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第25週 メディアで活躍する女性 中村メイコ

第25週のメディアで活躍する女性は女優、歌手、タレントの中村メイコさんです。


はじめに


中村 メイコ(なかむら めいこ)さんは1934年5月13日神津 五月(こうづ さつき)さんとして東京府(現・東京都)に作家の中村正常氏と、著述家で「おチエさんの老青春を生きる」の著者中村チエコさんの長女としてお生まれになりました。


子役として


メイコさんは2歳の時にP.C.L映画製作所(現・東宝)制作の『江戸っ子健ちゃん』に出演し、映画デビューされます。

その後、映画やラジオに多数出演され、複数の配役をこなし、浪曲師2代目天中軒雲月ばりの7つの声をもつ天才子役として有名になられました。

天才子役としてデビューして以来、榎本健一氏や古川ロッパ氏、徳川夢声氏、柳家金語楼氏、森繁久彌氏らと共演されています。

三木のり平・三波伸介など、有名な喜劇俳優・コメディアン達と共演した影響で、メイコさんは「デビューした2歳からずっと私の肩書きは女優ではなく、『喜劇女優』」と語っておられるそうです。

幼い頃、菊池寛氏と会食しておられるそうです。

NHKにはテレビ本放送開始以前のラジオ時代から出演されているそうです。

テレビ放送においては、メイコさんは1940年に開催が予定されていた東京オリンピックに先立つ実験放送の頃から出演されており、黒柳徹子さんと並んで日本のテレビ放送黎明期を語る上で欠かせない存在です。

ほがらか日記(JOAK)※テレビ実験放送[8]
謡と代用品(1940年10月8日、JOAK)※テレビ実験放送[9]




太平洋戦争中、「奈良は文化財がたくさんあるから爆撃はないだろう」というお父さんの考えにより、奈良県生駒郡富雄村(現・奈良市富雄地区)に疎開されています。


15歳の頃、愛読していた雑誌『ひまわり』の懸賞小説に応募して入選されています。その後1952年初の著書となる『小さな花の背のび』が刊行されています。

その後、読者投稿ページの編集長などを任されることもあったそうです。


吉行淳之介氏への恋


16歳の頃、メイコさんは雑誌社でアルバイトをしていた時に当時編集長格だった吉行淳之介氏に熱烈な恋をしたがされたそうです。

吉行氏は既に結婚していたためメイコさんの片思いに終わり、痛手に耐えかねてアルバイトをやめられたそうです。

1955年に出版された吉行淳之介氏の短編『水の畔り』に以下の描写かがるそうです。

「ある冬の日、冗談のように彼の両手でつつみこんだ少女の片方の掌を、乱暴に彼の外套のポケットへ投げこんだ…」

ここに登場する少女のモデルは中村メイコさんだったそうです。

成人後の活躍


1955年にメイコさんは歌手としても活動し、「田舎のバス」(三木鶏郎作詞・作曲)がヒットしました。


また、ボニージャックスとともに関西の製菓会社パルナスのCMソングも歌っておられます。

1957年に作曲家の神津善行氏と結婚されています。

長女は作家の神津カンナさん、次女は女優の神津はづきさん、長男は画家の神津善之介氏と芸能一家で知られ、メイコさんを含めた神津家は「神津ファミリー」と呼ばれます。








1959年の第10回から1961年の第12回までメイコさんは『NHK紅白歌合戦』の紅組司会を3年連続務められました。

そのラジオ中継の音声が現存し、第10回は2009年4月29日放送のNHK-FM『今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で、中村の司会も含め全編が再放送されたそうです。


メイコさんは歌手の美空ひばりさんとはプライベートでも大親友だったことが知られています。

また、ひばりさんと同じ「三人娘」の江利チエミさんとも親交がありましたが、ひばりさん(1989年)・チエミさん(1982年)ともに若くして病死され、二人それぞれの訃報を聞いた直後のメイコさんはショックの余り号泣されたそうです。


2016年、芸歴80年目を迎えられました。

めぐめぐがすごいと思う中村メイコさんのこと

1多分日本で現在一番長い芸歴85年(2021年)を持たれ、子役から現在まで様々なジャンルで活躍されていること

2作家のご両親から作家の才能をもらわれ、作家としてもたくさんの著作を描かれ、作文教室などの番組も持たれていたことがあること。

3ご家族を大切にされ、友人を大切にされ人生を生き抜かれてきたこと。

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