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文体は道具ではない、方法でもない、ただに言葉の選択だけのことでもない。それ以上のものであって、作者の個性に固有な要素ないし特質を生み出すのは、文体なのである。 2020/02/19

 金曜日。意外とゆとりのあるスケジュールかと思いきや色々と呼び出されてて空いてる時間がほぼなくなる。これにて今週も終了。今週は本格的に糖質を抜いているので、四六時中お腹が空いていた。でも2.5キロくらい体重落ちていたので良しとする。

 川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』読了。『すべて真夜中の恋人たち』しか読んでいなかったので、そうか初期はこんなにとんがってたのかということと、大阪出身なのか、ということを今更ながら体感する。

額だけになった絵の中を吹き抜けてゆく風のように夜の暗さがわたしを吹き抜けて、一歩ごとにわたしを置き去りにするんです。
川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』P.76

 それと、『ナボコフの文学講義 上』も読了。対象の作品を読みながら進めてきたのでずいぶんと時間かかったけれど、これだけ読むより遥かに面白かったと思う。ジェイン・オースティン本当に面白かったのだけど、このちょっとした悪戯めいたところ、楽しい。

ジェイン・オースティンは彼女の嫌味な人物、あまり好感が持てぬ人物たちに、振舞いや様子や態度の点でちょっと異様で滑稽な癖を与え、その人物が登場するたびにその癖を浮き彫りにして見せる方法を使っている
『ナボコフの文学講義 上』P.165

 文体はとても大切。結局文体から色々なことを受け取っている。

文体は道具ではない、方法でもない、ただに言葉の選択だけのことでもない。それ以上のものであって、作者の個性に固有な要素ないし特質を生み出すのは、文体なのである。
『ナボコフの文学講義 上』P.172

 情景描写が気になり始めると、小説の楽しさは倍増する気がします。ディケンズの港の描写を例に挙げながら、ナボコフはそのことを教えてくれる。

文学というものはなにかに関するものではない、それはそれ自体であり、それ自体が本質なのだ。
『ナボコフの文学講義 上』P.288

 小説に描かれた物語が、本当にあったことかどうかなんて問いは意味をなさない。

エンマ・ボヴァリーという女は存在しなかった。「ボヴァリー 夫人」という小説はこれから先も永遠に存在しつづけるだろう。小説のほうが女よりも長生きする。
『ナボコフの文学講義 上』P.310

 いやー、文学講義、面白かった。満足。焼肉食べたい。


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