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【読み切り短編小説】最期のニュース

 一年前、太平洋沖に小惑星が衝突した。

 衝突当時は、それはそれは、本当に世界が終わったかのような大騒ぎとなった。

 俺には、科学的なことは何もわからないが、一年が経過した今、人類は滅亡していない。それどころか、俺は普通に会社に通勤している。衝突前の日常が戻ってきたのだ。

 小惑星が小さいわけではなかったようだ。少なくとも有史以来最大の小惑星の衝突だったという。

 直径が一キロを超すほどの大きさだったとニュースでも何度も言っていた。小惑星が衝突する直前まで、衝突する確率は極めて低いというニュースが流れていた。

 もう何度目だよという終末論のネタとして、オカルトサイトが「【警告】この小惑星は地球に落下する」というタイトルの記事を書いていたが、いつものように誰も相手にしてなかったのを覚えている。一九九九年のノストラダムスの大予言以来、もうこの手の終末詐欺に乗ってくる人はオカルト界隈でも少なくなっているのだ。

 小惑星が衝突すると、数千キロ先でも爆発音が響き渡り、まず、最初に津波が来た。

 俺の住む山梨県は、内陸にあるため、津波の被害を逃れたが、太平洋側の多くの地区が三十メートル以上の津波に飲まれた。場所によって、津波は百メートルに達したところもあったそうだ。ただ、意外だったのは、津波の高さが高ければ、被害も大きいという理屈ではなかったことだ。

 湾岸を中心に、壊滅的な被害を受けたものの、高いビルなどに逃げた人の多くは助かったようだ。これは、津波の高さの割に、地震などの津波に比べて周期が短いとかなんとか、そんな説明をテレビで専門家がやっていたのを記憶している。

 隕石が衝突した海の深さや地形によっては、もっと大きな被害が出た可能性があり、不幸中の幸いだったのだそうだ。

 恐竜が絶滅したとされるユカタン半島だかの隕石は、衝突天体の直径が今回のものよりはるかに大きく、津波は、三百メートルの高さになったと言われている。それと比較すれば今回の小惑星衝突は、中規模くらいの災害だったと言える。それでも、一万年に一度あるかないかの出来事だったと言われていた。何万年周期であろうが、それは本当に周期で起きるものではない。滅多に起きないからと言って、今起きないという理屈ではなかったのだと思った。

 それにしても、これほど大きな小惑星の接近と衝突がなぜ軌道計算できなかったのだろうかと、多くの専門家から、NASAなどに非難が集中した。その回答は、軌道計算ではありえない動きをしたというものだった。しかし、軌道計算そのものが間違っていたという噂が広まり、今では、それが陰謀論としてだけでなく、常識として定着している。何万年かの周期でしかこない小惑星を、人類のわずか数百年しかない天文学の経験則で正確に計算できるはずがないという意見が大半だった。

 チェリャビンスクの隕石だって予測できなかったではないか。と、言う専門家もいたが、大きさが違いすぎる。この小惑星は実際に、衝突前に観測され、地球から月の距離の数倍の場所を通過するだろうと、予想されていたのだ。

 しかし、落ちてしまったものは仕方ない。覆水盆に返らず。こぼれた津波は、もう戻らないのだ。

 津波に関して震災の経験があった日本では迅速な避難で、直接の死者は予想よりも少なかったそうだ。それでも、数万人の人がなくなり、それ以上の人が今でも行方不明となっている。

 世界では、累計数百万人の死者と行方不明者が出ているということだった。

 そして、次に、気候変動が起きた。

 小惑星の衝突で巻き上げられた粉塵によって世界の平均気温がぐっと下がる日々が続いたのだ。落下したのが海面だったとはいえ、瞬間的に海底の地面がえぐられ、大量の土砂が巻き上げられ、細かい粉塵は雲となって世界の気候に影響を与えることになった。粉塵そのものは、数ヶ月でおさまったが、気温の低下が連鎖的に発生し、さらなる気温の低下を招いたらしい。

 これにより、最初の三ヶ月は、今後の食料の不作により、大量の餓死者が出るだろうという悲観的な報道が多く流された。

 しかし、食料問題については、かなり迅速に解決した。人工食料開発プロジェクトが立ち上がり、飢餓に対する防波堤となったのだ。今まで承認されなかったような、数々の遺伝子組み換え食品や人造食品が市場を賑わせることになった。

 むしろ、食料については、かつての自然食品よりも安定供給される可能性があるとのことだった。こんなに短期間で、世界に行き渡る食料が、人工的な製造方法で生み出せているのは、ちょっとした驚きだった。しかも、割とうまい食い物が多い。模造イクラとかカニカマみたいなものがあらゆる食品に広まった感じだと思った。今では、コンビニの大半の食料が遺伝子組み換え食品になっており、ものによってはかなりの人気を博している。

 ただし、これについては、悲観的な意見も多く、ネットでは、今でも遺伝子組み換え食品の危険性を訴える書き込みが後をたたない。今は大丈夫でも、この先、遺伝子組み換え食品を食べ続ければ病気になるという記事が多く流れ、SNSなどのサイト運営者からデマの拡散として削除されていく攻防が繰り広げられていた。

 俺は、いや、多くの人が、この未曽有の自然災害のあとに、ネットをあまり見なくなった。世界中で不謹慎なデマが広がり、不安をあおる書き込みばかりになったからだ。不安をあおる商売が無数に出て、不安をあおる記事から詐欺っぽい商品を売りつけられるのだ。

 何より、人類が滅亡しかねないほどの自然災害のあとでは、どんなニュースも刺激が弱すぎて、興味を惹かれなくなったというのもあるかもしれない。

まあ、とりあえずネガティブな情報を集めるよりも、今、生きていることに感謝しようと、俺を含めた多くの人は思ったようだった。

 といった感じで、大きな出来事としては、津波と気候変動の二つだけで、それ以外は、細かい影響が今後数十年にわたって人類の生活を変えるんじゃないかと、議論されてはいるが、とりあえず、生き残った大多数の人々には、日常に近い生活が戻っている。

 未曽有の災害も、実際に起きてみれば、意外にも普通の生活が維持できるものだなと俺は思った。もちろん、それは生きているからであって、亡くなった人にはそういった感想を抱くこともできないのだが。

 しかし、そんな日常において、俺にとって、一番の変化は、今、目の前にいる一人の少女だった。

 今、俺は、十七歳の女子高生と、ワンルームマンションで二人暮らしをしているのだ。

 彼女の名前は、鳥原愛。

 練馬区の自宅は津波で流されてしまったらしい。このご時世、住む家を失った人は多くいる。仮設住宅も急ピッチで建造されているが、親戚などを頼って、居候をするケースも珍しくはなかった。

 しかし、よりにもよって、見ず知らずの独身男性の一人暮らしのワンルームに、十七歳の少女が転がり込むケースは稀だろう。いや、実際は知らんけども。

 俺は、彼女がここに住んでいることを公にはしていない。このご時世とはいえ、やはり問題があると思ったからだ。それに、すぐに出ていくだろうと思って、少し泊めるくらいの軽いつもりで家にあげたのだ。

 あの日、星が降った日。なんて、言い回しで回想するとロマンチックではあるが、彼女は、避難してきた人の炊き出しの列にいただけの普通の少女だった。芸能人のように特別にかわいいわけでもなければ、グラビアアイドルのようなグラマラスな体型というわけでもない。どこにでもいる普通の女子高生という感じの風貌だった。

 だから、断じて俺には下心はなかった。いや、ちょっとはあったかもしれないが、説明するから、まあとりあえず聞いてくれ。

 俺は、地元の小さな広告代理店から、出向みたいな形で、炊き出しの食事を配布する係を担当していた。地域貢献ってやつらしい。俺が、炊き出しの飯をよそってあげると、彼女は、じっと俺を見て言った。

「とても遠くから来ました」

 気の毒に。と思いながら炊き出しの雑炊を黙って渡すと、彼女はそれを受け取って、うつむいたままその場を去っていった。

 しかし、後になって考えてみると、練馬区から山梨は、それほど遠いだろうか。いや、歩いて来たとしたら、けっこうな距離だ。

 炊き出しが終わった後に、俺は彼女の言葉が気になって、避難してきた群衆の中に、彼女の姿を探した。先に気がついたのは彼女の方だった。俺が彼女を見つけると、彼女は捨て猫のような顔をしながら、こちらに駆け寄ってきた。

「行くところがありません。小惑星は初めてで……」と、彼女は言った。

 うん、うん。そうだね。俺も、というか大抵の人類はみんな初めてだよ。と俺は心の中で思った。たしかに、この時、同情だけでなく、この少女を少しかわいいと思ったことは事実だ。ちょっと新鮮な感じもした。正確に表現するなら、かわいいというか、変わってるなあという感じだろうか。兄妹がいない俺にとって、親戚も含めてこの世代の女の子と話す機会は、学生時代以来だったからだ。

 しかし、なぜ、俺だったのだろうか。

 休日の昼間ではあるが、俺のとなりで、黙々とテレビゲームを遊んでいる少女を見ながら俺は思った。彼女が俺を選んだ理由は、一年経った今も分かっていない。

 それ以前に、彼女はほとんどしゃべらないのだ。ただ、俺の家に転がり込んで、とても自然に生活している。会話は必要最低限の内容だけ。もちろん、アニメなんかにあるような、恋愛的なイベントなど一切なかった。

「学校には行かないのかな?」と、俺はゲームをする彼女に話しかけてみた。

「学校?」と彼女は疑問形で言った。

 ここで会話が終わってしまうのだ。その後、俺は、遺伝子組み換えハンバーグの肉を二人分フライパンで焼いて昼食を作った。彼女は黙ってそれを食べると、ふたたびゲームコントローラーを握ってテレビ画面に集中している。

 やれやれと思いながら、俺は食器を片付ける。家事はすべて俺の仕事だった。というより、彼女はほんとうにただ毎日ゲームをしながら過ごしているだけで、何もしなかった。俺も、最初は、彼女の境遇をかわいそうだと思って、多少のわがままは仕方ないかと思っていた。

 しかし、もう一年が経過しているのに、まったく何もしないというのはどうだろうか。大人としてなにか言ってやるべきではないかと。そう思って、さっき学校の話をふってみたのだが、そもそも会話が続かないのだ。

 彼女は不思議な娘だった。ジェネレーションギャップだろうか、会話の内容がとても薄い。事務的な会話の受け答えと、疑問形の返事。どこか、冷たい感じがすると思った。人間らしくないというのだろうか。もしかすると、心に傷を追っているとか、トラウマ的なものが原因もしれない。

 小惑星孤児というのだろうか。彼女も多くの子どもたちがそうであるように、行くところがなかった。家族は津波で亡くなり、頼れる親戚も居ないのだ。なお、彼女の境遇については、多分に推測が入っている。

「頼れる親戚とかいないの?」と聞いたことがあった。

「親戚?」と彼女は疑問形で返事をした。

 これでは会話が続かない。いまどきの若い子は、こういったしゃべり方をするものなんだろうか。こっちが聞いているのだ。ちゃんとこたえてほしいものだと俺は少しムッとした。

 三十二歳の俺と、十七歳の彼女では、まるで同じ地球の生物ではない様な気がするほどになにもかも噛み合わなかったのだ。

 ちょっと不思議な会話もあった。

「どこに住んでいたの? その……思い出したくないかもしれないけど」と俺は気を使いながら聞いた。流された自宅のことなど話したくはないだろうと思ったからだ。

「とても暗いところ」と彼女は言った。

 はい? どういう答えだろうか。今どきの若い人の流行りの表現なのか? いや、それに住んでいるか場所を聞いたつもりなのに、こんな抽象的な返しでは、何もわからないじゃないか。しかし、これもおそらく精神的なショックから来るものに違いないと俺は推測した。

 こういったものは時間がかかるのだ。とにかく、慌てずにゆっくりやろう。俺はそう考えて、彼女の境遇を詮索することを辞めた。

 そして、一年が経過し、今に至るというわけである。

 まったく、不甲斐ないと言うか、手玉に取られているだけではないかと思うことすらあった。彼女は相変わらず感情というものを失っている様子で、まったく仲良くなれた気がしない。

 いや、下心とかあったわけでもないが、まったく仲良く成りたくなかったかと言えば、嘘になる。それでも、大人としての責任を感じながら、この一年彼女を見守ってきたのだ。

 皿を洗いながら、俺はもう一度考えた。このままの生活、このままの関係が続いて良いのだろうかと。皿を洗い終わると、俺は、黙って彼女の元へと歩み寄り、やさしくゲームコントローラーを取り上げた。

 翌日、彼女は保護関係の役所の職員と面談することになった。

 俺は市役所の職員に簡単に事情を説明して、彼女を引き渡すと、そのまま会社へと向かった。一年もの間、彼女と暮らしたことについては、うまくごまかしつつ、後は任せるという気持ちで彼女を引き渡す。

 俺は何も悪くない。実際、一年間、何もしなかったのだ。何もしなかった。と言う言葉には二つの意味がある。手を出さなかったという意味と、何もしてあげられなかったという意味だ。前者については、よく耐えたと思う反面、後者については不甲斐ないと自分でも理解している。

 彼女も十七歳から十八歳となっており、もう成人だ。役所で、手続きを済ませてから、後のことは自分で決めれば良いと思った。

 俺は会社で仕事をしながら、彼女のことが頭から離れなかった。特に仲良くなることもない一年だったが、こんなにあっさりと開放されると寂しいという気持ちもあったのだ。

 なんとなく、インターネットの検索サイトを開くと、鳥原愛と入力してみた。仕事の情報意外でインターネットを検索するのは久しぶりだった。

 そこには、驚くべき記述があった。

 行方不明になった女子高生とその家族に関するニュースだった。

 鳥原愛。両親の名前は、鳥原貴、玲子。

 その家族に起きた悲劇は、小惑星衝突の直後に起きた事件だった。多くの人が亡くなった自然災害の後に、奇跡的に助かった家族が暮らす練馬区の高台にある住宅街で、その悲劇は起きたと書かれている。

 簡単に言えば、それは猟奇殺人だった。鳥原愛の両親が惨殺された状態で発見されたのだ。そして、娘である鳥原愛は行方不明となっているというのだ。

 まずい。

 俺はすぐに、そう直感した。彼女がどういった経緯で、避難民の中に紛れ込んでしまったのかはわからないが、これでは、俺が容疑者になってしまうのではないか。

 俺は、とりあえず、慌てて会社を早退すると自宅に戻った。かつての季節であれば、まだ夏だが、世界的に寒冷化した今では、外は肌寒く俺はコートを着ていた。家に戻るとまずコートを脱いで、ハンガーにかけた。

 まず何をすべきだろうか。彼女の痕跡を消す? いや、そもそも俺は無実だ。自宅には彼女の姿はなかった。とりあえず、俺は彼女が毎日やっていたゲーム機を片付けた。そんなことをしても、何も変わるわけではないが、彼女の痕跡を少しでも消して、俺と彼女が一年も生活していたことを隠そうとしたのだ。

 なんで、どこにも連絡せずに一年も一緒に暮らしてしまったのだ。これではまるで、俺が両親を殺害して、彼女を拉致監禁したようではないか。この小惑星の衝突という未曽有の自然災害にかこつけて、なんという矮小な犯罪だろう。容疑者として報道されれば、冤罪であってもしばらくはさらし者になるのではないかと不安になった。

 だが、俺はやっていない。しかし、疑われる可能性は高い。そして、彼女はなんと証言するだろうか。今の精神状態において、彼女の受け答えは曖昧すぎて、疑惑を大きくしてしまう可能性が高いと思った。

 なんて事だ。こんなことになるなら、女子高生を家に連れ込むべきではなかった。

 俺は頭を抱えながら、とりあえず、テレビをつけた。

 テレビ? そう言えば、彼女が来てから自宅でテレビを見たことがなかったことに気がついた。そうだ、ずっと、彼女がゲームをしていたからだ。

 テレビでは、ワイドショーが小惑星衝突後の世界の情勢を報道していた。この一年変わらずに流れていたであろう内容だと思った。もちろんテレビを見ていない俺はそんなことは知らないのだが、ゲストのテンションの低さから、たいした進展もない内容をやっていることが、すぐに分かった。

 しばらくすると、驚いたことに一年前のとある事件に関する番組が始まった。

 鳥原愛失踪事件。

 そうテレビには表示されていた。番組は、ちょうど一年前の津波の直後に起こったという、この不可思議で猟奇的な事件について詳細に説明をはじめた。

 小惑星衝突以降、大抵の事件報道は些細なことになった。しかし、その中において、鳥原愛失踪事件は一定の注目を集めていたようだった。

 自然災害で、あまりにも多くの人が亡くなり、人の命が軽くなったこの時代において、たった二名の両親が亡くなった事件にこれほどの関心が集まったのは、その殺害現場があまりにも凄惨だったことが原因らしい。

 鳥原愛の両親がどのような死に方をしたのか、マイルドに表現しても、それは、ありえないレベルでの惨殺だったそうだ。まるで、なにか巨大な野生動物に捕食されたように、体が引き裂かれていたということだった。津波の影響で、熊が住宅街に現れた可能性についても言及されていた。

 オイオイ、熊かよ。俺はそのニュースを見て、逆に少し安心した。一介のサラリーマンでしかない俺が、熊に引き裂かれたような死体を作れるはずがない。

 殺害事件が起きたのは八月三十日だということだった。小惑星の衝突が、八月二十四日。その六日後に起きた事件ということだった。

 八月三十日? 忘れもしないその日は、俺の誕生日だった。あの日は、確か、避難先で会社の同僚とささやかな誕生パーティをしたのだ。みんなが、不安だった時に、少しでも気を紛らわすために酒を飲んだのだ。同僚と酒を飲んだのはあの日が最期だったことに気がついた。そして、その翌日、炊き出しの時に彼女に出会ったのだ。彼女を引き取ってから、俺は酒を飲みに行かなくなった。彼女の晩ごはんをつくらなければならなくなったからだ。俺の給料では、二人分の外食費は高すぎる。遺伝子組み換え食品の時代になってから、外食は天然ものを使うことが多くなり、高価なものとなったのだ。必然的に、俺は自炊をするために、仕事から直帰する日々を送ることになった。

 それはともかくとして、つまり、あの日の俺にはアリバイがあることになる。SNSにもアリバイになる写真をアップしている。証言してくれる同僚もいる。そうだよ。アリバイがあるじゃないか。それに、ほんとうにやってないのだから、ここまでビビることもなかったのだ。

 俺は少しほっとして、テレビに目を向ける。猟奇殺人の特集は終わっており、CMが流れていた。

 天候に左右されない、遺伝子組み換え食品は、安全でしかも美味しいという内容のCMだった。

 CMが終わり、番組がワイドショーに戻ると、何かの専門家が、アフターインパクトの生活について熱心に語っていた。アフターインパクトの世界において、人々は何を食べていくべきかという内容だった。

 遺伝子組み換え食品の危険性に関するデマを流すネットの書き込みが紹介され、さきほどのCMに呼応するように、安全性を強調するものだった。専門感は、必至にこういった災害を、人類は科学の力で乗り越えてきたという主張をしていた。

 それに対してあるコメンテーターが、少し反論するように言った。

「たしかに、うまいんですけど、なんかこう物足りないんですよね。栄養を摂取するだけであれば、遺伝子組み換え食品でも良いんですけど、私は天然物の食事が忘れられないなぁ」

 この半年間、彼女と俺の食事は、ほぼ遺伝子組み換え食品だった。最初の半年は、食品の値段が高騰し、多くの店で買い占めが起きた。海外では多くの暴動が発生したそうだ。そうった事態に終止符を売ったのが、遺伝子組み換え食品の登場だった。

 そういえば、彼女の両親。番組では真相は分かってないと言っていたが、熊に惨殺されたというのが順当なところだろう。もしくは、災害の時に動物園から猛獣が逃げ出したのかもしれない。熊だって、人間だって変わらないのだ。食べるものがなくなれば、山を降りて人を襲う熊が出ても不思議ではない。東京でも、奥多摩あたりなら熊は出るのではないだろうか。彼女が住んでいたのは練馬区だったそうだが、練馬区まで熊が来るものだろうか? よほどお腹がすいていたのか、いや、それにしても災害から数日後であるから、飢えというよりは、野生動物の危機感を刺激したことが原因での異常行動だったのかもしれないと思った。

 そんなことを考えていた直後だった。ワイドショーのテレビ画面にアラート音が鳴り、緊急速報が流れはじめた。

 山梨県大月市の市役所にて、なんらかの事故が発生したというものだった。現場は混乱しており、まだ映像は出てないが、死者が出ている可能性があると表示されている。

 大月市の市役所は、彼女が今いる場所だ。

 俺には、ある推測が脳裏をよぎっていた。鳥原愛の両親を殺した犯人が、彼女を見つけたのだと。熊ではなかったのかもしれない。俺は何か手がかりはないかと、インターネットを検索してみた。

 しかし、いましがたワイドショーで特集されていた内容以上のものは出てこなかった。

 俺は、彼女の携帯電話番号を知らない。

 ずっと家にいるから必要なかったのだ。たしかに、特別な関係ではなかった。それでも、今は彼女の安否が心配だった。

 確かに変わった娘だったとは思う。それに、こんな事件に巻き込まれて逃げてきたのだ。彼女が抱えている精神的なトラウマは、俺の想像の斜め上にあるものだったのだろう。そんな辛い思いをしたであろう彼女に対して、俺は自分が疑われることばかり案じていたのだ。

 俺は猛烈に恥ずかしくなった。そして、今からでもその過ちを挽回だか返上だかをするために、何か行動できないかと思った。

 何が起きているかは、わからない。だが、とにかく彼女を助けなければ。すぐにでも、市役所に行くべきか。

 外に出かけようとコートに手を伸ばしたところで、文字だけのニュース速報から、今度は本格的に大月市の現場リポートに画面が変わった。

 とにかく現場は大変な状況のようだった。市役所から逃げ出す人の映像が映っていた。

「殺される! あんなモノがいるなんて!」と、市役所の職員らしき男が、引きつった顔で叫んでいる。

 あんなモノ? 犯人は人間じゃないのか? まさか熊が彼女を追って? いやいや、そんなはずはない。二転三転する状況に頭が混乱する。

 そして、俺は、その時やっと思い出したのだ。

 それは、小惑星の衝突を予見していたオカルトサイトの投稿だった。俺はインターネットを検索する。

 テレビでは、ひたすら混乱する現場のリポートが続いている。

 あった。

「【悲報】小惑星の衝突は始まりに過ぎない」というタイトルの記事だ。

 NASAが小惑星の衝突を予測できなかったのは、この小惑星が乗り物であり、衝突直前に小惑星の軌道を変えた痕跡がアマチュア天文家によって撮影されているというトンデモ記事だった。

 それによると、この小惑星は、なんらかの外的要因で軌道が代わり、太平洋に落下したということだった。その軌道が変わる瞬間になんらかの飛行物体が、小惑星から離脱したというのだ。

 オカルトサイトでは、その飛行物体は、宇宙人の乗り物であり、この乗り物に乗っている生命体が近いうちに人類に接触をしてくるという可能性について解説されていた。あまりにも馬鹿馬鹿しい記事である。古典SFでもこんなネタはかなり古いものでしかない。

 コメント欄は荒れており、ネタにしても不謹慎だというものが大半だった。俺も当時おなじような感想を抱いた。

 俺は非常時になんでこんなくだらないサイトを熱心に見ているんだ。俺は本当にどうしてしまったんだ。しかし、俺の直感がこのサイトを見るように警告しているのだ。

 俺がテレビ画面を見ると、現場はさらに荒れており、放送が途切れ「しばらくお待ち下さい」という表示に変わったところだった。

「しばらくお待ち下さい」という画面が出る刹那。一瞬だけ映った放送事故映像。それが、俺の目にハッキリと残っていた。

 かつて、彼女だったモノ。

 彼女の体から無数に伸びる触手のようなモノと、その触手に貫かれ捕食される血まみれになった人間だったモノ。

 これが、俺が見た最期のニュース映像となった。

 ドン! と言う激しい音と共に、マンションの鉄製のドアに大きな穴があき、触手のようなものが姿を現した。

「おかえりなさい」と、俺は言った。

「おかえりなさい?」と、そのモノは、いつものように疑問形でこたえた。


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