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たいていの人は、集団に同調したいという自分の欲求に気づいてすらいない。 2020/11/23

 勤労感謝の日である。勤労なので、プログラミング講座最終日に出席してきた。企画を持って来いと言われていたものだからかなり身構えていたし、ロクな企画思い付かんから憂鬱な気分で参加したのだけれど、案の定参加者がめっちゃ少なかった。が、講義内容はすこぶる面白くて、非エンジニアでもAdobeXDとか使ってプロトタイプ作っちゃおうぜ、という内容。パワポの延長線上みたいな感覚で少なくとも何がしたいかを伝えるためのデモは作れることがわかった。むしろプログラミング難しいなぁ、と先週の2日間で痛感した人ほど出たらよかったと思うような内容で満足。

 で、無事プログラミング講座を終了したところでちょっと頼まれていた原稿のチェックをしたりしてまたもや勤労。

 エーリッヒ・フロムの名著『愛するということ』を読んでいたのだけれど、これまた脳が疲れた。「愛」なんていう抽象的なテーマを扱いながらもとことんロジカル。

 独裁体制は人びとを集団に同調させるために威嚇と脅迫を用い、民主的な国家は暗示と宣伝を用いる。たしかにこの二つのシステムのあいだには一つの大きなちがいがある。民主主義においては、集団に同調しないことも可能であり、実際、同調しない人がまったくいないわけではない。いっぽう全体主義体制にあっては、服従を拒むのはごく少数の特別な英雄とか殉教者だけだろう。しかし、こうしたちがいにもかかわらず、民主主義社会においても、ほとんどすべての人が集団に同調している。
エーリッヒ・フロム『愛するということ』P.30

 同調圧力という言葉がある。確かに同調を強制される力は無きにしも非ずなのだけど、民主主義社会においては、強制されて同調しているのではなくて、自ら欲して同調している、とフロムは指摘する。人と同じでありたいから同調する。そんなことはない?

 たいていの人は、集団に同調したいという自分の欲求に気づいてすらいない。誰もがこんな幻想を抱いているーー私は自分自身の考えや好みに従って行動しているのだ、私は個人主義者で、私の意見は自分で考えた結果なのであり、それがみんなの意見と同じだとしても、それはたんなる偶然にすぎない、と。彼らは、みんなと意見が一致すると、自分の意見の正しさが証明されたと考える。それでも、多少はほかの人とちがうのだと思いたがるが、そうした欲求は、ごく些細なちがいで満たされる。ハンドバッグやセーターのイニシャルとか、銀行員の名札とか、共和党ではなく民主党を支持するとか、 シュライン会ではなくエルクス会(いずれもアメリカの友愛結社)に入るとかいったことが、自分はほかの人とちがうのだという意志表明になる。
エーリッヒ・フロム『愛するということ』P.31

 とまぁ、痛快なくらい手厳しい。

 明日も仕事だ。体重が減らない。内臓脂肪はランニングで燃やすのが一番良さそうなのだが、走る前に筋トレしておくとより効率が良いらしい。

 

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