見出し画像

早大生が在学中に子供を身ごもったときのこと②就活


早大生が在学中に子供を身ごもったときのこと①卒論
の続きです。

若者にとっての「あたりまえ」との別れ

学生の身で子供を授かったこと。それは学生から社会人初期の若い時代に、普通の若者が享受できる、多くの「あたりまえ」との別れでもありました。

・カフェテリアで友達と他愛もない話をする時間
気の向くままに旅行に行くこと
・やっと受験勉強から解放され、今度こそ自由な勉強をすること
・中学時代から夢見てきて、ようやく仲間と始められたバンド
・なけなしのバイト代でスクールに通って、ようやく様になってきたドラム
・グローバルな仕事に就きたくて、教室に行って上達しかけていた英会話
・若さに任せてがむしゃらに、自分のために何かを試したり、どこかに行ったりして、挑戦するすべてのチャンス

そんな同年代にとって「あたりまえ」の自由が、私の元から消え去っていきました。年相応で親になったなら、行動が制約されて当たり前とある程度割り切れるものが、タイミングがずれるだけで、どうしてこうも、自分だけ別世界の住人になったように思えてしまうのでしょう。

もう私が何かをしたいと思った瞬間に、それを試してみる自由はない。
きっと、この先ずっと・・・

でも、自分で引き寄せたこと。自業自得。
それに、同じような状況になって、学業や新卒での就職をあきらめなくてはいけなくなった人もいる。私もあと1年ずれていれば、そうだった。
卒業させてもらえるだけで、じゅうぶん。就活できるだけで、じゅうぶん。
元気な子供が授かるだけで、じゅうぶん。なのに他に何を求めるのか。
「それ以外のことは、二の次だ」そう、自分にひたすら言い聞かせる。

そして、卒論の他にもう一つ、目前のことを片づけなければなりません。
子供がお腹にいながら、就活をすること。
時系列的には、研究室配属よりも前の、3年生の冬に遡ります。

子供がいることを、採用担当者にいつ伝えるべきか

まず悩んだことは、就活全般において、お腹に子供がいることを、最初から採用担当の方に告げるかどうかでした。

言ってしまった方が気が楽。だけど、最初に言ってしまったら、『子持ちの人』というラベルだけが先行して、『私』という人物を見てもらえなくなるかもしれない。それであれば、ある程度人となりをわかっていただいた後に、事情を説明したほうがいいのではないか。

そう考えて、選考の途中までは話さずに、普通の学生として就活をすることにしました。
今思えば、もっといい方法があったかもしれませんが、就職自体が初めて。採用担当者がどんな人なのか、会社がどんなところなのかすらもイメージがわいておらず、どこに相談していいのかもわかりません。なので唯一、母とだけ上記のようなことを相談して取り決めました。

そもそも子連れで新卒として雇ってくれる企業があるのかすらわからない。
でもやってみるしかない。

こうして、お腹に子供がいることを隠して、リクルートスーツを着込み、就活が始まりました。

地方での就活を開始

幼子を抱えてのキャリアのスタートになるので、地元の実家の支援を得ながら働くのが、きっと精いっぱい。逆に親元であれば、他の新卒の人と遜色なく、フルタイムでも働けるでしょう。
子供を授かったことに気づく前までに、東京の就職説明会で目にしていた、名だたるブランド企業への就職はあきらめ、Uターンを前提に、地元北陸の就職説明会に足をぶことにしました。

地元では、「県外へ進学していった優秀な学生を、1人でも多く獲得して連れて帰りたい」という採用ニーズがあり、採用担当者が首都圏・関西などに出向いて、採用活動を行うための就職イベントを主催している就職支援企業が存在していました。

その就職イベントは、企業ブースへ学生が出向くのではなく、目当ての学生の元へ、企業の採用担当者が出向いて直接声をかけるマッチング形式の説明会でした。

特段の事情もないのに、早慶の理工系学生が、新卒で田舎に帰って来ることはそう多くありません。まれな人材を確保しようと、私には、面談希望待ちの列がつきました。

「今日は名簿を見て、あなたとぜひ話したいと思っていました」
「コンピュータを勉強されて、まさにこれから期待の星ですね」

何も知らない彼らから褒められるたびに、胸が痛み、息ができないような気分になりました。

そうじゃない、私は曰く付きの人間だ。そんな褒め言葉は受け取れない。
私は、この善良な人たちを、騙しているんじゃないだろうか…
このうちの何人の人が、本当の事情を知ったら、がっかりして、行ってしまうだろうか…

そんな人を欺いているような罪悪感にとらわれ、良心の呵責と不安を、就活の間中、ぬぐえたことはありませんでした。

この形式の説明会が2回ほどあったでしょうか。ポーカーフェイスで乗り切ったあと、やはり、つわりでこっそりと吐いていました。

「大企業ではなく、優良企業になりたい」

同イベントの冒頭に、イベントを主催している就職支援企業自身の、企業説明会があったので、足を運んでみることにしました。この企業にとって、イベントの参加企業はクライアントにあたるので、別枠で小さく自社の採用活動を行っていたのです。

大企業ではなく、優良企業になりたい。

そう言いながら、段上で会社の未来のビジョンを語る、中年男性と目が合いました。その人は、同社の部長でナンバーツー。のちに聞くところでは、慶應卒の都市銀行のOBで、中小企業診断士とのこと。その語り口調には貫禄があり、惹き込まれるように見入ってしまったことを覚えています。

当初は、地元の企業に、あまりピンときていなかったけれど…なんだか楽しそう。少しだけ心が動き、その企業にも、エントリーしてみることにしました。

この「大企業ではなく、優良企業になりたい。」は、私がのちに会社を設立してから、受け売りのごとく、座右の銘になります。

選考

いったん富山へ帰り、先日の就職イベントでご縁のあった何件かの企業へ、訪問に出向いて回っていた折、就職イベントを主催していた企業の、例の部長から電話がありました。

「先日受けて頂いたGAB(適性検査)が、高得点で、性格も良いことがわかりましたので、あなたの選考を早めたい。いちど我が社に訪問に来ませんか?」

・・・適性検査って、そんなに重視するものなのか?それに性格が良いかなんてわかるのかしら?(隠し事をしているホラ吹きなのに・・・)
などと心中でぼやきながらも、呼ばれて行ったところは、実家から徒歩15分のところにある、新築の立派な自社ビル。これから飛躍するビジョンを描くその企業は、広いフロアがまるごと空いており、増員に備えるべく新品のきれいなデスクが沢山ならべられていました。

「説明会の時に、君が真剣に話を聞いていたときの目が、印象的だった。」
と、部長は先日の様子を覚えていてくれたようです。

そこで紹介された先輩社員に、採用担当を兼任している3歳年上のR先輩がいました。ニコニコと屈託のない笑みを見せる彼女は、会社の魅力を語りながら私の話を聞いてくれ、
松原さんと一緒に働きたい!ぜひ来てくださいね。
と声をかけてくれました。

R先輩も交えて、将来のビジョンを語る中で、部長が冗談交じりにポロッと言いました。

いつか、Rさんと松原さんで、ウェブサイト制作の子会社を作ったらいいんですよ。

これは、私の人生に部長がのこした伏線となります。

社長面接

就職支援企業が、クライアントである他社も欲しがる学生を採用するには、早期に一本釣りするしかない。
他の企業と競合しないからと、就活が活発になるシーズンを避けて早期に内内定を出すのだそうです。(当時は今と就活解禁のタイミングなども違い、今の感覚とは少しずれるかもしれません)
3年生の2月には、あれよあれよという間に、子供のことを切り出せず、もやもやとしたまま、社長面接に臨むことになりました。

淡々と終わりかけた社長面接の最後に

「他に何か、気になっていることはありませんか?」
とたずねられ、
「いえ、大丈夫です。」
と答える。
「本当に、気になっていることはありませんか?」
たたみかけられるように何度も尋ねられました。

感性の鋭い社長には、胸中にあるものをなんとなく見透かされていたのでしょう。しかし、本当に、子供のことを言ったほうが良いのか、言わずに済ませるべきなのか…
そもそも、別に言わなくても良い程度のことなのか(…いや、それはない)
何が人として誠実なのか…
でもやはり、保身に走ってしまう…
そんなことが、頭でごっちゃになって、委縮して思考停止。結局、初めて会うその人に事情を切り出せぬまま、ふがいなく面談を終えてしまいました。

子供がいることを告げる

翌日、早速、部長に呼ばれて内定を告げられ、その後に「食事をしましょう」と向かったのは、忘れもしない中華料理の高尾。当時富山でそこそこ名の知れた名店で、幼い頃から両親と何度も訪れたなじみの店でした。

部長とR先輩は、私の内定を心から喜んで、私の好きな担々麺をふるまってくださいました。
ひととおり歓談し、食事も終わりかけた頃。
いつ言おうかと決めていたわけではないけれど、今、言わなきゃいけない気がしました。

「あの・・・お伝えしなきゃいけないことがありまして・・・」
ついに口火を切りました。

実はお腹に子供がいること、今まで、言えなかったこと、黙っていて申し訳なかったこと・・・

支離滅裂で、どう伝えたのかは、もはや思い出せませんが、後にR先輩に聞くところによると、目に涙をためながら話していたようです。

一瞬の沈黙ののち、部長が口を開きました。


「それは・・・・






さぞ、お辛かったことでしょう。

部長の言葉に、涙腺が決壊した。

人の親でもあるその人は、私を責めることなく、ねぎらいをかけてくれました。

内定については、一度持ち帰って、社長に話してから返事をしますとのこと。
いったん帰社後に部長から連絡があり
「明日、社長が改めて面会しますから、胸のつかえをとって、社長に思いのたけを話してください。」
と告げられました。(つづく)

続きはこちら


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?