の準備に追われていたことだろう。そして、この一つ前の興行で演じられた作品こそが、『三人吉三』であった。

https://kinoshita-kabuki.org/2020/05/30/7644

大老の暗殺、疫病・天変地異。政治に目を向けても安政にはほど遠い….となれば、今の時代そのままではないか。

不条理と因果

上記の『三人吉三廓初買』研究によると、社会的混乱の中において民衆は権力の動向に厳しい批判の目を向けており、為政者階級である武士に対する侮蔑意識・不服従精神が育ち、博徒連中などのアウトロー(悪者)に親近感を抱くようになることで、それが歌舞伎における白浪物の誕生につながるとある。※「地面師」のスマッシュヒットはその現れ…?

従来の『三人吉三』の部分的な上演では、その白浪物の側面が強く押し出され演出がなされてきたのではないか。


しかし、黙阿弥が描いたものとは本当は何だったのか?より正確にいえば、黙阿弥が描いたものを木ノ下氏は何と考え、今回の上演に至ったのか?

自然災害や疫病の流行、飢饉などが続くうえ、維新という時代が大きく変わる局面を生きた黙阿弥の人生観に強く影響したのが因果応報の考え方で、作家の私生活は酒も女もやらぬ禁欲的なものだったなど、目からうろこの話題がわかりやすく説かれる。目に見えず人々を絡め取る因果を「お金」に置き換えた今作での黙阿弥の発想が、当時いかに画期的だったかという話には感心&納得の歓声が、一同から静かに上がる。

講座の終わりを木ノ下が「災害や疫病など、理由がわからない不条理な事態に遭遇し、世界の輪郭を見失った江戸の人々にむけて、黙阿弥は『三人吉三』によってその失った輪郭を描き直して見せた。それが作家・黙阿弥なりの同時代へのエールであり、彼のパッションだったのかもしれない。同じような状況下にある今だからこそ、この作品を上演する意味があるのでは」と締めると、演出の杉原も「初演から6年、この作品に取り組むのは三度目なのに、まだ新たな発見と驚きを与えてくれる講座」と絶賛した。

https://kinoshita-kabuki.org/2020/06/07/7661

因果応報と聞くと、「よい行いをすれば幸せが訪れるし、悪い行いをすれば災いが降り掛かる」というような自己責任論にも聞こえてしまうが、黙阿弥が考えていたのはきっとそういうことではないだろう。

因果応報
仏語。前世あるいは過去の善悪の行為が因となり、その報いとして現在に善悪の結果がもたらされること

『デジタル大辞泉』(小学館)

自然災害に自らも被災し、疫病・飢饉で人は周囲でわんさか死んでいる。もはや不条理としか言いようがない悲劇を目撃しながら、それをどう考えたら良いのか?を黙阿弥は考えていたはず。今となってはどうしようもできない過去の因果があった、とりあえずそう考えるにしても、その悲劇や因果に対して人はどのように向き合うべきか、それをこそ書いたのだと。

河竹黙阿弥

〈三〉の物語

〈二〉では善悪がはっきりしてしまうため、『三人吉三』ではジャンケンのような〈三〉すくみの構図で、人の善意がどうしようもない破滅・終局呼び寄せてしまう様子を見せていく。省略されていた〈廓チーム〉の話が復活されたことで、その構図がはっきりと見えてくる。

https://kinoshita-kabuki.org/2020/05/30/7638

『三人吉三』の上演にあたっては、2014年の初演時から、河竹黙阿弥の『三人吉三』は「〈三〉の物語」なのだというひとつの方針が立っていました。主な登場人物を見てみると、荒くれ者三人衆である「和尚吉三、お坊吉三、お嬢吉三」の〈吉三チーム〉、商人夫婦と愛人の「文里、一重、おしづ」からなる〈廓チーム〉、そして実の双子とは知らぬまま結ばれる男女とその父親である「十三郎、おとせ、伝吉」の〈夜鷹チーム〉というふうに、大きくいえば〈三人〉×〈三組〉の物語だと解釈することができます。2020年版も〈三〉という数字が際立つよう、シーンの展開やサブキャラクターの描き方など、補綴時にはさまざまな部分に手を入れていきました。

https://kinoshita-kabuki.org/2020/05/30/7648
https://x.com/geigeki_info/status/1837420249572102612

『三人吉三廓初買』を構成するのは三つの因果関係である。第一に庚申丸を巡る因縁。第二に三人吉三の義兄弟の盟約。そして第三に土左衛門伝吉一家にまつわる犬の因果。

『三人吉三廓初買』研究
https://x.com/astage_ent/status/1835953430030061924

〈生と死〉の物語

加えて、〈廓チーム〉の話が復活することで、『三人吉三』が〈生と死〉の物語としての本来の姿を取り戻していた。

吉三たちの抵抗は因果の中では微力である。彼らの努力が無駄となり更なる不幸を招いたとき、悲しい諦観はいっそう色濃く浮かびあがる。劇を彩るのはこの悲しみであった。運命に裏切られ、嘆きながら、それでも吉三たちは全てを諦めることはできない。はかない努力と知っても彼らはせずにはいられないのだ。この運命に翻弄されながらも必死に抗う姿こそ、『三人吉三』に描かれる、人間の生のありようであろう。彼らの輝きは彼らに溢れる生きる力である。そこに彼らのたくましさがあり、この活力が悪に美を与えているのである。(中略)

悪の輝きは彼ら自身の輝きであり、畢竟人間の輝きであった。

『三人吉三廓初買』研究
https://x.com/geigeki_info/status/1837455318798029068

このラストシーンの演出は本当に見事としか言いようがない。悲劇の中では血の繋がりを超越して、生きている人間が手と手を取り合うしかない。悲劇を超え、生きている人間が未来に行ける者をただ連れて行く。どうしようもない運命の中で、人間の抗う姿が見事に表現されていた。

舞台設定

今回の公演の関連プログラムとして配信されたレクチャー企画、歌舞伎ひらき街めぐり~木ノ下裕一の古典で読み解く江戸⇄東京講座 第一回「両国と『三人吉三』~魂をしずめる場所~」についても触れておきたい。

大好評だったあの企画を期間限定で再配信!
東京芸術劇場と木ノ下歌舞伎がタッグを組み、2021年度に実施した配信レクチャー企画「歌舞伎ひらき街めぐり」。名作歌舞伎の舞台となった江戸・東京の地をテーマに、毎回ひとつの演目を紐解きつつ、ゆかりある街の古層を掘り起こす全3回シリーズのうち、今年9月に東京芸術劇場プレイハウスほか、長野(松本)、三重、兵庫で上演する『三人吉三廓初買』の演目を取り上げた、第1回「両国と『三人吉三』~魂をしずめる場所~」を、期間限定で再配信します。

木ノ下裕一による解説、木ノ下歌舞伎作品に出演経験のある俳優の朗読、さらには映像配信ならではの仕掛けも盛り込んだ充実の内容です。〈歌舞伎〉のレンズを通してみれば、江戸から東京が、東京から江戸が見えてくる。歌舞伎&街歩きファンの方がディープに楽しむもよし、初心者の方が入門編として触れるもよし。『三人吉三廓初買』のご観劇前後にご覧いただくのもおすすめです。

https://www.geigeki.jp/info/20240829/

『三人吉三廓初買』の物語の発端となり、最も有名な場面とも言える「大川端庚申塚の場」(同じ名前の3人の盗賊が出会い、義兄弟になるまでの一場面を描く)。この大川端とは今の両国橋近くの川岸のことらしいのだが、このレクチャーではこの両国がどういう土地であるかを解説している。

大川端庚申塚の場

さらっとまとめると…..江戸ができてから50年ほど経ち、明暦の大火という大災害があり、この両国では人が多く亡くなった。その焼死者10万8千人を幕命(当時の将軍は徳川家綱)によって葬った万人塚が始まりとなって回向院が建立、その社寺や仏像の建立・修理などのために金品の寄付を募ることを目的に相撲(勧進相撲)が興り(四股は地霊の鎮魂)、死者鎮魂のために花火大会(後の隅田川花火大会)が始まったということで、この両国の地は災害の記憶と追悼・鎮魂の象徴の地であるということだ。

劇場パンフより


つまり、黙阿弥は『三人吉三廓初買』の舞台に両国を設定することで、江戸初期からの200年を接続しようとした。そして、さらにそこから160年以上を経て、今回の上演がなされたということになる。

口語と文語が相混ぜとなり、衣装や音楽、役柄の性別もいわゆる"時代劇"のそれではないのも、何としてでもこの、河竹黙阿弥が残した災害の記憶と追悼・鎮魂の物語を、現代に何としても蘇らせんとするその気迫・気概の賜物だろう。

今回、河竹黙阿弥という「当今のシェイクスピヤ」(©坪内逍遥)の偉大さを痛切に感じると同時に、監修・補綴を務めた木ノ下裕一氏の異彩に唸った。

もっと早く観ておけば良かった、他の作品も観てみたい、今はただそう思うばかりで、ますます仕事なんてしてる場合ではない、と困った事態である。

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