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コントロールの喪失

よく見る夢がある。
私は車の運転をしている。ハンドルは握っているのだけれど、ブレーキとアクセルが思うように効かない。次第に、車は暴走を始めて、運転席にいる自分が恐れおののくほどの猛スピードを出したり、ブレーキ不能によってまわりの車にぶつけてしまったり。
ひどい場合は人をはね、ぶつけた衝撃で自分が血まみれになっている。
はっと目覚めると、全身が汗でびっしょりと濡れている。

確かに運転席に座りハンドルを握っている、だけれど、コントロールができない。それは私であって私ではない感覚。にわかには信じられなくて、事態を受け止められなくて、ひどい混乱が私を襲う。

◆◆◆

東京芸術劇場主催の「ドイツ アウフブルッフによる刑務所演劇の挑戦」をオンラインで視聴。

映画『プリズン・サークル』の舞台となった島根あさひ社会復帰促進センター元支援員の毛利さんのお話が聞きたくて。
「過ちを犯した人」という広い意味でとらえれば、塀の中にいる人と外にいる人もそう変わりはないと思うから。

毛利さんの話のなかで、犯罪をしてしまう人は、これまでの生き方の表れとしての経済的・情緒的不安定さから犯罪行為にいたってしまうという。
生きるために必死すぎて盲目になっていたり、いけないこととはわかってはいたのにやってしまった、というケースがほとんど。
それはつまり、そこに「コントロールの喪失」があるという指摘をされていた。

個人的な解釈としてはそれはある種の乖離とも言えるのかなと。生き延びるためには、自分自身を喪失しなければいけない環境だった。その結果としての、生きる術としてのコントロールの喪失なのかもなと。

私は犯罪まで起こしていないけれど、これまでのなかで人を傷つけたり、迷惑をかけたり、不信を招いたりしてきたことは何度もあって。もちろんそうしたくてしたことは一度もない。ないけれど、結果的に相手を不幸にさせてしまう過ちを犯してしまったことがあって、その自分がしでかしたわけの分からなさは強烈な罪悪感・自罰感・不信感として深く突き刺さる。

なんでこうなる?お前はバカなのか?
ふざけるな、いい加減にしてくれ!もういやだ!
はあ?どうなってる?意味がわからん!!

そして、なにより私と私自身との間での溝が埋められないほど深く深くなっていく。つまりは自己肯定感や自尊心が損なわれていく。
そうして、さらにコントロール喪失が強化されて、負のループに陥っていく。

「過ちを犯した人」という広い意味でとらえれば、私にもコントロールの喪失があるんだと思わざるをえなかった。

◆◆◆

コントロール喪失の負のループに陥っている。けれど、刑務所に入って更生するわけにもいかない自分は自分で生き直す機会をつくるしかない。
どうしたらいい?

他者の存在が自分を照らす

毛利さんが話していたことで、コントロールを喪失していた受刑者たちは島根あさひの取り組みのひとつである「TC(セラピーティックコミュニティ)」のなかで、人と出会い、話し、語り、関わり、考え、感じ、その中で私を見つめ直していく。

ゆるむ→なじむ→(こもる)→しみる

TCを受けた人は、それまでの生き方・価値観からゆるんでいき、徐々になじんで、一定期間自分の中で反芻し、そうして新しい生き方・価値観が芯までしみていくという過程を通るという。

犯罪を犯した受刑者の回復・成長の過程が私自身の回復・成長のみちしるべのように思えたのよね。

◆◆◆

「過ちを犯した人」という広い意味でとらえれば、塀の中にいる人と外にいる人もそう変わりはないと思う。共通してあるのは、コントロールを喪失している自分がいるということだろう。
そこに気づくことから「私」は育っていくんじゃないかな。


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