見出し画像

評価的なことばから、共感をつくる方法

先日、NVC (Non-violent communication:共感コミュニケーション)の単科講座をオンラインで開催した。

予想していたよりも自分の中で大きな手応えを感じたのでメモを残しておく。

NVCとは?

NVCとは何なのか一言では言えないので、分かりやすい記事を紹介したい。

私はNVCを「自分と他人が本当に欲しているものに気付くためのコミュニケーション方法」ではないかな、と思っている。

「無敵のコミュニケーション」と言われることもあるけど、「自分が最強になる」のではなく、「敵は元々いなかったことに気付く」コミュニケーションとも言える。もちろん、NVCで全ての人間関係が解決するわけではないけど、お互い何かしらのニーズを満たそうとする人間同士であることに気付くことは、長期的にみると一つの希望にもなってくれる。

評価的なことばとは?

日本語で「評価」と言うと、「〜は高く評価された」など、モノやサービスの人気の程度を表すことが多いが、NVCでは「責められた」「批判された」「聞いてもらえない」「侵害された」など、ある出来事や人に対して自分の価値判断を含めることを指す。

そう説明すると「つまり評価的なことばは良くないから使うなってことね〜」と思われるかもしれない。

むしろその逆である。実はあなたの価値判断が含まれた評価的なことばは、あなたが本当に持っているニーズを知る目印になりうるのだ。

判断する、批判する、評価する、解釈を加えるということはどれも、自分が必要としていることが満たされていないという遠回しの訴えだ。「あなたにはわたしのことを決して理解できない」と誰かがいえば、それは理解されたいというニーズが満たされていないという訴えなのだ。妻が「今週、あなたは毎晩遅くまで働いていた。わたしよりも仕事の方を愛しているのね」といえば、親密であることを必要としているのにそれが満たされていないという訴えなのだ。  『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』(マーシャル・B・ローゼンバーグ)より

この評価的なことばが指し示す「感情」「ニーズ」を一覧にした英語の表がこちら↓


これを約2ヶ月かけて日本語に訳し、編集したものはこちら↓


なぜ英語から日本語に訳したのか

私はこの表を最初に見た瞬間、ワクワクが止まらなかった。

18歳まで日本で暮らし、その後英語圏の大学で勉強した私の頭の中を見てみると、英語と日本語という二つの言語が同居している。自分の気持ちがどちらの言語でも上手く伝えられず、もどかしく感じることが多い。まるでモザイク状態のように二つの言語が入り混じっているので、もし片方の言語しか使えなかったら、「私」が半分になってしまうと思う。

「二つの言語が使えるなんて羨ましい!」と思ってくれる人もいるかもしれないが、不便なこともある。自分の全ての感覚を、一つの言語だけで伝えられないのだ。一つに統一しようとすると、とても労力がかかるし、その言語で掬いきれなかったニュアンスが、未消化のまま私の中に溜まっていく。

そもそも、ある言語を全く同じニュアンスで別の言語には訳すことはできない。それぞれの言語にそれぞれ特有の個性があり、背景とする文化を内包しているからだ。同じ「英語」であるはずのアメリカ英語とイギリス英語でさえ、微妙なニュアンスの差がある。

(そして、日本人がよく言う「英語が話せない」というのも、「英語で話せないような内容を話そうとしている」ことかもしれないということ。この話は長くなるのでまた別の機会に。)

この表の良いところ

1.英語の視点によって、日本語の意味が鮮明になる

逆説的かもしれないが、英語の意味を知ると、日本語の意味がより深く分かってくる。英語の特質として、「誰が」「何を」という、動作主とその対象を明確にすることができる。

日本語であいまいな「誰が」を意識することで、「自分が誰かに〜された」というストーリーがはっきりする。

たとえば、「息苦しい」と訳した「suffocated」には「首を絞められた」という意味がある。つまり、「誰かによって首を絞められたようで息苦しい」と、評価的なことばのイメージがより鮮明になってくるのだ。

2.複数のストーリーの中に生きていることに気付くことができる

前回の単科講座で驚いたのは、評価⇒感情⇒ニーズという順番ではなく、評価⇒感情⇒評価⇒ニーズという順番で、さらに深いニーズにたどり着くことができたことだった。

つまり、一度「感情」ベースで分解し、もう一度「評価的ことば」を組み立てると、その人が感じている、もっと根源的なストーリーが浮かび上がってくるかもしれない、ということだ。

3.評価的なことばを知ってもらうことで、よりよい共感の場をつくれる

私自身、あまり共感が得意でないこともあり、共感しようとしても「つまりこういうことね」と早合点し価値判断を下してしまうことがよくある。つまり、共感しようとして、自分の中の分かりやすいストーリーに結びつけてしまうことがある。

もちろん、その評価のことばが相手の意図するストーリーと一致した場合は、その奥にあるニーズを一緒に見ていくことができるかもしれないが、違った場合は、相手をさらに傷つけかねない。

その点、相手と「評価的なことば」を共有することで、的はずれな共感が減ることにもつながるのだ。

今後の課題 〜複数の意味があることば〜

一つ一つ評価的な言葉を訳せたとしても、全く同じイメージを想起できるとは限らない。つまり、訳された言葉に付随してくる「キリンの感情」「キリンのニーズ」が異なってしまうかもしれないということ。

例えば、「abused」は「乱暴に扱われた」と訳したが、他にも「虐待された」という意味もある。しかし、「虐待された」とすると、「親が子に対して振るう暴力」という意味を固定しかねない。「abuse」には「罵倒する、ののしる」という意味もあるので、もう少し包括的な「乱暴に扱われた」という訳にした。もしかすると、「虐待された」と「ののしられた」の二つを作った方が良いのかもしれない。

これが良い訳かどうかは、「使う人が自分の経験や他人の経験と照らしあわえて、しっくりくるかどうか」で決まってくる。そのためには、色んな方の内的な経験に耳を傾け、その都度修正していく必要がある。

自分の共感力の向上することに興味があり、そのプロセスにも貢献してくださる方はこちらへ↓ (5/1は満席になりました)




この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
Thank you♡
10
暮らしをつくること。世界を巡ること。言葉を紡ぐこと。「ことばのたね」として英会話・翻訳を行っています。https://kotobanotane.com/
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。