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第27週 漫画家 一条ゆかり

はじめに

第27週は漫画家の一条ゆかりさんです。


誕生

一条 ゆかり(いちじょう ゆかり)さんは1949年9月19日に岡山県玉野市に

藤本 典子(ふじもと のりこ)さんとして6人きょうだい(姉2人兄3人)の末っ子としてお生まれになりました。


漫画家になるまで

典子さんは中学時代より精力的に漫画を描き始められます。

玉野市立玉野商業高等学校に入学され、高校1年生時の作品「雨の子ノンちゃん」(若木書房)で単行本デビューされます。

高校2年生の1967年第1回りぼん新人漫画賞に「雪のセレナーデ」で準入選されます。
1968年(昭和43年) 同作で再デビューされ、同年春に高校を卒業されます。

上京

1969年(昭和44年)ゆかりさんは 少女誌での連載を続ける気持ちを固め、上京されます。
1970年(昭和45年) ゆかりさん『りぼん』にて最初の連載「恋はお手やわらかに」を開始されます。同年8月号より始めた「風の中のクレオ」がヒットします。

当時先輩少年漫画家から「少女漫画は背景とか適当でいいから楽だな」と言われて悔しい思いをしてから、背景の車等を弓月光さん、新谷かおるさん及び聖悠紀さんに書かせるようにされたそうです。ゆかりさんは彼らのメカ3兄弟とよんでいるそうです。


70年以降の活躍


1972年(昭和47年)『りぼん』の別冊付録として『一条ゆかり全集』(全6作)を刊行されます。

その後は「デザイナー」「砂の城」などの作品でヒットを飛ばされます。

1960年代終わりから70年代の半ばごろ、少女漫画の華麗な画風の進展をリードされます。

平面的・装飾的とも言えるイラスト的な線によるドラマチックな表現を進められました。

シリアスな作品を執筆する傍らで「こいきな奴ら」「有閑倶楽部」などのコメディ色が強い作品も執筆されています。

80年代



1986年(昭和61年) -「有閑倶楽部」で第10回講談社漫画賞少女部門受賞されます。長年に渡って集英社『りぼん』にて執筆されていましたが、『コーラス』に移籍して活動されています。
ゆかりさんは「有閑倶楽部」の公式ページに設置されている作品クイズを

試されたことがあるそうで、クイズには苦戦されたそうです。

初級レベルで一度間違え、最上級で断念したそうです。

2000年代

2004年の6月に雑誌の締め切り中に緑内障を患うわれます。作業中は時々目が見えなくなることもあるほど悪化しておられるそうです。

2006年(平成18年)7月、キリスト教系の新興宗教摂理が警察の捜査を受けた際、同団体との関連が各種メディアで報道されるなど注目を集めた。

騒動に対してゆかりさんは『コーラス』編集部を通じて公式コメントを発表されたそうです。

その中でキリスト教をテーマの一つとした『天使のツラノカワ』の執筆準備で取材に応じた聖職者に摂理の関係者がおり、同人物から摂理の集会を「プロテスタント教徒の勉強会」と偽って紹介された経緯を説明したそうです。

騒動が起きるまでは勉強会が摂理の集会とは知らず、従って摂理の信者でも広告塔でもないと明言した上で「取材上の考慮が不足していた」として関係者各位に謝罪されました。

2007年(平成19年) 「プライド」で第11回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞されます。
2008年(平成20年)ゆかりさんは 漫画家デビュー40周年を迎えられました。

ゆかりさんは左利きで、この頃左手に重い腱鞘炎を患われました、ペンを持つ時に左手の人差し指を曲げることが出来なくなられまhした。

痛みを軽減させるため、ネームや下描きの時は右手を使って描くこともあるそうです。ただしペン入れだけは利き手である左手で描いておられるそうです。

そのような経緯でプライドを最後に漫画を描くことからは2010年引退されました。

漫画家引退後

2014年(平成26年) 公益社団法人 土木学会 市民普請倶楽部 のプロデュースを行われます。


2019年から2020年に掲載されたのOurage の記事では、様々なことにチャレンジしながらセカンドライフをエンジョイされていることを語っておられます。


めぐめぐがすごいと思う一条ゆかりさんのこと

1中学生の時から漫画を描き始められ、70台近くまで60年間数多くの漫画を描かれていること

2りぼんという雑誌を通して女子コミックの分野を日本の漫画の世界の一つを確立されたこと

3そしてセカンドライフで家庭菜園、運動などをはじめたくさんのことに現在も挑戦され、益々輝いておられること。





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