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あなたのなかにある一冊の本

こう想像してみてほしい。
人間のなかに一冊の本があって、そこに書き込まれている物語によって、世界を見ている。

僕はあなたのなかにあるその一冊の本に興味がある。
なにが書かれていて、それを書かねばならなかった背景があるわけだ。
それを知りたい、聞きたい、耳を傾けたい、体験したい。

◆◆◆

水曜日は平日夜のゆるゆるおしゃべり会でした。
なんだろうね…もう言葉をやりとりしてる以上に、言葉以外のなにかを感じることのほうが僕には大切で、それがあると生きててよかったなあと思えるのよね。
その「言葉以外のなにか」っていったいなんなんだろね。。。

共感、誰かと心を通わせること、思い馳せること、想像すること、理解しようとすること、その人の物語を一緒に冒険すること、、、う〜ん、なんだろうなあ。

◆◆◆

「ナラティヴ」という言葉がある。聞きなれないかもしれないけれど、ナレーションと仲間だと思ってもらえればいい。
つまり、語る、物語るという意味。
人は世界を見たとき、それを自分のなかで物語(=ナラティヴ)として組み込んでいる。
(その考え方を社会構成主義と呼ぶのだけど、ここでは名前だけで置いておく)

こう想像してみてほしい。
人間のなかに一冊の本があって、そこに書き込まれている物語によって、世界を見ている。
その人自身のなかにある物語が悲壮的であれば世界は酷く悲しい世界に見えるし、楽観的であれば世界は明るく楽しい世界に見える。

僕はまずそのひとりひとりの書き込まれた物語(ナラティヴ)に興味があるのだ。
なにが書かれていて、それを書かねばならなかった背景があるわけだ。
それを知りたい、聞きたい、耳を傾けたい、体験したい。

もし生きづらくて押しつぶされそうなら、押し返す物語がどこかに隠れてしまっているのかもしれない。なら、一緒に探してみよう。

◆◆◆

なにが書いてあるか、どうして書かねばならなかったのか。
ほとんどの人はそんなことには目もくれず、一般化したり形式的に相手を見ようとする。そのほうが負荷がなくて済むから。
でも、相手を見てるようでなにも見えてないんだよなーって。

僕はあなたのなかにある一冊の本にどういうわけか興味があるらしい。
あなたのなかにある一冊の本を読ませてもらって、笑ったり泣いたりしたい。そういう体験をしたいと僕のなかにある本には書いてあるみたいなんすよね。

あなたのなかにある一冊の本。
そこにはなにが書かれていますか?


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