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生まれて初めて壁の奥深さを知る 2020/04/18

待ちに待った休日なので、朝から好き勝手に本を読む。雨だし、どうせ出かけられる状況ではないし。週末に悪天候というのは自粛ムードを後押しする感じがして都合が良い気がする。自粛が解禁された際は晴れていただきたい。

佇まいからしてなんかすごく良さそうな本というのがある。小林澄夫『左官礼賛』もそのような本のひとつだ。

谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を思わせるタイトルと「土壁が時代を批評する 『左官教室』の編集長が送る職人技へのオマージュ」という帯が興味をそそる。さらに帯の背には「かつてあった壁と壁の未来のために」と書いてある。壁の未来⋯⋯。なんだろう。もの凄くそそられる。左官という仕事は知識としては知っているが、直接自分の人生と交錯したことない。だからさっぱり左官のこと、ましてや壁の未来なんてわからないのだけど棚に並んでいるこの本からはなんか良さそうな雰囲気が出ていたので買った。

で、それをいよいよ読み始める。とてもいい。見開きでワンテーマの左官、土、壁、建築にまつわるエッセイ。一気に読むのではなく、毎日少しずつ読みたい、そんなタイプの素晴らしい本。

塗り壁は、様々の素材の複合である。様々の天然の素材の多様な組み合わせによって成り立っている。この素材の多様性が、塗り壁の仕上げの多様な種類と深い味わいの根拠である。
私は、ながいこと考えあぐねていた。奈良の葛城古道や山辺の道でみつけた納屋の泥壁が、なぜかくも美しいのかと。土の色もあろう。少年の日の記憶を呼びさます泥の匂もあろう。たぶん、そうした泥の色や匂いが複合されて私の五感にうったえてくるものがあってそれがうっとりするような美の感情を生み出すのだろう。
P.10

これがこの本の冒頭なのだけど、のっけからやられてしまった。左官が壁を語る。ただそれだけといえばそれだけなのだが、なんとも言えぬ詩情を感じる。

戦前に立った民家は、なんのくもなく、パワーシャベルで屋根を剥がし、ユンボで壁を押しつぶし、解体されてしまう。解体屋とはよくいったもので、半日もあれば民家は残材の山になってしまう。それは解体というよりも、破壊というにふさわしい。ここには、現代という性急な時代の貧しさがむき出しにあらわれているといえるだろう。
かつて、民家はこのような形で解体されることはなく、それぞれの部材が大切にときほどかれた。屋根の瓦をはずし、木舞の土壁を落し棟木や梁をはずし、柱を抜いてそれらは移築されたり、新しい民家の部材として再生されていったのだ。
そこには建てることが結ぶことだという思想があった。結んだものはほどくことが出来る。近代の工業的のセメンティングの技術による建築は、原理的にいっても破壊に終るしかないハードなもとにもどることの出来ない技術の上にうち建てられていて、解体と破壊のほかに出口を知らない。
P.12

そして、日本古来の建築技術は結ぶことなのだ、と。結んだものはほどくことができる。シンプルながらもわかりやすい文明批評なのだが、これがまたとてもいい。結ばれたものをほどこうとしないというのはとても乱暴なことなのだな。現代建築技術の代表でもある鉄筋コンクリートのマンションに住まいながら、古き良き日本家屋に想いを馳せることに若干のシュールさを感じるが、家にいることしかできなくなった今、自分がこれから先どんな家に住まい、暮らしていきたいのかを考えるには良いタイミング。

ちょっと前までサステイナブルといったキーワードが流行っていたけれど、半世紀前は普通にやってたことなのかもしれない。

平出隆『鳥を探しに』、山尾悠子『歪み真珠』も読み始める。どれも読み終わりたくないなぁと思わせる本たちでとてもいい感じ。

読書のお供のウイスキーが枯渇しそうだったのだが、実家の母が買い置きしていたやつを送ってくれた。孫にと色々とお菓子もつめて。自分も子供の頃、祖母から送られてくる荷物にちょっとしたお菓子が入っているのが嬉しかった記憶が蘇る。

自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。