本の価値を下げているのは誰か

わたしは本が好きだ。
それも紙派だ。
次の展開を期待したり戻って読み返したり、ページを自分の指でめくるという行為も好きだ。

世界の本好きに比べると大したことないレベルだ。
それでも、本が与えてくれる学びや気づき、そこに至るまでの道筋を文章にしてくれる作者に対して敬意を持って接していると思いたい。

無断転載をするユーザーたち
原画を加工してネットプリントで販売するユーザーたち

さて、今回表題の件を考えるに至ったのは、Instagramでのとある日常である。

Instagramは、フォロー以外の投稿もその人の検索履歴や行動によってアルゴリズムでランダムに表示されるようになっている。
このときに目に入る「無断転載」について、日々たまっていく「鬱憤」がある。

わたしは本来単行本派だった。
直接応援したいと思う作品のみを手に取るタイプで、一種のコレクターのような類でもある。

しかし、Instagramを使用する際に日頃「自動的に」目に入る「無断転載」の画像の数々に頭を悩ませるようになった。
いわゆる「ネタバレ」ーーー単行本派は本誌のスピードには追いつけない。

それが嫌で嫌でたまらなかったわたしは、定期購読を始めた。本誌派ではなかったが、ネタバレするよりも自分の目で一番に確かめたい気持ちのほうが勝った。

個人的な解決はこれでいいのだろう。
しかし、このユーザーたちはどういう思いで、「無断転載」をしているのだろう?と不思議に思った。

「無断転載」だけでなく、作品の原画をPhotoshopなど加工ソフトで切り取り、加工し、「自分の作品」と宣い、ネットプリントで販売をするユーザーもいる。
自分が筆を持ち、描いた絵ではなく、原画。
Photoshopで切り抜いた原画を「自分の作品」って言うユーザー。

ふむ。
(信じられないよね。)

だから、聞いてみた。

「コメント欄にそういうこと書くんじゃねえよ。DMに送れよ。萎えたわ。」

こう返ってきた。
ふむ。
迅速な対応をありがとう。

おそらく、何となく、「よい行いではない」と思っているようだ。
なぜなら、純真無垢に何も考えてなければ、こういう回答はしないはず。
後ろめたい気持ち、罪悪感、図星な質問をされカッとなってしまったーーーそんなネガティブな感情も混じっているようだ。

しかし、「萎えた」という言葉からあるように、このユーザーたちは、ポジティブな意味で「無断転載」をしているように思える。

それは、「感想の共有」である。

感想の共有を身近以外の人間とつながりあい、仲間をつくりたい。
そんな思いからInstagramを始め、「無断転載」という手法を取っているのかもしれない。

つまり、これは彼らの「正義」なのか。
ふむ。

これらのユーザーはファンではない

わたしは感想の共有は活発にするべきだと思う。
好きなものを好きと言えることは素敵なことだと思うし、そういう関係性を構築できる能力があるのも素晴らしいことだと思う。

しかし、残念ながら、これらのユーザーは作品や作者の「ファンである」という選択肢を自ら放棄していると考える。

購入したものは、ユーザーのものではない。
購入したからと言って、何をしていいわけでない。
購入者の行動の仕方を履き違えてはだめだ。

作品が売れることで、作者や出版社の人に収入が入ることを。
そして、物流、書店、作者のアシスタントなど、本の出版の関係者の生活や経営に直接的、間接的に関わっている。
売れることで「生きていける」「命がつなげる」。

単純に考えると、無断転載で本を買わなくなる人が増える、作品価値が下がる、悪質なフォロワーが増えるなど、作者にとったらたまったもんじゃない状況につながる。よね。

これで、「大好きです」。
ふむ。
もう一回言ってみてもらってもいいかな?

「ファン」は作者の作品が好きなだけじゃない。
敬意を払って、お金も払って、作品を好きだと言うし、規範や倫理、道徳を守り、作品を推奨する。

「ファンではない、一緒にしないでくれ」と声を上げて叫ぶよ。

大量生産、大量消費、大衆文化は終わる

日本の消費文化は1点の価値を高めるのではなく、あれもこれもそれもできるだけ広く多く人のためにと形成されてきた。

価値を高め、示すことが苦手な日本人。
情報や価値を有償で買うことができない日本人。

これが、本にまつわる関係者の首を絞めている。

本の生き残り方

結局のところ、一番自分の首を絞めているのは、出版社だ。
本が生き残る方法を本気で考えないといけない。
安かろう安かろうの販促はやめるべきだ。
作品の価値を下げているのは出版社だと思う。

わたしは、ただの本好きだ。
出版社の事情なんて何もわからない。
すみません。

そんな本好きが考える本の生き残り方。

とても単純だ。
「低価格で価値を売らないこと」。

低価格。
誰でも読めるように。

こうしなくてもいいはずなんだよね。

週刊少年ジャンプが250円?270円?
信じられる?
わたしは毎週毎週しのぎを削る作者が報われなさすぎる金額に思えてならない。

「仕事ぶり」を評価しない。
「結果」で評価する。
作家たちの仕事はこれまで数字で評価されてきたはずなのに、270円。

値上げしてもファンは買う。
そして、ファンは作品を蔑ろに、ぞんざいに扱わない。
作家がこれからもすばらしい作品を生み出すために、「購入する」という行動を通じて応援をする。

どういうふうに作品を愛してほしいか。
どういうふうに読んでほしいか。
楽しんでほしいか。
そして、作家たちにどんなふうに活動をしてほしいか。
自分たちはどんなふうに応援をしたいか。
いままでのやり方に囚われないで、改めて定義をして、自分たちの誇りある仕事に対して価値付けをしてほしい。

作品は職人技。
作家は職人。
本は仕事。

いまいちど、日本社会にその威厳を示してほしい。

無断転載ユーザーたちへ

わたしはあなたたちのことが好きではない。
同じ作品を愛しているファンだとはどうしても思えない。

「お金を払って買ったし!」
そうだろうね。
「別にわたしだけじゃないし!」
そうだね。

うん。そうだね。

ただ、「感情を共有したい」。
でも、その行動によってあなたは社会的な信頼を失っているんだ。

これはね、デジタルネイティブ世代へのインターネットの使い方、著作権などの法律、経済学、経営学、物流の仕組みのような、基本的な社会の知識を知る機会を与えてこなかった大人たちの責任でもある。

コミュニケーションの取り方、他人への配慮、想像力の働かせ方、客観的な視点を持つことができない人を社会に送り出す責任を大人たちは深刻に考える必要があるよね。

そしたら、日本の教育ってこれでいいのかな?
もっと学ぶことってあるんじゃないの?
そう思っちゃうよね。

誰もが見ることができるInstagramの公開アカウントの無断転載。この一場面から、日本のいろんな課題が見えてしまいそうだね。

無断転載、やめようね。
感情の共有の仕方って、無断転載じゃなくてもいいじゃん。
大人はそう叫ぶよ。

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