見出し画像

新自由主義的教育政策の概観⑤

⑤上田市の事例

 上田市の事例は、これまでの話とは少し違います。これまでは政治主導で新自由主義的教育政策が進められてきましたが(トップダウン)、上田市の場合は、市民の側から新自由主義的教育政策を実行しろという声が上がったのです(ボトムアップ)。

 その会議には教育委員会は排除されていたそうです。市民側の要求の主たるものは「教員評価・学校選択・教育バウチャーの3点セットを早期に導入すべき」だったそうです。いずれも、これまでの話で登場した新自由主義的教育政策ですね。

 この上田市の事例は佐藤智恵子による『新自由主義下における教育改革と公教育制度の変容』(2009)に詳細が載っているのですが、議事録の発言を元にそこに隠されているロジックを明らかにするという手法が取られています。ここでは、その発言を箇条書きで並べてその空気感を感じてみたいと思います。

・「良い先生のいる学校を選択するのは親と子の自然の心理であり選択と自己責任は民主主義の基本である」
・「私の息子は先生からずっとてめえ日本人かてめえ死ねと言われ続けいじめにあっていました」
・学校間が競争することで教育のレベルが向上し、頑張って人気のある学校にはご褒美として予算を多く付ける」
・「不人気校が廃校になっても当然である」
・「学校教育と地域の教育とどちらが大事か、私は学校教育だと思う」
・「お客さんと(保護者)コミュニケーションを取るのも給料のうち」

 実はこの会議のメンバー一四名の内、当時の「内閣府規制改革・民間開放推進会議」の委員から2名、民間団体からも4名が参加しており、いわば、新自由主義的教育改革の実験場を求めて上田市にやってきた感が否めないにも関わらず、上田市民の中にはこれを歓迎する声もあったそうです。ちなみに、筆者である佐藤もPTA代表として会議には参加していました。

 議事録の発言からも新自由主義的教育改革を望む声というのは何も政治側だけでは無いということが見て取れます。もちろん、「市民」にも様々な人がいます。当然、保護者だけが市民ではありません。新自由主義的教育改革による規制緩和で参入予定の何かしらの企業に務める人だって「市民」です。市民だって自分の生活が豊かになる方を支持するでしょう。そもそも教育の答え合わせは非常に難しいです。教育政策の成否についての判断はすぐにはできないのです。その教育を受けた子どもたちが成人になって初めて、当時の教育についての「一つの答え」がでる。教育とはそのような「長いスパン」の話なのです。

 僕は僕の考えでこれから「新自由主義的教育改革」を否定していきます。それに納得できない人がいることも了解済みです。教育議論が加熱しがちになる所以はまさにこの点です。「教育とは惰性の強い制度である」という洞察を見せた内田樹は加熱しがちな教育議論に対してこのように諌めています。

「惰性が強い」というのは平たく言えば「鈍重」ということです。ハンドルを切ってもレスポンスがなかなかない自動車を運転している気分を想像してください。そういう場合、私たちはついつい動作を大きく、誇張しがちです。「これぐらい言ってやらなきゃわからない」というようなエクスキュースが効くときに、私たちはふだんよりずっと暴力的で、容赦のない人間になります。教育を語る人がつい「熱く」なりがちであり、過度に断定的になり、自説に反対する人に対して必要以上に非寛容になるのは、おそらくそのせいです。

『街場の教育論』 内田樹 2008

 それでも、僕は「新自由主義的教育政策」を否定したい。共感してもらえると部分と納得できない部分があると思うので、それらはご自身で考える材料にしてください。大事なのは一人ひとりが考えることです。「そういうものだから」と諦めずに、関心を持ち続けること。この思いこそ「民主主義」の根幹を成す部分だと思うのです。