リカバリーカルチャーという希望
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リカバリーカルチャーという希望

やまだ

一度失敗したらもう終わりなんだろうか?
ある程度年齢を過ぎてしまったらやり直せないの?
世間のやり直しに冷たいまなざしに憤りながらも、でも、どこかで他でもない自分が自分自身に「もうオマエは無理だ」とささやきかけていた。

そんな僕にとって、リカバリーカルチャー(回復者がつくる文化)という言葉はとてもとても希望に思えた。

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仙台グリーフケア研究会による自死対策研修会『自死を減らすための依存症対策』。2/14に仙台で開催だったものが地震の影響で中止となり、代わってオンデマンド配信で視聴。ゲストスピーカーは依存症回復者として高知東生さんと渡邊洋次郎さん。
「たかりこチャンネル」推しの僕としては高知さんの話しが聞けるのが楽しみだった。

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話を聞いてみて、リカバリーカルチャーを広めていこうという高知さんの姿勢に僕自身がとても希望を感じた。
困ったら弱ったら助けを求めていい、頼っていい。確かにそうなんだけれど、やっぱりそう言えるには「私も助けを借りて今があるんだよ」「人をたくさん頼って回復できたんだよ」という人たちが身近にふつうにいることだよなって。
失敗した、挫折した、病気になった、死のうとした、それでもどうにか回復し、リカバリーし、それは自分の力だけじゃなくて、助けてくれた人の存在があったんだよと。そういう人がふつうにまわりにいたら、もし自分が困ったとき弱ったとき、こういうときこそ助けを借りようって動ける可能性は格段に高まると思う。

渡辺さんは今回初めて知ったんだけれど、「散々自分を痛めつけてきたのに、それでも生きようとしているものが自分の中にあるんやな」「実はあったかいものが自分の中にあった」「まわりから理解されなかったこと以上に自分自身が生きてあげようとしてなかった」という気づきから自分の中で変化が生まれていった話が心に残ったなあ。

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つい最近になって、私の身近にも依存症からの回復途上の方もいて、自死も依存症も他人事ではなかったのよね。というか、今までは見ないようにしてきたんだよなと。
依存症は「否認の病」と呼ばれているらしいけれど、この社会に生きている誰もが見たくないものを都合よく否認してないだろうかと思ってならない。

以前読んだ精神科医の松本俊彦さんの言葉を思い出す。

依存症はよく「否認の病」と呼ばれる。「俺は依存症ではない」と事態を過小視する依存症者独特の態度を指す言葉だ。だが否認は個人だけの現象ではない。社会もまた否認する。「わが家、わが社、わが国には問題はない、あってはならない」と。「ダメ。ゼッタイ。」というスローガンはまさにその典型だろう。まずは、正しく知ることだ。




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やまだ
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