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作家性ってなんだろう?

作家性ってなんだろう?

この問の答えを、村上春樹先生の世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドという作品の中に見出すことができます。

村上春樹先生の長編は全部読んでますが、(短編やエッセイには読んでないものもあります)全部同じ話じゃん!!ってのがあります。

これは、悪い意味ではなく、作家性とは、作家の脳内にある完全な世界のことなんです。それについて、描かれているのが、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドです。

もちろん、作家だって取材もしますし、外部からの影響もあるでしょう。編集の意見だって聞くかもしれない。小説だって、完全な個人制作ではありえません。

それでも、個人しか生み出せないものは確かにあるんです。個人が創り出す作品の根幹には、全人類がすべて違っていて、個々の脳内にしかない情報を元にした、言語化出来ないその人だけのオリジナリティがあるんです。そして、その情報が、物語や世界という形で完璧に存在している人間は僅かであり、それを天才と呼ぶのですね。

一人の天才に100人の凡人は勝てません。

これは、100人というのが逆に問題なんですよ。複数の人間というのは、言語というコミュニケーションの手段をもって共同作業するしかなく、どうしても齟齬が出てしまうのです。むしろ、凡人ではなく100人の天才を集めて共同作業させるともっと悪いかもしれません。

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人類はある部分で、言語が足かせになってることを経験的に知っていたのでしょう。個人を中心にした創作や科学が歴史を変えてきた事がそれを証明しています。大勢で作業するときに生じる齟齬を回避するために、天才の脳内にしかない、個人だけがもつ言語化できない完全性を重視してきたのは明白です。

それを、創作の世界では作家性と呼んできたのです。

目立ってる天才以外にも頑張ってる人は居る。無名で縁の下の力持ちが居る。それは分かりますが、作業する人間の数が増えれば、完全性は失われるのです。

話は少しそれますが、村上春樹先生の世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドに関してはある元ネタを偶然突き止めました。

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当時わたしは、会社が実質倒産し、ホームレスをやってました。

ガチホームレスで、新宿の街をさまよっている時、夜寝る場所がないので、新宿御苑にブルーシートを持って、昼寝に行ってたんです。昼寝だとホームレスに見えないという利点があります。

その時、古本屋でなんとなく買った世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドを新宿御苑の地図の前で広げて驚きました。

「え?まじで?似てない?というかそのものじゃね?」

その後、小説を読みながら、新宿御苑を歩いて回った結果、作中に出てくる様々な要素が新宿御苑と一致することがわかりました。

あえて、ネタバレはしませんので、小春日和に、新宿御苑で世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドを読んでみて下さい。

新海誠監督の言の葉の庭も新宿御苑が舞台です。新海監督は気がついていたのかとても気になりますね。新宿御苑で世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドを読んだあとは、家で言の葉の庭を観ましょう。

新宿御苑には確かに世界の終わりが存在しました。村上春樹先生は、ファンタジーの様な世界を自身の体験(おそらく近くでバーをやってた頃に新宿御苑を訪れていたのでしょう)から紡ぎ出していたのです。そのイマジネーションに驚きを禁じえませんでした。これが作家性か!と、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドが自伝と言われる所以かと!

作家性まじでパネェ!と思いました。

会社が倒産寸前で、生きる気力をうしなっていた当時のわたしは、その日、小説家になることを決意したのでした。


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