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小説

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【掌編小説】黒猫

【掌編小説】黒猫

その日の僕はひどく疲れていた。

仕事で予想外のトラブルがあり、会社を出たときには22時をすぎていた。家に向かう電車の中で「今から帰ります」というLINEを妻に送ったが、返信はなかった。

彼女がすぐに返信をよこさないことは珍しいことだったので、一瞬、どうしたのかなと思った。しかし、なんといっても、いまは22時をすぎているのだ。お風呂にでも入っているか、あるいはもう眠っているのかもしれない。

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「透明」第1話

「透明」第1話

「楓さん、俺のこと好き?」

と、聡はときどき、わたしに聞く。

「うん。好きだよ」と、わたしは何の迷いもなく答える。そうすると、聡は、なぜか少し不機嫌そうな顔をする。

「なに? 自分から聞いてきたくせに、なんでそんな顔するの?」

「楓さんさ」聡は言う。「もっとさ、怒りたいときは、怒っていいんだよ?」

「怒るって、何を?」



聡がこのアパートに住み着いて、もうすぐ半年になる。

聡は、

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「透明」第2話

「透明」第2話

夢の中で、楓さんは泣いている。泣きながら、こう言う。

「ねえ、わたしたちの関係性ってなんなんだろう? 聡は、いったいいつになったら、わたしのことを恋人にしてくれるの? もうわたし、待ちくたびれちゃったよ。さよなら」と。

俺は、玄関から出ていこうとする楓さんを、なんとかして止めなくては、と思って立ち上がる。「待って」と、俺は言おうとするのだけれど、喉が塞がったようになって声が出ない。追いかけよう

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「透明」第3話

「透明」第3話

初夏を迎えた頃、聡の就職が決まった。

いくつかの企業から内定をもらって検討した結果、来年の春から、大手企業の研究員として働くことに決めたのだという。「大手企業」というのは、文字通りの大手企業で、みんながだいたい名前を知っているような電子機器メーカーだった。

「来年になったら、こんなふうに呑気にはしていられないんだろうなあ」と、聡はまだ働いてもいないというのに、頻繁に言うようになった。

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「透明」第4話

「透明」第4話

コーヒーフロートってさあ、どうやって食べるのが正解なのか、ぜんぜんわかんないよね。このアイスの部分を全部先に食べちゃうと、ただのアイスコーヒーになっちゃうじゃん。なんかそれだと損した気分になるから、こうやって、ちょっと溶かしてから食べるのがいいよね、そうすればさ、ちょっとカフェオレみたいな感じになるもんね。あ、それか、アイスとコーヒーを交互に口にいれるとかも、いいよねえ。

「彼女」はそう言って、

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「透明」第5話(最終話)

「透明」第5話(最終話)

”楓さん、いまどこにいる? いま、電話してもいい?”

画面に表示されたメッセージ通知を眺めながら、聡が、わたしのことを、どうしようもないくらい好きで好きでたまらない、とかだったらよかったな、なんてことを、つい思ってしまう。

そんな世界線のわたしだったら、今みたいに「いま電話していい?」なんてメッセージがきたら、わくわくしながら瞬時に「いいよ」と返信するか、もしくはこちらからすぐ電話をする。きっ

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