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泥酔とは何か。曰く、アルコールに抵抗しないことである。無抵抗に、あくまでもアルコールを吸収し、アルコールの川に身をまかせ、アルコールと一体化する。 2020/07/10

 TGIF!神様ありがとう、今日は金曜日、てなわけで金曜日。伸ばしに伸ばしていた髪を切ったのだけど、刈り上げにはせずに、多少伸びた髪をそのまま活かしてもらったので、相変わらずちょっと長い。前回来たのは、、、昨年の9月と言われ、おいおい、マジかよ、と思ったのだけど、店の記録がそうなのであれば、正しいのだろう。確かに、その間、どうしても切りたくなって近所の美容院に行った気がしないでもないので、半年以上ぶりの訪問ということだったのだろう。

 しかし、だとすると、自分はなんと貢献度の低い顧客だろうか。実に10年以上通ってはいるのだけど、年に2、3回しか行っていない勘定になるわけで、カットだけでは大した金額にもならず、せいぜい年間で2万円程度ということになるのだろうか、そう考えるとなんだか申し訳ないような気持ちにもなってくる。

 行き帰りの街の人通りはそれなりにあって、賑やかさを感じたのだけど、都内の感染者数は243人と2日連続で1日あたりの陽性者数が過去最高を更新してしまったとのことで、世間の活動が正常化するに比例して、感染者数も増えてきているのだけど、なんだか東京都も国も妙に静かなのが気味悪いので、自粛という名の読書生活を続けた方が良いのだろうな、と思いながら、ワインを飲んだ。

 もともと赤しか飲まなかったのだけど、自粛期間中に赤ばかり飲んでいるのにも飽きたせいか、白ワインが飲みたくなる時が出てきたのが自分としても意外な変化なのだけど、割とコクのあるシャルドネを勧められて飲んでみたら美味しかったから、というのがそのきっかけだったような気がする。タバコをやめて久しいが、お酒はやめられそうもなく、アルコールの川に身を任せながら、読む。

 飲んべえがカイヨーにならないのは、泥酔する(出来る)からだということになる。泥酔とは何か。曰く、アルコールに抵抗しないことである。無抵抗に、あくまでもアルコールを吸収し、アルコールの川に身をまかせ、アルコールと一体化する。
後藤明生『この人を見よ』P.85

 私と、R子、A某の三角関係、中年男女の不倫劇が綴られる日記文学かと思いきや、というか、そんな身振りの最たるところがこんな一節で、本当に聞きたいことほどたずねられない、これにやれやれとかつけると春樹っぽいな、とかそんなどうでもいいことを思ったりするのだけど、まったくもってそんな一筋縄でいくような作品ではなかった。

 R子はどうしてあの晩、何も話さずに、黙って早々と帰ったのか? R子と「A某」氏との関係はいかなるものか? どちらが一番知りたくて、どちらが二番目ということではない。問題はどちらもきけなかったことである。本当にききたいことはなかなかきけない。本当にききたいことほどたずねられない。それが問題なのである。何故だろうか?
後藤明生『この人を見よ』P.160

 この後、カルチャーセンターの仲間であるB氏、R子と私、の脳内妄想文学シンポジウムが谷崎潤一郎『鍵』の三角関係をテーマに開催されるのだけど、それもまた、脱線に脱線を重ねて太宰、志賀直哉、芥川龍之介、中野重治といった作家たちの話へと展開し、文学史のような様相を呈するのだけど、その一方で常に提示されるテーマっぽい何かに対する答えは出ないまま、話はとにかくウロウロし続ける。

 未完なので、その脳内シンポジウムの途中で終わってしまうのだけど、いったいこの作品は再び、「私」の日常には戻ってこられる想定だったのかな⋯⋯。そのままもっと遠くへ行ってしまう予定だったのかな。

 何れにせよ、僕たちは置いてけぼりというか、確とした物語などないまま、読みながら宙づりにされ続ける感覚みたいなものがとてもよいわけで、ふわふわしながら読み終わった。後藤明生コレクションが、ちょっと欲しくなってしまったのだが、これまた国書刊行会なんだよ、いい仕事するよなぁ、、、、。

自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。