生まれる国を選べない、くじ引きみたいな世界線上で
カンボジアに思いを馳せる、続編。
遺跡のあちこちにはたくさんの売りの子どもたち。
暗記した日本語の売り文句を呪文のように唱えて目で訴えてくる。
アンコールワットのポストカードか..
要らない
要らないのだけど..
でも、たった1ドルくらい惜しむべきじゃないのかもしれない・・
とか思ってたら「そういう問題ではない」とガイドさんにたしなめられ、結局何も買わない。
ごめんなさい。
やっぱり欲しいと思えないものに1円たりとも出したくない性分みたいだ。
ごめんなさい。
先進国に生まれ落ち、海外旅行を愉しめる境遇にたまたま居合せたにも関わらず貧乏根性丸出しだ。
連日連夜、世界各国から大勢の観光客がやってくる。
いとも簡単に、20ドル以上の入場料を払ってアンコールワットを目指す。
時を同じくしてその地で、10枚1ドルのポストカードを必死に売り生きるためのお金を稼ぐ現地の子どもたち。
この子は私たちのグループにずっとついてきてた女の子。
お金をもらえないとわかるとすかさず次のターゲットを探す。
その目には何が写り何を感じるのだろう。
自分の国から一歩も出られないまま生涯を終える、という人生に想像を巡らす。
たまたま生まれついた国が日本というだけで、
たまたま海外旅行を愉しめる境遇に恵まれたというだけで、
ただ、それだけである。
どちらが一生懸命生きているとか苦労しているとか人格的に優れているとかそんな次元の話じゃあない。
くじ引き。
これはガチャガチャだ。
「運」という最も不平等な世界線ガチャをすべての人間が引いている。
わたしとこの子の生きる世界線は、この瞬間交わり、そして恐らく永遠に遠ざかる。
遠ざかった先にお互いが歩む人生を想像する。
否、できない。
そうして思うことはただひとつ、
わたしは己の人生に集中せねば。
〜おまけ〜
カンボジアでも日本でも世界中のどこもかしこも、不平等な現実だけが平等に与えられているよねホントに。