『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

分かりやすい題名。純粋にこの言葉に興味を持って手に取ってみた。

街で盲導犬と歩いている人、白杖を持っている人を数回見かけたことがある程度で自分の周りに『目の見えない人』がいないので、どういう感覚で周りを認知したりしてるんだろう?という素朴な疑問もあったりした。

思った以上に未知の世界だった。

①メモがとれない

当たり前なことだけど今まで考えもつかなかった。日常で自分が忘れないようにしようとしていることをどうしてるか考えてみた。ちょっとした付箋に書いて目に付くところに貼っていたりスマホで写真を撮って残したりしている。目で見えているということは②にも通じることだと思うが、日常の中で覚えてなくてもいい、自分に本当に必要な情報じゃない情報も得ることがあってわりとそれに翻弄されているのではないか。情報化社会といっても自分自身にとって必要なことだけを取捨することを忘れてはいけないのではないか...と思った。

自分で意識して記憶に貼り付けようとするのはすごく体力が要る。語学勉強の時に人から教わった表現とか、忘れたら失礼だし忘れないようにしようしよう...としていても記憶から剥がれ落ちてたり、気づいてまた貼り直して...の繰り返しだった。

そんな意識集中させてやっと一つのことを覚えてるのにわりとどうでもいいことはいつまでも記憶に貼り付いてたりする。世の中はなかなかうまく進まない。ほんと。


②見えない世界は情報量が少ない

これはわりと目からウロコだった。本の中ではコンビニの例を出していた。目の見えない人にとってコンビニは自分に必要なものが売っている空間。でも目が見える人にとってのコンビニは誘惑だらけだ。必要ない広告も目に入るし買う必要もないスイーツなんかが目に付いて買ってしまったりする。街中を歩いていても自分に必要のないお店の看板、ポスター、貼り紙たち。インターネット、スマホでもそれは同じだ。フリーメールを使うおうとすると画面のあちこちに不要なバナー広告が表示される。ニュースを読もうとすればどうでもいい記事なんかがリストに含まれていて目にしてしまう。広告を消すのにお金を払うなんていうこともあるくらいだから本当に必要のないものたちに囲まれて生活している。無料のものに溢れているが、無料で成り立っているものは世の中に存在しない。無料のコンテンツを作っている人にも生活がある。ユーザーには無料で成り立たせるために企業は広告料を払ってそのコンテンツを成り立たせている。その企業の思惑みたいなものに惑わされそうな自分がいる。

ごちゃごちゃした現代社会。それが嫌で田舎暮らしを目指す人もいるくらい。そうか、見えないとこういう自分にとって不要なものを目にしなくてもいい、むしろ進化したカタチに思えた。


③色彩感覚

”色を見たことがなくても色を概念を理解している”という一節が印象に残った。その色をしているものを理解してカテゴライズしている感覚。なるほどーっと思った。普段自分たちが当たり前に見ている色をカテゴライズしてみようと思った。なんか新しい視点が得られそう。
それと色について形容する語彙力を持とうと思った。色というのは普段当たり前に見すぎて説明するにも色情報が必要な語彙しか浮かばないのが、なんだか大人として情けないなと思ってしまった。


④「内」「外」、「表」「裏」の感覚の違い

これも目からウロコだった。本では壺の例が出ていた。目の見える人にとっては内側は見えないもの。おそらくデザイン性とか重視するのも外側だけだと思う。(ガラスとか透明なら話は別だけど)この感覚は目の見える人が視点に縛られているということ。目の見えない人にとっては内側も外側も表も裏もすべて対等に大事な要素なんだなということを学んだ。


⑤ソーシャル・ビュー

絵を言葉で説明するってわりと難しそうだなと思った印象。以前読んだ村上春樹の『騎士団長殺し』で語られる絵の描写ぐらいの語彙力があればもしかしたら出来るかもしれない。そう考えたときにああいう文学は目の見えない人にとっても面白いんじゃないかと思った。(目の見えない人の目線で『騎士団長殺し』を読んでいないので、もしかしたら目の見える人前提の描写だったかもしれないけど)今度美術館に行ったときにはソーシャル・ビューするつもりで作品を楽しんでみようと思った。


この本を読んで、語学学習においても見える人見えない人では事情が変わってくるんじゃないかと思った。自分は韓国語、中国語を勉強したが、表意文字の中国語は見えない人に向いてるんじゃないかと思った。
中国語の文章は見えると漢字の意味が分かってしまうので自分の中でついつい日本語の音を当てて読んでしまう。(←そうして勉強をサボってしまう)もし見えない状態なら純粋に音と四声だけ勉強すればいいのでは?と思った。
実際に中国で出会ったロシア人の中国語学習者は漢字は全く書けない!(漢字は絵だって言っていたから“描けない“が正しいかも)といいつつ中国語会話がすごく上手かった。音を聞いてそれをキリル文字で理解しながらだがそうやって1つずつ勉強したらしい。

ロシアといえばロシア語を勉強していた韓国人の知り合いは「ロシア語を現地で一定期間で学ぶとき、ライティングかスピーキングどっちかを完璧にしたいと思ったらスピーキングを選んだほうがいい。ライティングは複雑すぎる」と言っていた。なのでロシア語ももしかすると見えない人向けなのかもしれない。

韓国語は基本的に表音文字だが完璧な表音文字ではない。初級段階でやる変則的に思える発音変化があって文字とは異なる音を出さなければいけない単語が結構たくさんある。(結構法則もいろいろあって全部覚えるのとても面倒。韓国語習得挫折の要因になったりもする。自分はざっくりとだけ勉強して気合いで乗り切った)もし文字情報がなければ発音が文字と違うだの関係ないよな?と思うと挫折要因がひとつ減る。

特に日本人は語学勉強するときに読み書きを重視しがちなので目に頼りきった語学学習方法を取りすぎてるのではないか?と思った。話せるようになりたいならもっと音に集中して勉強したほうが効率的に勉強できそうと思った。自分が実際に音だけで語学を習得したわけではないのであくまでも “そう思った”だけだが、実際は単語を音と日本語訳をひとつひとつ丹念に覚えていく必要があるし根気がないと出来ないかもと思う。ただ語学学習は実際に使うことで成功体験を得られて前向きになれるいいツールなのでいろんな人に試してもらいたいなぁという気持ちがある。

この本に出会えたことで、またひとつ知らない世界を知れた。とてもうれしい。

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