ラジオが持つ魅力と使命と

個人的な話だが、自分は少なからずラジオ放送に携わる仕事をしている。これまでも首都圏のFMやAMなどで番組に携わってきた。その中で、時代とともに変化していくラジオ局を中から見てきたし、自分の中でのラジオ番組の楽しさというものも変化していったように思う。

まずは、自分のスタンスはというと、もともと音楽を聞くのが好き(決して詳しくはない)、という理由だけで音響の専門学校に入り(その前に大学中退)、地元のコミュニティFMでミキサーのアルバイトとして業界に足を突っ込んだ。ミキサーをいじって、自分で曲をだす。これが自分の中の楽しみだった。そこから選曲をするようになると色々な曲を知ることとなっていく。その後、首都圏で番組制作をしている制作会社に入り、AD、ディレクターというポジションで番組制作に携わることとなる。ネタを探したり、取材にいったり原稿を書いたりと、まあやることは増える。またニュースを多く扱う番組を担当することで、ラジオを「ニュースメディア」として捉えるようにもなった。

その後、いくつも番組を担当した中で、ある放送局の番組立ち上げに携わる。その番組は、音楽中心でしかもかなり選曲の自由度が高かったので、DJとともに、「いい曲」を届ける、ということにかなりフォーカスした。この番組で、自分の中で「ラジオとは、根本にいい音楽があり、DJのキャラクターがあり、楽しむものだ。」という一つの結論が出た。別にニュースメディアではないのだ(あくまで自分の感覚)。もちろん必要な情報を届けるという使命はあるので、そこはしっかりやるべきだろう。

そこでポイントとなるのが「いい曲」というものだ。100人が聞いて100人全員が「いい曲!」と答える曲は、おそらくこの世にはほとんどないだろう(もしかしたら1曲もないかもしれない)。それくらい音楽・・・アートは感覚的なものだ。もちろん大多数がいい曲、と感じる曲はある。それがヒット曲となるはずだから。しかし、少なからず音楽にも携わる仕事をしてきて気が付いたのは、日本では必ずしも「いい曲」がヒットする訳ではないという、紛れも無い事実だった。最近も、あるオーディション番組で誕生したユニットの曲を聞いた。ポップだが、決していい曲では無い、と自分は感じた。しかし、そのユニットは長い期間のオーディションを経て、多くの視聴者が支持する存在となっていて、自動的にその曲は聞かれる曲となっているのだ。このシステムはある意味で画期的なものだろう。「いい楽曲」に紐づいた「人」の人気が出る訳ではなく、「人気のある人」に紐づいた「楽曲」が売れるのだ。

日本のラジオも、もはや「どんな音楽が聞けるのか?」という部分はほとんどフォーカスされることはなくなってしまったのでは無いだろうか。どれだけ巷で人気のある人が出演するのか、そこばかりが求められている気がするのだ。その先には、代理店やスポンサーの求めるものがあるのだろう。これは営業放送をしている以上、避けては通れない問題なのだが・・・しかし、その人が語る言葉や、その人が選ぶ曲、スタッフが選ぶ曲に、何か光るものがなければ、どんなに有名な人が出ても、決していい番組にはならないと思っている。そして少なくとも、その人自身が、「音楽が好き」ということは最低限で必要なのだ。「このアーティストが好きで、このアーティストの曲が大好き!でも他に音楽はあんまり聞かないです。」これは音楽が好き、とは言えないと思っている。

なんだかとりとめもなくなってきたので、そろそろ書くのをやめようかと思うが、中身のある話ができる人、そんなに有名じゃ無いけどいい曲を作っているアーティスト、そういったものをピックアップすることがラジオに求められているんじゃ無いだろうか。言いたいことはこれだな。

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